ずっと前の議論を蒸し返すようだけど。
ハリウッドのメイキングは、業界を目指す人むけだ。
俳優もスタッフ扱いし、
「このスタッフがこの作品を作る上で、
何をどのように考え、どのような工夫をしたか」
というプレゼンテーションと、そのドキュメンタリーだ。
日本のメイキングは、芸能人ファン向けの、
ファンサービスである。
芸能人が本番以外どういう顔をしているかの、
オフショット集でしかない。
ハリウッドと日本のそれは、用途が違う。
ハリウッドのメイキングは、業界を志す人達を増やし、
業界に憧れる人を増やすため。
日本のオフショット集は、本編のオマケ(つまりサービス)として、
本編の売り上げを増やす道具として。
志が違うのである。
日本でサービスというと、
無料で提供される部分を指す。
欧米でサービスというと、
無料で提供される以上の、有料の追加部分を指す。
(日本では、大体オプションと言われるよね)
だから、日本のメイキングという名のオフショット集は、
ファンサービスであり、サービスだから、
予算が出ない。
つまり、本来本編だけしか予算が出ないものに対して、
誰かが身銭を切ってやっている。つまり赤字だ。
俳優だって集中したい時にオフショット用の営業スマイルをしなければいけないから、
撮影の邪魔だ。
日本のメイキング班は、撮影の邪魔にならないように、
「盗み撮り」をしなければならない。しかもタダで。
撮影現場が余剰人員を抱えていれば誰かが盗み撮りカメラを回すが、
実際にはスタッフはかつかつで、足りないぐらいだから、
使えない下っ端を連れてきて、
お前は現場を見れるかわりにオフショットを盗み撮りしとけ、
と指示されて、何にもわかってない若いのが、
何を撮っていいか分からないまま盗み撮りしてくる。
本編の編集室を赤字で借りて、それらは編集される。
単なる盗み撮り集をだ。
僕はこれをメイキングというには、
メイキングドキュメンタリーを作っている人たちに失礼だと思う。
メイキングというのは、
「その作品がどのようにして作られたか、
キーマンに取材し、現場で何が起こっていたか、
明らかにすること」だ。
風魔に話を戻せば、
原作の車田正美先生、当時のジャンプ担当者、
先行者であるアニメスタッフ、
そもそも実写化の話を立ち上げた船田P、
東宝アニプレックスソニーコスパティオなどの製作委員会が、
プロジェクトのキーマンである。
作品本体のキーマンは僕と市野さんを含め、
カメラマンの菊地さん、照明の井上さん、美術の平井さん、
シリーズ構成と市野回脚本の伊藤さん、
音楽の浅倉さん、CGの豊さん、
助監督の本多さんと山脇君、制作部の佐藤さん、
そして俳優陣と衣装部メイク部である。
これらの人々が、何を狙い、何をどのように考え、
作品を作り上げたのか、一体何が起こっていたかを明らかにすることが、
作品のメイキングだ。
原作のキャラクターやストーリー性をどう考え、
実写としてどうやって作ったか、が、メイキングの主軸になるはずだ。
その基本的な考えは監督メモに記した。
メイキングというのは、その考えのもとに、
各スタッフがどのように考えていたか、
つまり、あれはどうやって作ったか?に答えるものであるべきだ。
(失敗したことだって記録していい。
例えば「ザシャア」の効果音を何回も試して、上手く行かなかったこと、
車田バックに挑戦して失敗したことなど)
日本のメイキングは、そのようなものを作らない。
実質はファンサービスの、
芸能人のオフショット集に過ぎない。
芸能人は、カメラの前では芸能人であるが、
カメラの外では芸能人ではない。
その素顔を見たいという除き趣味を満足させるものが、
メイキングという名のオフショット集だ。
何故メインヒロイン姫子、サブヒロイン蘭子さん、
敵の首領夜叉姫、両陣営の要となる絵里奈、
オイシイ役所の魔矢さん、のメイキングがないのか。
何故女優と俳優が談笑している現場の記録が含まれていないのか。
何故俳優と女性スタッフが談笑している現場の記録が含まれていないのか。
何故名作10話を演じる上で、俳優女優たちは何をどのように工夫したのか、
インタビューがないのか。
それは、メイキングではなく、オフショット集だからだ。
現場でイケメン同士が絡んでいる所だけを、
選んで抜き出したからだ。
確かに男子校のような、和気あいあいとしたヤロー現場だった。
ヤローが集まって話して仲良くなるのは、
何千年前からも同じ、趣味の話か女の話だ。
撮影現場は、鉄火場や狩りの場と、基本的に変わらない、
女子禁制の場である。
女に余計な気を使っていたら命を落とす場だ。
それは一切オフショット集には使われていない。
「女が見て喜ぶイケメン同士の絡み」を、
皆相澤さんカメラの前でサービスしただけである。
特に八代(兜丸)は出番が少なかったので、
サービスが沢山あっただけだ。
それは俳優から見れば、
「カメラが二つある現場」ということに過ぎないのだ。
単なるオフショット集を、メイキングと呼ぶのは、
やめた方がいい。
しかし釣りのオマケという需要の為に、
これからもタダで作られるオフショット集は、
現場を圧迫し、作品のクオリティを下げるだろう。
そろそろ時効なので言うが、
聖剣編の企画が頓挫したひとつの理由に、
メイキング予算が出ずに、
本編とメイキング(という名のオフショット集)予算込みで、
夜叉編より安い値段で次を作ってくれ、
というオーダーを、プロデューサーが断ったことがある。
僕はものづくりをする人間としてプロデューサーの判断は正しいと思う。
オーダーする人間は、
どこまでもサービス(無料の)を求める。
オーダーする人間は、
中身なんて関係なく、売れりゃなんでもいい。
我々制作者は、そんなスポンサーをだまくらかして、
制作費を掠めとるのも仕事だが、
聖剣編を同じ予算で作れというのも無理だし、
何百万ものメイキング予算を本編から更に取られるのもお断りだ。
聖剣編頓挫は、予算の無さに尽きるのだ。
オフショット集に金を出そう。
本編とオフショット集、二本買うべきだ。
そうでなければ、ペイしない。
その予算をプロダクションが自腹で払うから、
プロダクションは潰れていくのだ。
(風魔のプロダクション、ゼネラルエンタテイメントの倒産は、
風魔のせいかどうかは分からない。
しかしその後の三本を見る限り、
或いは「俺達は天使だ!」の苦しい台所事情を見る限り、
色々と予算を切られて行ったことは目に見えるようだ)
メイキングの話に戻そう。
何をどのように工夫したのか、という(本来の)メイキングは、
業界を目指す人を育てる、長期的な投資だと思う。
僕が脚本論を書き続けているのも、
十年先に、ちゃんとした脚本家が増えてほしいし、
受け取る側の人も、どこまでが脚本の仕事かを知ってほしいからだ。
(突然こんなことを書いたのも、
昨日まで本来のメイキングの仕事をしていて、
バカな若手が盗み撮りした使えない絵を、延々と捨てていたからだ。
結局僕がわざわざ追加撮影する羽目になったメイキングだ)
ただ酒や料理を味わうよりも、
それがどうやって作られているか知ると、
十倍ぐらい美味くなるものだ。
(下手な知識は蘊蓄という駄目なものになるけど)
映画やドラマを愛するのなら、
それがどうやって作られているか、知っておくといい。
メイキングにこそ、意味はある。
オフショット集は、別料金に課金するべきだ。
課金が無理ならあなたは二本買うべきだ。
そうしないと、還流しない。
還流しないと、痩せてゆく。
ビッグバジェットのブロックバスターしか生き残れない世界になる。
若い才能が益々出にくくなる悪循環を、
なんとか止めたいものである。
2015年01月14日
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