2014年12月25日

5分シナリオの研究4: 二幕その1

第二幕の研究。

初心者にありがちなのは、一幕と二幕が似たようになってしまうことだ。


一幕と二幕の役割を明確につかんでいないと、
二幕でも一幕と同じことをやりがちである。
一幕は設定、二幕は展開、
と頭では分かっていても、
何故だか一幕と二幕が似たような感じになる。

これを観客から見ると、
最初と同じ展開がクライマックス前まで続く。
つまり、クライマックスとそれ以外の、
二色団子にしか見えない。

三幕構成は三色団子にせよ、という考え方だ。
それは、二色団子は退屈だ、という考え方だ。
だらだらと4分同じことをして、
急にクライマックスになったとしても、
お話の構成としては詰まらない、と考えるのだ。

二色団子は、CMなどの短い尺には有効だ。
問題発生、困ったー!
→この○○なら解決!
という二段構造でよいからだ。
問題とその解決を描くと良い。
二幕のない、一幕と三幕である。
しかしこれは短い尺ならではのやり方であることを知った方がいい。
現実に考えると、それは安易すぎる解決だ。
逆に言うと、お手軽に解決出来るからCMになっている。
手軽に○○を買えるからだ。
現実には、何かを買ったくらいで解決しない問題のことのほうが多い。
買わないにしても、
二色団子とは、問題→解決の二段階しか構造のないものだ。

二段じゃあっさりすぎて詰まらない。
三段いる、というのが三幕構造理論である。


一幕と二幕で似たようなことをしがち、というのは、
初心者は二幕と一幕を、
「違うもの」にしようとしていないからだ。
例えば一幕を主人公の日常、
二幕もまた主人公の日常にして、
三幕だけ解決を描きがち。
一幕と二幕で似たようなことをしているから、
これは傍目から見れば、
ただの日常→突如解決、という二段構造にしか見えない。

三色団子に無理矢理するには、
無理矢理に、一幕と二幕で「違うもの」にするとよい。
一幕で日常を描くのなら、
二幕では非日常を描くこと。

非日常とは、慣れないことへの対応だ。
とっさにやったり、戸惑いながらやったり、
出来なかったり、冷静でなかったりする。
同時に、
工夫したり、勇気を出したり、大胆なことをしたり、
大失態をやらかしたり、リベンジしたりする。
日常というものはそうではない。
もっと退屈で、硬いものだ。
その差をつければつけるほど、
一幕と二幕は違うものになる。

場所を変えるのは見た目的によいことだ。

行動原理が違うのは当然だ。
一幕では目的はないが、二幕には目的があるのが違う。

目的があると、人は何でもする。
大胆になったり繊細になったりする。
普段の退屈で固定した日常では見せない顔になるのだ。



さて、
一幕では必ず事件を起こすこと。
日常から非日常へのきっかけは、事件である。
その事件はたいてい主人公の日常を破壊し、
解決へ乗り出さざるを得ない状態になる。
退屈で硬い日常ではなく、
第一ターニングポイントでその解決の旅へ乗り出すのである。

一幕では、
退屈な日常と、事件と、解決へ乗り出す、
の三つを描かなければならない。

「深夜のチェイス」では、
それは約1分で描かれていることに注意したい。
何気ないいつもの日常である、タクシーの休憩、
事件である、妊婦。
解決へ乗り出す、救急車の代わりに乗せてってやることと、
パトカーに見つかること。

たかが1分の間で、
必要最小限の実にタイトなセットアップになっている。


日常と事件を一幕とすれば、
二幕は全く違うものを描く。
展開だ。
展開といっても言葉で定義できないから、
「一幕と同じことをしない」というルールを課すといいだろう。
とくに5分なんて短いシナリオでは、
重要な新キャラを登場させないことだ。
一幕で全主要人物は出しておくべきだ。(多くて三人ぐらい?)

下手な人は、最初の状況を描いて、
二幕でも状況を描きがちだ。
二幕は行動である。
いつもの日常の受け身的な行動ではなく、
いつもの日常でない行動を取らなければならない。

つまり、二幕を描くには、
一幕がちゃんと、日常、事件、解決へ乗り出す、
の三つが出来ていないとダメなのだ。

それは、2時間だろうが5分だろうが同じである。
「深夜のチェイス」は、きちんとそれが出来ている例なので、
このように研究に値するのだ。

二幕を先につくるか、一幕を先につくるかは難しい。
一幕は三幕とテーマのラインで関係していなければならないし、
一幕と二幕はこのように日常と事件と非日常の関係がなければならない。
どこからつくればよいか?

順番につくると思わないほうが良い。
どこからか考え始め、別の幕を考え、また戻ったりして微修正し、
それを受けてまた修正し…を繰り返すものだ。

だから僕は紙に手書きで書くのだ。
どれがどれくらいになるか分からないから、
レイアウトをいくらでも柔軟に出来る手書きなのだ。
出来た、と思うまでぐにょぐにょしながら変形させていくのである。
このダイナミズムは、アナログならではだ。
そしてお話とは、アナログトゥーアナログの、究極の娯楽のひとつである。



さて、二幕についてもう少し突っ込んで見てみよう。
一幕とは違うもので、
非日常の、作品コンセプトになる、主体的行動の展開をだ。

続きます。
posted by おおおかとしひこ at 10:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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