2015年01月12日

テーマを難しく考えない方がいい

あんまりテーマの事を考えすぎると、
宗教になってしまう。

あるいは既存の価値観を壊すテーマこそ素晴らしいという、
アンチテーマ主義になってしまう。

どちらも対して面白くない。


昔の説話物語は、
大抵が仏教説話である。
悪いことすると地獄に落ちるとか、
良いことをすると仏に誉められる、とか、
分かりやすく仏教の教えを物語形式にしたものが多い。

仏教に限らず、物語形式で親しみやすくして布教するのは、
古来からある考え方だ。
それは神話から、新興宗教まで様々だ。
(エルカンターレという映画さえつくるしゅうだんもいる)

だが、それを言わんがための物語、とばれてしまうと、
お話は途端に面白くなくなる。
プロパガンダだとばれてしまうと、人は興味を失う。
(信者とはよく言ったもので、
それらを無批判に信じる一定の人達がいることは事実だ)

だから、
ただ正しいことや、
ただそれを全否定することや、
特定の宗教のヘンテコな教え(それは俺教も含む)を、
テーマにするべきではない。

人はあるテーマを突きつけられて、
それが今の世の中で本当らしいことかどうかは、
直感的に判断するものだ。
どう考えてもヘンテコならば、嘘だろそれと思うのだ。

テーマに選ぶべきは、
「なんとなく本当っぽいこと」がよい。
全員がなんとなく本当だろうな、と思っていて、
しかもまだ定説になっていない、微妙なものがいい。
しかもそれが、
従来の定説の新バージョンであったり、
従来の定説を覆すものであると、
更に良い。

この絶妙なテーマ選びが出来れば、
あなたは半分勝ったようなものだ。


実際には、説教くさいテーマになるくらいなら、
モチーフの面白さに逃げると言いだろう。

例えばどうでもいい諺を、
全く斬新なモチーフや絵面で表現出来れば、
それは斬新な物語になりうるだろう。

(お笑いの大喜利でもよくある。
「ぬかに釘」を現代的に書き直してください、とかだ。
「既読無視にもう一通送る」にモチーフを書き換えるだけで、
現代的なショートフィルムのネタになると思う)


テーマはあなたの主張ではなく、
それを言われると、なるほど、と思えて、
そうだと俺も思っていたんだよ、言葉にしてくれて有り難う、
と思えるぐらいのものが一番いい。
そういう意味で、あなたは宗教家ではなく、
集合的無意識を探る人になるべきだ。

勿論、既に受けたテーマを真似するのは、
オリジナルを作る者として言語道断だ。

「受けそうにないテーマ」が世の中にあるのは、
それは集合的無意識の中に希薄だからだ。
まだ発掘されていない、集合的無意識を探すべきだ。


テーマを決めることは、多分一番難しい。
慣れないうちは他人のテーマを自分なりに書き換えるのがよいが、
全く0からテーマを見つける訓練も、同時にしたほうがいい。
考えすぎると宗教になるから、
ふっと思うことが多分正解だ。
(技術習得は誰にでも出来るが、
そういう嗅覚だけは天性のような気もする)
posted by おおおかとしひこ at 15:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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