2015年01月03日

後半は対決

ゴーンガールについては、対して書くことがないのだが、
(ヒリヒリするけど、結局なんやねん、
という、インターステラーと同じハッタリ作だ)
構成のパターンにははまっていた。

「問題を解決する」という過程において、
後半は対決になる、というよくあるパターンだ。

(以下ゴーンガールネタバレ)


二幕前半が主人公の奮闘を描くとしたら、
後半戦は、それと似たようなことをやっても飽きるので、
具体的な悪役をつくり、
それとの対決モードにして乗り切る、
というやり方がある。

(ブレイクシュナイダーのビートシートにおける、
ミッドポイント以降に現れる「迫り来る悪いやつら」に相当する部分。
僕は必ずしもなくてもいいと思うけど)

ゴーンガールでは、
このまま完璧な逃走さえすれば完全犯罪になったのだが、
隣にいたDQN女のせいで、
妻の歯車が狂い出す。
時間を測っていないが、ここがミッドポイントのような気がする。
妻は生きていた→夫vs妻という構図になった時点で、
以降は夫妻の対決ものに変貌するのである。

あとは妻が完璧な逃走にならないようにアクシデントを起こし、
カットバック法によって、
結局どちらが勝つのか、
という「間接的対決(競争)」に話の構造を変えていることがわかる。
実際に二人が対決している訳ではないが、
我々観客は神の視点で、
二人がそうと知らないうちに競争していることを楽しんでいる。

妻が帰ってきたのが第二ターニングポイントで、
第三幕は定石通り、直接対決となる。


上映時間が三時間と長いので、
ハリウッド的な伝統的三幕構成の尺割にはなっていないが、
二幕後半の考え方の参考として、例として覚えておくのも悪くない。



うーん、やっぱり詰まらない映画だった、
というのが率直な感想だなあ。
演出は上手いから見ちゃうんだけど、
で結局なんやったんや、という落ちが甘いのが、
最近多すぎないか?二連続だったからか?
posted by おおおかとしひこ at 02:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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