2015年01月05日

どんな物語でも、付き合うのは数時間

あなたが何ヵ月かけて書いても、
あなたが何年かけて書いても、
消費は数時間である。

それは覚えておくといい。


どんなに名作でも、
数時間しか、人は付き合ってくれない。

観客はすぐに別の話のところへ行ってしまう。


あなたが物語をどのように消費しているか、考えれば分かる。

作者や関係者の苦労などおいといて、
毎日毎日、別の話を見て、
面白かったとか詰まらなかったとか言って、
次の日には別の話を見ている。
あなたの話はその中のたったひとつに過ぎない。

今まで食べたパンの数を覚えていない、
そのパンのひとつに過ぎない。

ある話に爆笑して号泣したら、それでおしまい。
次の日には別の話に夢中である。
パンを消費し続ける。
時々日記や記憶で、特別良かったり、
引っ掛かったものは、思い出してくれるかも知れないが。


良い話は人の口から口に伝わる。
波のように。
その波をブームというに過ぎない。
数が一気に来れば大ブームや社会現象だし、
実写風魔のように、いまだに語り草になったりする作品もある。

一過性の波になるか、未来永劫刻まれる波になるかは、
時の運と、作品の良さの組み合わせだ。

それにしても、
あなたの話は数時間一緒にいたら、捨てられる運命である。
本棚に置かれれば、読み返されることが一生なくても、
その記憶を大事にされるという程度だ。
人はパンの数ほどの物語と付き合うのだから。


どんな物語でも、
付き合ってくれるのはたったの数時間だ。

あなたは、その数時間の為に命を燃やすのだ。

とても虚しいし、とても素晴らしい仕事である。
posted by おおおかとしひこ at 14:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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