ログラインは何のために書くのか。
1. 執筆前に、全体像を見るため。
2. 執筆中に、全体像を見るため。
3. 執筆後に、未読の人を引き込むため。
この全てである。
執筆後に、ログラインを書くことは誰にでも出来る。
ある程度嘘をついてもばれないからだ。
予告詐欺やパケ詐欺と同様、
未読の人を巻き込むことにどんな手段を使っても構わない、
という人は後を絶えない。
出来れば淘汰されて欲しいけど。
執筆後のログラインが、作品の本質をズバリ表していて、
なおかつヒキが強い、それだけで魅力溢れる作品になるためには、
最初の段階のログラインからそうで、
最終稿までそれがぶれなかったときに限ると思う。
(勿論例外はあるだろう)
最初に構想していたログラインが、
執筆中に微妙にずれていくことはよくあることだ。
それを、最初に戻すのか、
それともノリに合わせてログラインそのものを修正するかは、
判断にいつも迷う。
最初に軌道修正するなら早目に判断するべきだし、
当初の目的を忘れるなら羽目をはずした方がいい。
それは道に迷うときと同じだ。
後者の場合、ハチャメチャになってダメなこともよくあるけど。
その時は、当初から外れはじめたところまで戻って、
(もはや大分最初の方だろうけど)
当初のルートを行ってみることをオススメする。
いいノリで上手くいくことが多い。
いずれにせよ、ログラインとは、
最初に、途中で、客観的になるための道具である。
執筆中には、キャラの心情や、伏線の具合や、
進行のリアリティーなどに気を取られ、
「そもそもこれは何のための話か」が、
見えていないことが多々ある。
それに照らして、今どこのパートを書いているか意識することは、
とても重要だ。
あとあとこうするつもりだから、今こうしておく、
などをついつい忘れて、今のノリに引っ張られてしまうからである。
或いは、書いている途中に、
最初に立てたログラインは、
まだまだ作品の本質にたどり着いていなかったのだ、
と思うこともある。
その時は、ログラインを書き直すとよい。
例をひとつ。
小説版「てんぐ探偵」の当初のログラインは、
「妖怪が見える少年が、天狗の力で、
新型妖怪『心の闇』を退治する」だった。
ベタな妖怪退治ヒーローフォーマットだ。
その敵が特殊、というパターンだと考えていた。
ところが、書き進めていくうちに、
「天狗の力の少年が、心に闇を抱えた人と出会い、
その人に平常の心を取り戻させる話」
とログラインを書き直したほうがいいと思った。
極端には、
「心に闇を抱えた人が、てんぐ探偵という少年と出会い、
平常の心を取り戻す話」と、
宿主側を主人公に書き直してもいいのではないか、
とすら思っている。
(ゲストの問題をレギュラーが解決する話は、
ゲストが主人公だ。
レギュラーであるシンイチには、大きな問題がある。
サッカー選手と妖怪退治のノーブレスオブリージュについては、
15話で描いた)
こうすると、何を大事にして話を書いていけばいいか、
明確になってくる。
問題が解決する瞬間を最もクライマックスに持ってくること、
すなわち「心の闇」が外れる瞬間だ。
そこで宿主が心から言う台詞こそが、
心の闇を祓う言霊になるのだな、ということに、
なんとなく気づいて来たのだ。
これは現在進行形で、今後どうなっていくかは分からないが、
ログラインとの付き合いかたの参考になると思って、
ばらしてみた。
自分が本当は何を書いているのか?
それが最初から分かって、
途中でもぶれず、
最後に太い魅力的なログラインで終えることは、
とても難しい。
それは、なかなか客観的になることが難しいからだ。
事件は現場で起こっていて、会議室から指示を出すものではないからだ。
客観目線として、ログラインを活用するのは悪くない。
この話は、何?
迷ったら(迷ってなくても)、常にそこを明らかにするべきである。
2015年01月11日
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