2014年12月24日

5分シナリオの研究2: テーマと構造

テーマと物語の構造について。


お話の中では、テーマ(今回は、BE BAD)を言葉で言ってはならない。

誰かの決めたルールではなく自分の良心に従え、とか、
ルールを破ってまでも正しいことはするべき、とか、
法律順守が必ずしも最善ではない、とか、
この話をテーマを書くことが出来るだろうが、
それは言葉で言っていない。
それはこの話から「読み取ること」だ。

(最後にコピーでテーマを書いたように見えるが、
これは行動喚起のアジテーションであり、テーマではない。
逆にコピーとは、お話を見終えた上で、
それが見事に心に響くように書く。
コピーのことについては広告の話なのでここでは割愛する)


逆に、話を見れば読み取れるように、
一語も使わなくても分かるように、
話の構造をつくるのである。

運転手は悪を犯す。
スピード違反やら一時停止違反やら住居不法侵入だ。
警官も悪を犯す。
違反切符を破り、もみ消したことだ。
どちらも、出産の為にしたことだ。

ラストの男の二人の視線の交わしあいが粋だ。
どちらも、ルールを破ることは悪いことだと知っているが、
出産の為には、そのルールを破ることは必ずしも悪ではない、
と分かっている、大人の行為なのだ。
二人とも悪いことをしたのだが、
それが善行となっている、悪から善への逆転、
という構造そのものが、テーマを語っているのである。


さて、テーマを台詞で言わず、全て行動で示していることに注目しよう。
これは、行動(動詞)を中心としたあらすじを書いてみるとわかる。

運転手、妊婦を乗せ病院へ急ぐ。
警官、スピード違反に気づき、追う。
運転手、違反と分かっても急ぐ。
警官、(職務上)違反切符を書くが、
出産の為と知り、その切符を破り、見なかったことにする。

たったこれだけだ。
このシンプルな構造の中に、BE BADの精神が全て入っているのである。

映画は、行動である。
映画は、動詞である。
四の五の言わずに、行動で示す。

名もなきこの二人の男たちの行動が、
何も言わなくてもテーマを示すように、
話を組んでいくのである。



ちなみに、僕の発想はこんな感じだったので記録しておく。

チェイスやりてえなあ。
(やるなら田舎か、都会なら深夜かな、と絵を想像してみる)
→じゃ「切迫した正当な理由で、スピード違反しまくる車」をだそう
→とりあえず妊婦を乗せてることにしよう、絶対正義だし。
その為にスピード違反をしてしまうことは、
ルール違反としては悪だが、擁護されることだ
(きっとスピード違反だったことで色々言われるのだが、
妊婦の為だったのか、といい人扱いされるラストになるだろう)
→チェイスというからには、その車を警察が追うだろう
→その二台のチェイスが出来るぜ!
→で?
→病院へつき、出産は成功したとしよう、警官は?
→警官も運転手の「敢えてやった」ことを理解し、
同じことで返すのはどうだろう、
例えば違反切符をその場でビリビリ破って捨ててしまうのは。
つまり、敢えて見なかったことにしてやる、という和解だ。
そうすれば互いにBE BADの価値を共有した、
名もなき大人の男たちの話になるか。
→出来た。
→あとは一番やりたい、チェイスの部分でも詰めようっと。

こんな感じで、テーマありきで、
行動でテーマを示すように作っていくのである。

物語の構造、人物の配置や行動の意味が、
テーマを示すようにそもそも作る、
ということを覚えておこう。
とくにラストの行動が、一番テーマを示す。

(この場合、違反切符を破り捨てること)



次は三幕構成について。
posted by おおおかとしひこ at 01:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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