2014年12月27日

気負い

はじめて脚本を書く、
はじめて小説を書く、
はじめて女の子をデートに誘う、
なんでもはじめてのときは、
気負って失敗しがちなものだ。


はじめて脚本を書くときは、
何もかもが分からない。
色んな事に気負う。

まず原稿用紙のレイアウトに。
(独自のフォーマットファイルつくったりしてね)
柱の書き方に。
ト書きの凝り方に。
台詞の文学的言い回しに。
キャラとかストーリーラインとか舞台設定に。

それは、世間で言うレベルはこんなものだろうから、
最低限そうしたい、減点されたくない、
という良く分からないプレッシャーがあるからだ。

自分の書いたものが本当はどんなものであるかを、
ちゃんと認識せずに、体裁だけ整えてしまうのだ。

自分の気負いまくったものとプロの書いたものを比較すると、
プロは相当素っ気なく書いていることが分かったりする。
力点はそこではないと分かるまで、
まず時間がかかる。


お話は減点法ではなく加点法である。
気負いは、
ある一点を素晴らしくしようとすることよりも、
どこも減点されたくない、
と思うことから生まれる。

はじめてのデートで、その子をリード出来た記憶はない。
はじめて書いた脚本はどうだったか覚えていない。
(小学校5年だったかなあ)
はじめて書いた小説は、気負いが入ったと思う。
(未発表。二本目が「てんぐ探偵」)

気負いの入りすぎている文章や、
緊張している文章に魅力がある訳がない。

楽しい話は、テーブルで対面に座るのではなく、
カウンターで横に座ったり、
教室で椅子と机に座ったりしてリラックスして話すものである。
そんな風に話を書けたとき、
ようやくあなたの気負ってない魅力が、
あなたのお話から滲み出てくる。


脚本を気負って書いているうちは、
女慣れしていない、ぎこちないデートと同じだ。
友達と喋るように脚本を書けるのは、
脚本の書き慣れが前提である。
数を書くトレーニングは、そんなことも養える。
それらが基礎にあると、
はじめて書くジャンルでも、
いつも書いているジャンルに近づけて書くことが出来る。
(というか無意識に頼ったり、困ったけどこれなら出来ると
開き直ったりするのだけど)

それがその人の作風というのだろう。
つまり作風なんて無理して作るものではない。
気負ってる人に魅力を感じないのと同じで、
その人の自然な良さが出ないと、魅力とは言えないのではないかと思う。

あなたは人気者であるかどうかは知らない。
リアルで人気者の人がいい文章を書けるとも限らない。
リアルなんかどうでもよくて、
その文章の中だけでとても魅力的である人を、
作家と言うのだと思う。
(面白い作家は、たいていリアルでも面白い人だけど、
面白い人は必ずしも面白い作品をつくらない)



さて、随分気負わずに小説を書けるようになってきた気がします。
てんぐ探偵第四集、清書に入りました。
posted by おおおかとしひこ at 18:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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