はじめて脚本を書く、
はじめて小説を書く、
はじめて女の子をデートに誘う、
なんでもはじめてのときは、
気負って失敗しがちなものだ。
はじめて脚本を書くときは、
何もかもが分からない。
色んな事に気負う。
まず原稿用紙のレイアウトに。
(独自のフォーマットファイルつくったりしてね)
柱の書き方に。
ト書きの凝り方に。
台詞の文学的言い回しに。
キャラとかストーリーラインとか舞台設定に。
それは、世間で言うレベルはこんなものだろうから、
最低限そうしたい、減点されたくない、
という良く分からないプレッシャーがあるからだ。
自分の書いたものが本当はどんなものであるかを、
ちゃんと認識せずに、体裁だけ整えてしまうのだ。
自分の気負いまくったものとプロの書いたものを比較すると、
プロは相当素っ気なく書いていることが分かったりする。
力点はそこではないと分かるまで、
まず時間がかかる。
お話は減点法ではなく加点法である。
気負いは、
ある一点を素晴らしくしようとすることよりも、
どこも減点されたくない、
と思うことから生まれる。
はじめてのデートで、その子をリード出来た記憶はない。
はじめて書いた脚本はどうだったか覚えていない。
(小学校5年だったかなあ)
はじめて書いた小説は、気負いが入ったと思う。
(未発表。二本目が「てんぐ探偵」)
気負いの入りすぎている文章や、
緊張している文章に魅力がある訳がない。
楽しい話は、テーブルで対面に座るのではなく、
カウンターで横に座ったり、
教室で椅子と机に座ったりしてリラックスして話すものである。
そんな風に話を書けたとき、
ようやくあなたの気負ってない魅力が、
あなたのお話から滲み出てくる。
脚本を気負って書いているうちは、
女慣れしていない、ぎこちないデートと同じだ。
友達と喋るように脚本を書けるのは、
脚本の書き慣れが前提である。
数を書くトレーニングは、そんなことも養える。
それらが基礎にあると、
はじめて書くジャンルでも、
いつも書いているジャンルに近づけて書くことが出来る。
(というか無意識に頼ったり、困ったけどこれなら出来ると
開き直ったりするのだけど)
それがその人の作風というのだろう。
つまり作風なんて無理して作るものではない。
気負ってる人に魅力を感じないのと同じで、
その人の自然な良さが出ないと、魅力とは言えないのではないかと思う。
あなたは人気者であるかどうかは知らない。
リアルで人気者の人がいい文章を書けるとも限らない。
リアルなんかどうでもよくて、
その文章の中だけでとても魅力的である人を、
作家と言うのだと思う。
(面白い作家は、たいていリアルでも面白い人だけど、
面白い人は必ずしも面白い作品をつくらない)
さて、随分気負わずに小説を書けるようになってきた気がします。
てんぐ探偵第四集、清書に入りました。
2014年12月27日
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