これ、大抵の物語分析家が、
素人にハッタリをかます道具になってる気がする。
(古典は、ウラジミール・プロップの、ロシアの魔法物語の分類)
一見違うように見える○と△は実は同じ話なんですよ、
というやつも。
むしろ、そこに見えるのは、物語の表面上の設定と、
プロットの差である。
登場人物の見た目、職業、年齢、性、性格や、
舞台設定、
登場する小道具の見た目、
を全て捨象してみよう。
人物ABC(分かりにくいので、主人公、友人、敵などの
役割で呼ばれる)など、
主人公の家、往来、秘密の場所など、
証拠、鍵、など、
見た目ではなく、物語上の役割に変換する。
このあと、因果関係(動機)と行動を記述する。
台詞も捨象し、行動に変換する。
(依頼する、断る、などに)
すると、
主人公は友人に○○の為に○○を頼む、
そのため○○は○○する、その結果…
などのような、
理由と行動のものが出来上がる。
つまり、プロットだ。
全く別の具体を持つ物語が、
実は似たようなプロットを持つことがある。
よく例で出されるのは、
ギリシャ神話の「ピグマリオン」と、
「マイフェアレディ」「プリティウーマン」「ニキータ」が、
殆ど同じプロットを持つ、という話だ。
金持ちの男が、
下層階級の女を見いだし、
それを自分好みの上流文化に染め上げ、
一流の女に仕立て上げる。
ここまでは同じだ。
そしてその女が自由に上流階級で泳ぐことに嫉妬し、
最後にはうまく結ばれる
辺りも伝統的に同じだ。
(ニキータは違う)
とすると、必ず、
主人公の男、ヒロイン、
上流の人(主人公の友人や仲間)、下層の人(ヒロインの友人や家族)、
という少なくとも4人の登場人物が必要だ。
後半二人は、実は作品によって個性や役割はバラバラだ。
これをプロットに含めないとしたら、
上記の作品は同じ物語と言えるし、
含めたら、同工異曲の範疇になる。
また、物語のクライマックス、
どのように結ばれるのかのプロットも、
各作品によって異なる。
マイフェアレディでは、自由に解放してやったものの、
あの日々が互いに忘れられない二人がいて、
吹き込みのテープを聞いて本心を知るのがクライマックスだし、
プリティウーマンでは、
「金で買う」ことを嫌ったヒロインに目が覚めた主人公が、
仕事でも敵対買収を辞め、
ヒロインに襲いかかった上流の男を殴り倒すのがクライマックスだ。
ニキータは忘れた。唐突にミッションクリアして「あいつ辞めやがった」みたいな
終わり方だったような。
僕はこれらの話を同じプロットだというには無理があると思う。
「中心となるアイデアと、中心となる人物と、
中心となる感情が同じである」は言えると思うが、
クライマックスの構造もテーマ(結論)も、
同じ物語とは言えないと思う。
つくる側からの視点で言えば、
同じ設定の構造と結論を持つ、一種の原型物語を、
巧みにアレンジして、
換骨奪胎してやった、
と主張したい筈だ。
それを同じ物語と断じるのは、あまりにも大雑把過ぎると思うのだ。
物語は○種類しかない、というのは、
大雑把に考えると、
「中心となるアイデア、中心となる人物の初期設定と、
結末の中心となる感情」が同じで、
そこに至るパターンはあれこれあっても、
同じ物語だ、と言っているようなものである。
我々はそんなことは、いつもやっている。
第○稿を書くときにである。
前の稿より面白くするために、
同じ設定から、より面白いストーリー展開にしたり、
ストーリーラインを増やしたり減らしたりしている。
バージョン違いといえばそれまでだが、
それは「同じ物語」だろうか。
あるいは、原作「風魔の小次郎」と、ドラマ版は、
「同じ物語」だろうか。
同じ物語だと言うためには、
どこが同じだと思うかが、問題だと思う。
風魔の両者においては、
登場人物の基本設定や舞台設定や小道具は全て同じである。
バトルの順番や生死も、
一部を除いてほぼ同じである。
壬生と陽炎の大巾改変を除いたとしても、
登場人物は深く深く掘り下げられている。
その深さが、原作から間違った方向に行ってない、
つまり、正しく掘ったことが、成功の要因だ。
同じ物語でありながら、
同じ物語ではなく、
なおかつ深くなっていて、
双方が二重にだぶりつつやはり違う物語だ、
という両者の巧みな関係は、
「同じ物語」と断ずる方が知性が足りないと思う。
まあ、細かい所を気にしなければ、
風魔の小次郎も、伊賀のカバ丸も、甲賀忍法帖もバジリスクも、
「同じ物語」だと言えないこともない。
物語は○種類しかない、なんて言説は、その程度だと思う。
むしろ、我々書く人間は、
プロットの骨格レベルから、
具体のレベルまで、
いつでも視点移動が出来なくてはならない。
細かい差異を比較しながらも、
大きな初期設定なども同時に見えなければならない。
両者は骨格において似ているのか、
両者は細かい所はどう違うのか、
両者の骨格における差は何か、
両者のディテールのパクりは何か、
両者の面白さの差は何か、テーマの差は何か、
そのような見極めが出来ないと、
単純に第○稿を仕上げていくことさえ困難になるだろう。
(何度も改稿して尚面白いのを書ける奴が本物だ)
物語は○種類しかない、は、
結局、網目をどの程度の細かさで世の中を見るか、
という尺度に過ぎない。
あなたはその尺度を、何段階にも持っておくべきだ。
2015年01月05日
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