「インターステラー」ようやく見てきたので。
映像と音楽と芝居は素晴らしい。
ゼログラビティ体験をした我々を、
更に唸らせる宇宙描写の数々。
しかし、脚本の不出来によって、
僕は6点止まりの評価しかしないと思う。
最大の問題は、この映画のテーマは何か?
が曖昧なことに尽きる。
(以下ネタバレ。なお、アニメ「四畳半神話大系」のネタバレもあり)
この映画のテーマは何だろう。
「親子の愛」ではない。
テーマは体現止めにしてはならない。
親子の愛は描かれたモチーフであり、
それを使って何を現したかがテーマだ。
主人公の最初の境遇を見よう。
冒険者であることを否定されている。
アポロは捏造だったと言われ、
科学的探求心や人類の進歩への寄与こそが、
彼のなし得たいことであるように描かれている。
逆境は明快で、冒険より農業だろ、という圧力だ。
これをひっくり返して何をなすか、
がテーマである。
僕は、主人公の最後の選択や行動がテーマを示す、
とよく言う。
何をしたか。
娘に五次元世界から信号を送り、
偶然ご都合主義で助かり、
アンハサウェイ救出に向かった。
ラストで一瞬僕は疑問に思った。
何故主人公以外の者が彼女を救出に向かわないのか。
彼の帰還するまでの何十年間、
ワームホールが安定していたとすると、
(そうでなければ説明なしに彼は旅立てないだろう)
人類は手をこまねいていたのだろうか。
NASAの人達は、12人の冒険者のあとに、続かなかったのだろうか。
プランAが無理だと分かったとしても、
人道的救助任務はあるだろうし、
第一他の可能性の探索もするだろう。
博士の死によって、移住計画(地球脱出計画)が全て停止する道理はない。
彼女は孤独で待っているだろうが、
そもそも主人公が目覚めた時点で、
次の探検隊がたどり着くほうが早いのではないか。
一見新世界のアダムとイブを暗示しておきながら、
何だか穴だらけだ。
(まさか、これも「愛」のテーマの一部と言うつもり?)
さて、とするならば、
娘に信号を送ったところが、
一番彼のテーマなのだろうか。
最初からの伏線の解消のどんでんや、あの空間を見て、
「四畳半神話大系」を思い出したのは僕だけではあるまい。
(主人公の住む四畳半が、CUBEのように、
ちょっとずつ違う四畳半が無限に並ぶのだ。
しかもそれは主人公があり得た可能性すべてなのだ。
この映画は多世界解釈ではないが、四畳半の場合、
どれを選んでも俺の人生は最高だった、と青春の迷いからの脱却をテーマにしているぶん、
ビジュアルとテーマが連動しているのである)
肝心のそこが、とても既視感のあるものだったため、
僕はついでに「アザース」も思い出していた。
あれ?じゃこの映画のテーマって何?
親子の絆は強い?
帰るって約束したらそれは叶うってこと?
SFアドベンチャーのモチーフで、
親子の情愛を描いたの?
親子の情愛を描くような第一幕ではなかったよ?
一幕は、科学的冒険心こそが大事である、
というテーマに落とそうとしてて、
親子の情愛の否定的状況はなかったよ?
テーマが親子の情愛だとしたら、
それに直接対応するのは、理不尽な別れのシーンである。
「理不尽な親子の別れを、取り戻す話」と、
ログラインが書けることになってしまう。
なんか小さい話じゃね?
そのへんがフワッとしてるのが、
この脚本の一番駄目な所だと思う。
ノーランは僕はずっと嫌いだ。
何だか面白げなシチュエーションを描くのは天才的だが、
落ちからテーマの部分が、いつもぬるいのだ。
メメントのテーマは?
インソムニアのテーマは?
プレステージのテーマは?
インセプションのテーマは?
何か一行書いてみると、
そのテーマに帰着するには無駄ばかり、
という話を延々作っている。
さて、ご都合主義が沢山あった。
ワームホールは誰が何のために?五次元の住人は何のために?
(まさかコスモクリーナー上げますよ、な、親切?
それとも未来人?となると、タイムパラドックスが生まれるが?)
何故主人公は事象の地平面で助かるのか?
何故主人公は偶然土星付近で拾われるのか?
ノーラン演出は、複数の場所で同時進行する危機をカットバックする、
ものがとても多い。
今回もそれに漏れずそんなオンパレードだった。
カットバックするのは、一個だけだと弱いからである。
その強い一個を作るのが下手なのである。
2001年宇宙の旅を越えたって?
寝ぼけてんじゃないよ。
2014年12月31日
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