二幕の話を、更に掘ってみよう。
三幕それぞれが全く違うフェイズの、楽しみを持っているべき、
というのが三幕構造だ。
一幕は日常に事件が起こり、解決へ乗り出す面白さ、
二幕は非日常世界で、作品のコンセプトになりそうな面白さ、
三幕は解決の面白さだ。
一幕と二幕を区別せず、
二幕でも一幕と同じことをしてしまう初心者は多い。
(きっとそういうシナリオは、起伏がないとか、
ずっと同じなのにラストが展開するだけと言われがち)
二幕と一幕で、違うものを書くことを勧める。
さて、今回は二幕を更に掘り下げよう。
二幕で多く見られるのは、
スプレッドである。
(スプレッドとはトランプのカードを広げる様をイメージするとよい)
あるアイデアの色んな見せ方のバリエーションのことだ。
「深夜のチェイス」では、
この作品のコンセプトの部分、すなわちチェイスについて、
「チェイスのバリエーション」を見せている。
車の走り方だけでなく、自力で走ったり、自転車に乗ったりだ。
展開しないと詰まらないから、
「だんだんエスカレートしていく」ようにしていくのがコツである。
逆に言えば、
二幕とは、
あるコンセプトに基づいた、
色んなバリエーションのアイデアが、
どんどんエスカレートしていく様を描くと良い。
それは状況が悪くなる方向へエスカレートしてもいいし、
良くなる方向でもいいし、
規模が大きくなっていくことでもよい。
「深夜のチェイス」では、
車対車から規模は小さくなるが、
個人の負担が大きくなるため、実質より規模が大きくなっている。
また、一幕で設定したことについて、
より深く描くこともやるとよい。
運転手が妊婦をルームミラーで見たり、
妊婦は苦しそうだったり、
警官がどう思って追っているかを描いたり出来る。
第一稿では、
警官が他のパトカーを無線で呼ぶ展開だった。
ミッドポイントで呼んだパトカーに囲まれ行く手を塞がれ、
タクシーはUターンして、別の道へ行ったがその先にも待ち伏せされ、
ついに公園に乗り付けて車を捨てる、
というミッドポイント(仮初めの敗北)が用意されていた。
複数台のパトカーを呼ぶ予算がないのと、
ラストは一人の警官の胸のうちにおさめる方がいいと思って、
このブロックをまるまるやめて、
炭酸プシューとか、ラーメンの小池さんよろしく、
人の家にお邪魔するコントっぽいのを追加して、
スプレッドの小ネタにしている。
これは5分の短編だから、
勢いで楽しめる方がいい。
テンポよくチェイスを重ねていくと見れるだろう。
ちょいちょい必死の運転手や妊婦や警官のアップを挟むだけで、
何となく彼らの思いに寄り添えるかもしれない。
二幕は長くなるので、
ミッドポイントを設定して二つに割るとやりやすい。
ミッドポイントはターニングポイントの一種だと思うとよい。
二幕前半と後半を、違う色の団子にするとよい。
「深夜のチェイス」では、
前半を車のチェイス、
後半を車に乗らないチェイス、で、
見た目的に二つに分割している。
(ミッドポイントは車を捨てる場面)
一本調子で飽きが来ないようにするためだ。
勿論事態が発展するのは構わない。
第一稿では警官が仲間を呼んでパトカーが増えたりしていた。
もう少し長ければ、妊婦は夫に電話したかも知れない。
ガソリンが切れたりパンクしたりのアクシデントもあり得る。
マスコミが嗅ぎ付けチェイスに加わる、などもよくある展開だ。
予算や尺があれば、いくらでも発展はあり得る。
今回は予算200万におさめることも考えた上で、
シンプルなストーリーラインにしている。
メインプロットはほぼ一本だが、
サブプロットを増やしてもいい。
夫に電話する、などはそのパターンである。
「ルール違反の爆走」「生まれそう」の二つに、
「夫が不在で仕事で徹夜中」などの別の話を加えるのだ。
今回は余計と判断したので、
サブプロットは加えていない。
あくまで運転手と警官の一対一に話を絞っている。
二幕を上手く描くコツは、ハラハラさせることだ。
具体的には、危険を仕込むのである。
そもそもチェイス自体が危険なものだが、
例えば交差点の酔っぱらいやコンビニなど、
ヒヤリとさせるのがハラハラのコツである。
現実でない、娯楽としての映画は、
ハラハラを楽しむものである。
死にそう、危険!ギリギリセーフ!
の連続であるほど面白い。
(全部セーフだろ、と思われない為に時々アウトを仕込むと、
また複雑に発展する。
例えば人を跳ねたらアウトだ。
流石に話がややこしくなるし、
テーマとも外れるので、普通のハラハラにしている。
これをはみ出すことや、そこからの落ちを考えることこそ、
クリエイティブな行為だ)
危険は、実は周到に一幕に仕込まれている。
「破水している」という状況だ。
これによって、どうしても急がなければならない、
という理由が出来るのだ。
説明してる暇はない、現場優先→誤解される
→誤解が解かれる、の流れは、危機のあるときのよくあるパターンだ。
映画の中で、何度「説明はあとだ!」や、
「納得のいく説明を聞かせてもらおうじゃないか」や、
「それなら先に言ってよね」が使われていることか。
危機は、行動を急がせる魔法である。
そして、映画とは行動(アクション)を描くものである。
また二幕は、一幕と三幕に比べ、
可塑性が非常に高い。
一幕と三幕はペアでテーマを表現するから、
自ずと固定してくるものだ。
特に切れのある落ちを思いついたら、
全てはそこに向かうように作るから、
三幕だけは動かし難くなってくる。
それ合わせで逆の状況を前ふる役目の一幕も、
三幕が固定すればするほど固定になってくる。
それに比べ、二幕は、
「一幕でも三幕でもない別の面白さ」を追求するべきなので、
いくらでも替えの効く部分なのだ。
勿論因果関係が破綻したら駄目だが、
滅茶苦茶にならない限りは、
展開を変えてもいいのである。
第一稿でパトカー集結させたのを、二稿で変えたのもそのひとつだ。
チェイスの小ネタは変えることも出来るし、
新キャラすら出すことが出来る。
自力で走るのをやめて、車対車だけで二幕を描ききることも、
ネタ次第で可能だと思う。
例えば屋台に突っ込んでのれんが前面に引っ掛かり、
前が見えないまま運転する、なんてネタも可能だ。
「メッセンジャー」でも使われた、高輪のガード下
(あまりにも天井が低く、車高の高い車は通れない)
を利用して、パトカーを振り切る小ネタもあるかも知れない。
(僕はどこかの坂でジャンプしたいので、
その場所が見つかればそれに書き換えるかも知れない)
面白くなる限り、因果関係が破綻しない限り、
ここはいくらでも書き換えることが出来るのだ。
第一ターニングポイント、第二ターニングポイント、
ミッドポイントを固定したら、それらは動かせない。
その間は、かなり可塑性がある。
それを覚えておくと、自由な発想が出来て、
より面白いものを考えつくことも可能になるだろう。
二幕の難しいところは、自由すぎることだと思う。
だから初心者は怖くなって、一幕を脱することが出来ず、
三幕に直結してしまうのかも知れない。
二幕は、定義的には「展開」である。
展開とは、最初の状況が、別のものに変わることであり、
それがまた別のものに変わることである。
それは細かいターニングポイントの数だけある。
多ければ目まぐるしい展開に、
少なければゆっくりした展開になるだろう。
もう少し、続けます。
一幕と三幕にまた戻って、テーマと変化の話に戻ります。
2014年12月26日
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