2015年01月11日

ログラインは、最も客観目線に立つための道具

ログラインは何のために書くのか。

1. 執筆前に、全体像を見るため。
2. 執筆中に、全体像を見るため。
3. 執筆後に、未読の人を引き込むため。

この全てである。


執筆後に、ログラインを書くことは誰にでも出来る。
ある程度嘘をついてもばれないからだ。
予告詐欺やパケ詐欺と同様、
未読の人を巻き込むことにどんな手段を使っても構わない、
という人は後を絶えない。
出来れば淘汰されて欲しいけど。

執筆後のログラインが、作品の本質をズバリ表していて、
なおかつヒキが強い、それだけで魅力溢れる作品になるためには、
最初の段階のログラインからそうで、
最終稿までそれがぶれなかったときに限ると思う。
(勿論例外はあるだろう)


最初に構想していたログラインが、
執筆中に微妙にずれていくことはよくあることだ。

それを、最初に戻すのか、
それともノリに合わせてログラインそのものを修正するかは、
判断にいつも迷う。
最初に軌道修正するなら早目に判断するべきだし、
当初の目的を忘れるなら羽目をはずした方がいい。
それは道に迷うときと同じだ。

後者の場合、ハチャメチャになってダメなこともよくあるけど。
その時は、当初から外れはじめたところまで戻って、
(もはや大分最初の方だろうけど)
当初のルートを行ってみることをオススメする。
いいノリで上手くいくことが多い。

いずれにせよ、ログラインとは、
最初に、途中で、客観的になるための道具である。
執筆中には、キャラの心情や、伏線の具合や、
進行のリアリティーなどに気を取られ、
「そもそもこれは何のための話か」が、
見えていないことが多々ある。
それに照らして、今どこのパートを書いているか意識することは、
とても重要だ。
あとあとこうするつもりだから、今こうしておく、
などをついつい忘れて、今のノリに引っ張られてしまうからである。

或いは、書いている途中に、
最初に立てたログラインは、
まだまだ作品の本質にたどり着いていなかったのだ、
と思うこともある。
その時は、ログラインを書き直すとよい。

例をひとつ。
小説版「てんぐ探偵」の当初のログラインは、
「妖怪が見える少年が、天狗の力で、
新型妖怪『心の闇』を退治する」だった。
ベタな妖怪退治ヒーローフォーマットだ。
その敵が特殊、というパターンだと考えていた。

ところが、書き進めていくうちに、
「天狗の力の少年が、心に闇を抱えた人と出会い、
その人に平常の心を取り戻させる話」
とログラインを書き直したほうがいいと思った。
極端には、
「心に闇を抱えた人が、てんぐ探偵という少年と出会い、
平常の心を取り戻す話」と、
宿主側を主人公に書き直してもいいのではないか、
とすら思っている。
(ゲストの問題をレギュラーが解決する話は、
ゲストが主人公だ。
レギュラーであるシンイチには、大きな問題がある。
サッカー選手と妖怪退治のノーブレスオブリージュについては、
15話で描いた)

こうすると、何を大事にして話を書いていけばいいか、
明確になってくる。
問題が解決する瞬間を最もクライマックスに持ってくること、
すなわち「心の闇」が外れる瞬間だ。
そこで宿主が心から言う台詞こそが、
心の闇を祓う言霊になるのだな、ということに、
なんとなく気づいて来たのだ。

これは現在進行形で、今後どうなっていくかは分からないが、
ログラインとの付き合いかたの参考になると思って、
ばらしてみた。



自分が本当は何を書いているのか?
それが最初から分かって、
途中でもぶれず、
最後に太い魅力的なログラインで終えることは、
とても難しい。
それは、なかなか客観的になることが難しいからだ。
事件は現場で起こっていて、会議室から指示を出すものではないからだ。

客観目線として、ログラインを活用するのは悪くない。

この話は、何?
迷ったら(迷ってなくても)、常にそこを明らかにするべきである。
posted by おおおかとしひこ at 01:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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