この話題で検索する人が毎日何人かいて、
このブログにたどり着くようなので。
標準的なフォーマットは他の記事を見てもらうとして、
それ以前の基本的な考え方を。
脚本は楽譜だ、と僕はよくたとえるのだが、
厳密には楽譜の条件を満たしていない。
台本は、時間に対する記法を持たないからだ。
例えばフェードアウトと言っても、
何秒でフェードアウトするかは台本に書いていない。
それは編集時に決める。
10秒なのか5秒なのか2秒半なのかは、
芝居で決まるからだ。
例えば歌舞伎の芝居における「間」は口伝である。
何秒、と客観的な指標はない。
(そもそも秒が輸入される前から、歌舞伎の台本はある)
そもそも日本の芸事は、
芝居の文脈で間を読み取るものだ。
芝居は生き物だから、
前までの間が変わっていたら、
今回も同じ間で答えるわけにはいかない。
そのときの最高の、遅すぎず早すぎない間で答えるのがベストだ。
その間が下手な奴は、勘が悪いという。
勘が悪い奴は、分からないから数字に頼る。
数字に頼ると生き物としての間ではないから、
益々勘が悪いと言われて首になる。
そして勘のいい奴だけが生き残る。
そのような淘汰が行われてきたのが、
日本の芸能の世界だ。
それを元々の下敷きにする、映画台本では、
間が何秒などと書かれることはない。
皆が文脈を読み込み、勘でやる。
それはあてずっぽうの勘ではなく、
その芝居の最も適切な間が、分かるようになっていくのだ。
照明のタイミング、カメラのタイミング、
音楽のタイミングなど、全て考え方は同じだと思う。
その間はないだろ、と監督が思えば調整はするけど。
第一、早口で喋れば、同じ原稿でも短くなるし、
(マシンガントークや、焦りを意味する芝居や、
テンポのいいラリー)
ゆっくり間を取れば長くなる。
(日本映画の間が長い原因は、貧乏でカットを割らないからだ。
長い台詞の間は、カットを割っていれば鋏を入れられるが、
ワンカットでは切れないからである)
ただ、いい間というのはある。
これは、厳密には編集で決めるのである。
その基準は簡単だ。
文脈を最も楽しめる間にすることだ。
全ては文脈が決める。
多少の解釈の個性はあるにせよ。
あなたがとても芝居が上手いなら、
ストップウォッチを片手に全部を演じてみるといい。
実は、何回やっても同じにならないことが分かると思う。
それぐらい、芝居の間は毎回変わるものである。
一人でやっても不安定なのだから、
複数の間でやると尚更だ。
稽古しまくった芝居でさえ、公演時間が10分ずれるなんてよくあることだ。
だとしても、例えばニュース原稿では、
読むスピードが一定だから、
文字数はおおむね時間に比例するだろう。
脚本の経験上のフォーマット、
400字詰め原稿用紙一枚が1分に相当、
というのはそうやって生まれてきた。
だが簡単に分かるように、
ト書きの書き方で、文字数は全然変わってくる。
細かく書くのか、簡潔に書くのかでだ。
「AはしばらくしてBを見る」と書くのか、
「Aは歩きながら辺りを見回し、Bを見ようとしない。
しかしその後Bを見る」と書くのか。
或いは台詞の中で、「…(間)…」と書くのか。
これらのスタイルが違うだけで、
文字数差の蓄積は物凄い違いになるだろう。
なるべく簡潔に書く、という作法なら、
第三の書き方が標準的だ。
しかし初心者は上二つのように書いてしまうだろう。
つまり、初心者が書く脚本程度では、
文字数と尺の一致なんて測れないのである。
熟練した脚本家の脚本なら、
1枚1分だ。間のことも分かっている。
(例えば我々CMディレクターは、
原稿を目で見て、15秒に適切に入るかどうか分かる)
初心者諸君は、文字数なんて気にせず好きなように書くことだ。
(たとえばビデオを回して実際に演じてみて、
三回やった平均でも出すことだ)
何百枚以上もの原稿用紙を埋めて、
スタイルが固定するまで試行錯誤してから、
はじめて文字数を気にすればいい。
コンテストに出すのならある程度気にするべきかも知れないが、
それよりも面白い話を書けることのほうが、
実は優先事項であることは、知っておいたほうがいい。
(小説の世界では厳密らしいが、
映像のシナリオでは、規定枚数は厳密でないと思う。
それは、やはりシナリオは中間生成物という、
ファイナル原稿の意識が希薄だからだと思う)
2015年01月07日
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