2015年01月13日

強調する所を変える

平凡なプロットも、書き方次第で面白くなる3。

ストーリー要素の、どこを強調するかで、
見た目の印象は大きく変わる。


実写風魔の例で。

原作風魔を実写化する際に、
何を強調するかを、真っ先に考えた。
原作の強調点は、バトル(忍術バトル、聖剣バトル)だ。
しかし、バトル続きの原作をそのまま描いても、
プロレス中継と変わらなくなってしまう。
それは多分面白くならない。
(ジャッキーチェンのカンフーシーンのみ集めたビデオを作ったら、
すぐ飽きた、という昔話はしたと思う)
それに予算がない。
5分ぐらいなら殺陣やCGも使えるだろう。
ウルトラマンが3分しか戦えないのは予算の都合である、
という業界話を僕は知っていたから、
そこはハイライトにはなるが、
残り25分、何かを強調しなければならないことを直感していた。
それは何かと言えば、ドラマだ。

ハイライトのバトルに至る、
思いとか事情の強調により、バトルが映えると直感したのだ。
(「Pride」の前口上煽りVが僕は大好きだったから。
そのようなものが描ければ最高だと思っていた。
特に後半戦のバトルには、そんな重みが乗るようにした)

だから実写風魔の強調点は、ドラマだ。
その詳細については監督メモに詳しい。

ドラマといっても色々ある。
しかしドラマの構造は基本通りだ。
前提(問題点)があり、テーマがあり、三幕のクライマックスに向けて成長していくことだ。
とくに高校生を主人公にするわけだから、
テーマはアイデンティティーになるに決まっている。
大きなテーマの枠は、小次郎の「自分とは何者になるのか」である。
(だから、忍者でも高校生でもない人が、感情移入出来るのである)


さて、てんぐ探偵を例に。
当初、僕は「心の闇」を強調するべきだと思っていた。
だが心の闇は毎回変わるし、人によってイメージが一定しない、
不定形なところが、とらえどころがないと気づいた。
(それが心の闇の怖いところで、魅力なのだが)
そこで、最近は闇よりも、それを焼き尽くす「火」を強調したほうが、
ピリッとしているのではないかと思い直している。

毎回表紙に書いているキャッチコピーは、
  「心の闇」を、浄火せよ。
だが、「」の位置を変えて、
  心の闇を、「浄火」せよ。
にしたほうが、イメージが立つような気がしているのだ。
強調点を変えるとは、そのようなことを指す。
(だからと言って一話から書き直すのはまた今度にして、
今はその方針でしばらく書いてみようと思うのだけど。
「火よ、在れ」という新しいワードは、それを意識し始めた証拠だ)

何故なら、心の闇は抽象であり、火は具体的だからだ。
得体の知れないものよりも、得体の知れてるもののほうが、
イコンになりやすいからである。



強調は、執筆時よりも、リライト時に威力を発揮する。
ある物語のイメージの輪郭がハッキリしないなら、
記憶に残るようなものを、強調するとよい。
何かを強調するということは、
何かを弱めることでもある。
何かを捨てたり省略することで、何かが強調され、
それによって全体がハッキリしてくる可能性もある。

これは、試行錯誤というよりは、
どう分析するかという客観力がいるような気がする。
ある程度全体や、周囲の状況が見えていないと分からないことかも知れない。


強調は、また、編集でやることもある。
既に撮ったものをさらに強調することは出来ないので、
他のものを省略することで強調する。
大体、それで物足りないと思っているから他を足して誤魔化しているので、
残ったものが丸裸になってカッコ悪くなることもある。

編集でカットするのは、良くなかったものを削除することもあるが、
残したものを強調するためのこともあるのだ。

映画「いけちゃんとぼく」では、
「夏休み最後の日」という削除されたシークエンスがある。
セル版で確認することが出来る。
「ぎゃふんと言わせる」というヨシオの目的が達成され、
あれだけ嫌がっていた学校で、タケシたちと再会の約束をする、
という、いじめられっ子ストーリーの帰結として重要なシーンなのだが、
この映画のハイライト、「いけちゃんとの別れ」を強調するため、
泣く泣くカットした。
言葉で言わなくても分かる、という主張もあるし、
言葉で見たい、という主張もあると思う。
いまだにこの決断は正しかったのか、迷っている所である。
(これを残すために冒頭のネタバレシーンを切るべき、と僕は主張したが、
最終決定権はプロデューサーにあった。
冒頭を残すなら、対になる別れのシーンを強調すべきだからだ)

このように、何を強調するか、は、
作品の質すら変えかねない、重要な判断である。
それは、この作品の本質は何か、ということと、
この作品のどこを強調すると魅力的に見えるか、
というプレゼンテーション上の駆け引きも含むからだ。
(CMの編集では、それをどちらも繋いでみて上映して判断する習慣がある。
所詮30秒だし。
映画の編集で二種類見るのは4時間を要するので、
滅多に出来ることではない。全て頭の中の想像力で、判断するのだ)


編集では、カットするか残すかを選択するしかないが、
脚本段階では、足すことや変えることも可能である。
既に書いた原稿を足し引きすることはリライトの過程でよくあることだ。
それは、何を強調するかを試すことでもある。

しかし、書き上がったそれのリライトは大変なので、
プロット段階が一番可塑性が高いこと、
さらに言えば構想段階であることは、
覚えていたほうがいい。

あるプロットを見たとき、
これを強調して書けば一番いい、
と判断できる人はなかなかいない。

それは、強調の訓練と経験がないと出来ないことだからだ。

あなたのプロットが平凡なとき、
何かを強調することで、より魅力的になることはよくある。
色々と試してみてほしい。
posted by おおおかとしひこ at 11:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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