2014年12月26日

5分シナリオの研究5: 二幕その2

二幕の話を、更に掘ってみよう。
三幕それぞれが全く違うフェイズの、楽しみを持っているべき、
というのが三幕構造だ。
一幕は日常に事件が起こり、解決へ乗り出す面白さ、
二幕は非日常世界で、作品のコンセプトになりそうな面白さ、
三幕は解決の面白さだ。

一幕と二幕を区別せず、
二幕でも一幕と同じことをしてしまう初心者は多い。
(きっとそういうシナリオは、起伏がないとか、
ずっと同じなのにラストが展開するだけと言われがち)
二幕と一幕で、違うものを書くことを勧める。

さて、今回は二幕を更に掘り下げよう。


二幕で多く見られるのは、
スプレッドである。
(スプレッドとはトランプのカードを広げる様をイメージするとよい)

あるアイデアの色んな見せ方のバリエーションのことだ。
「深夜のチェイス」では、
この作品のコンセプトの部分、すなわちチェイスについて、
「チェイスのバリエーション」を見せている。
車の走り方だけでなく、自力で走ったり、自転車に乗ったりだ。

展開しないと詰まらないから、
「だんだんエスカレートしていく」ようにしていくのがコツである。

逆に言えば、
二幕とは、
あるコンセプトに基づいた、
色んなバリエーションのアイデアが、
どんどんエスカレートしていく様を描くと良い。

それは状況が悪くなる方向へエスカレートしてもいいし、
良くなる方向でもいいし、
規模が大きくなっていくことでもよい。
「深夜のチェイス」では、
車対車から規模は小さくなるが、
個人の負担が大きくなるため、実質より規模が大きくなっている。


また、一幕で設定したことについて、
より深く描くこともやるとよい。

運転手が妊婦をルームミラーで見たり、
妊婦は苦しそうだったり、
警官がどう思って追っているかを描いたり出来る。

第一稿では、
警官が他のパトカーを無線で呼ぶ展開だった。
ミッドポイントで呼んだパトカーに囲まれ行く手を塞がれ、
タクシーはUターンして、別の道へ行ったがその先にも待ち伏せされ、
ついに公園に乗り付けて車を捨てる、
というミッドポイント(仮初めの敗北)が用意されていた。

複数台のパトカーを呼ぶ予算がないのと、
ラストは一人の警官の胸のうちにおさめる方がいいと思って、
このブロックをまるまるやめて、
炭酸プシューとか、ラーメンの小池さんよろしく、
人の家にお邪魔するコントっぽいのを追加して、
スプレッドの小ネタにしている。

これは5分の短編だから、
勢いで楽しめる方がいい。
テンポよくチェイスを重ねていくと見れるだろう。
ちょいちょい必死の運転手や妊婦や警官のアップを挟むだけで、
何となく彼らの思いに寄り添えるかもしれない。


二幕は長くなるので、
ミッドポイントを設定して二つに割るとやりやすい。
ミッドポイントはターニングポイントの一種だと思うとよい。
二幕前半と後半を、違う色の団子にするとよい。
「深夜のチェイス」では、
前半を車のチェイス、
後半を車に乗らないチェイス、で、
見た目的に二つに分割している。
(ミッドポイントは車を捨てる場面)
一本調子で飽きが来ないようにするためだ。

勿論事態が発展するのは構わない。

第一稿では警官が仲間を呼んでパトカーが増えたりしていた。
もう少し長ければ、妊婦は夫に電話したかも知れない。
ガソリンが切れたりパンクしたりのアクシデントもあり得る。
マスコミが嗅ぎ付けチェイスに加わる、などもよくある展開だ。
予算や尺があれば、いくらでも発展はあり得る。
今回は予算200万におさめることも考えた上で、
シンプルなストーリーラインにしている。

メインプロットはほぼ一本だが、
サブプロットを増やしてもいい。
夫に電話する、などはそのパターンである。
「ルール違反の爆走」「生まれそう」の二つに、
「夫が不在で仕事で徹夜中」などの別の話を加えるのだ。
今回は余計と判断したので、
サブプロットは加えていない。
あくまで運転手と警官の一対一に話を絞っている。



二幕を上手く描くコツは、ハラハラさせることだ。
具体的には、危険を仕込むのである。
そもそもチェイス自体が危険なものだが、
例えば交差点の酔っぱらいやコンビニなど、
ヒヤリとさせるのがハラハラのコツである。
現実でない、娯楽としての映画は、
ハラハラを楽しむものである。
死にそう、危険!ギリギリセーフ!
の連続であるほど面白い。
(全部セーフだろ、と思われない為に時々アウトを仕込むと、
また複雑に発展する。
例えば人を跳ねたらアウトだ。
流石に話がややこしくなるし、
テーマとも外れるので、普通のハラハラにしている。
これをはみ出すことや、そこからの落ちを考えることこそ、
クリエイティブな行為だ)

危険は、実は周到に一幕に仕込まれている。
「破水している」という状況だ。
これによって、どうしても急がなければならない、
という理由が出来るのだ。
説明してる暇はない、現場優先→誤解される
→誤解が解かれる、の流れは、危機のあるときのよくあるパターンだ。
映画の中で、何度「説明はあとだ!」や、
「納得のいく説明を聞かせてもらおうじゃないか」や、
「それなら先に言ってよね」が使われていることか。

危機は、行動を急がせる魔法である。
そして、映画とは行動(アクション)を描くものである。



また二幕は、一幕と三幕に比べ、
可塑性が非常に高い。

一幕と三幕はペアでテーマを表現するから、
自ずと固定してくるものだ。
特に切れのある落ちを思いついたら、
全てはそこに向かうように作るから、
三幕だけは動かし難くなってくる。
それ合わせで逆の状況を前ふる役目の一幕も、
三幕が固定すればするほど固定になってくる。

それに比べ、二幕は、
「一幕でも三幕でもない別の面白さ」を追求するべきなので、
いくらでも替えの効く部分なのだ。

勿論因果関係が破綻したら駄目だが、
滅茶苦茶にならない限りは、
展開を変えてもいいのである。

第一稿でパトカー集結させたのを、二稿で変えたのもそのひとつだ。

チェイスの小ネタは変えることも出来るし、
新キャラすら出すことが出来る。
自力で走るのをやめて、車対車だけで二幕を描ききることも、
ネタ次第で可能だと思う。
例えば屋台に突っ込んでのれんが前面に引っ掛かり、
前が見えないまま運転する、なんてネタも可能だ。
「メッセンジャー」でも使われた、高輪のガード下
(あまりにも天井が低く、車高の高い車は通れない)
を利用して、パトカーを振り切る小ネタもあるかも知れない。
(僕はどこかの坂でジャンプしたいので、
その場所が見つかればそれに書き換えるかも知れない)


面白くなる限り、因果関係が破綻しない限り、
ここはいくらでも書き換えることが出来るのだ。

第一ターニングポイント、第二ターニングポイント、
ミッドポイントを固定したら、それらは動かせない。
その間は、かなり可塑性がある。
それを覚えておくと、自由な発想が出来て、
より面白いものを考えつくことも可能になるだろう。

二幕の難しいところは、自由すぎることだと思う。
だから初心者は怖くなって、一幕を脱することが出来ず、
三幕に直結してしまうのかも知れない。



二幕は、定義的には「展開」である。
展開とは、最初の状況が、別のものに変わることであり、
それがまた別のものに変わることである。

それは細かいターニングポイントの数だけある。
多ければ目まぐるしい展開に、
少なければゆっくりした展開になるだろう。


もう少し、続けます。
一幕と三幕にまた戻って、テーマと変化の話に戻ります。
posted by おおおかとしひこ at 01:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック