2015年01月14日

強いプロットと弱いプロット

弱いプロットというワードで、
ここにたどり着いた人がいるようで、
面白い言葉だと思ったので書いてみる。

強い弱いがプロットにあるかどうか。


要するにプロットが弱いというのは、
話が面白くないというのと同義だと思う。

じゃあお話のプロット以外の要素ってなんだ、
という話になる。


プロット、キャラクター、独自の世界設定、
テーマあたりではないかと思われる。

プロットが弱いというのは、
他の要素に比べて、プロットに魅力がない、
と言われているのだ。

じゃあ強いプロットって何か。
キャラクターが適当でも、
世界設定が薄弱でも、
テーマが大したことなくても、
魅力的なプロットだ。

プロットとは、事件と解決とその道筋だ。


プロットだけが面白くて他は大して、
の例は何かあるかと考えたが、
あまり思いつかなかったので、
組み合わせの例を。

「ターミネーター1(特別編じゃないほう)」、
「ジュラシックパーク1」を例に話をしてみよう。

「ターミネーター」は、
「敵が未来からタイムスリップしてきて、
将来のリーダーを産む女(恋人もいない)を、
殺しに来る」という基本アイデアが面白い。
(これを独自の世界設定に含むかどうかは微妙なライン。
世界設定とは、未来世界のスカイネットや戦争と考えたほうがいいと思う)

事件とは、未来から派遣された不死身のロボットから逃げ切ること、
解決は、逃げ切った上で、未来のリーダーを妊娠することだ。
その道筋は、ひたすら逃げることと、
未来から助けに来た男とセックスをし、
その男がリーダーの父親だったと分かることだ。

これだけで既に面白そうな話だ、
と言えることが、強いプロットということではないかと思う。

実際には、追ってくるロボット、ターミネーターが、
強烈なキャラクター的魅力に溢れているので、
プロットだけ強い例ではないけど。


「ジュラシックパーク」も、
基本アイデアが面白い。
「琥珀に閉じ込められた蚊は、恐竜の血を吸っていた筈だ。
その血液サンプルから恐竜のDNAを復元、
現代に恐竜の公園をつくる」
が抜群だ。
美しい琥珀の絵、そこに数万年閉じ込められた蚊。
それが恐竜の血を吸っていたという想像力。
これはやはり世界設定というより、根本になるアイデアだと思う。

世界設定とは、実際にそこから恐竜の肉体を作り出す架空の技術や、
恐竜の公園ジュラシックパークを、どうやって実現し、
営業するかという部分だと思う。

事件は恐竜の公園が出来たが、
台風によって制御不能に陥ったこと、
解決はその島から生きて脱出することだ。
経緯は、全てその迷路からの脱出、となる。

監督スピルバーグは、デビュー作「激突!」で、
不気味なトレーラーと人のチェイスを描くだけで話を成立させた、
ストーリーテリングの達人である。
凡庸な監督がやるなら薄そうな中盤も、
スピルバーグがやるなら、
ということで強いプロットが保証されたのだ。

このプロットの強いところは、
島が嵐に遭い制御不能になるところだ。
制御されていない恐竜の原始的恐怖がモチーフになる。
とても上手い。
(誰もが考えるモチーフだが、技術の進歩が追いついた、
そしてCGが決定的な役割を果たした、歴史的作品でもある)

逆に、プロット以外の要素、キャラクターは弱い。
どういう人間がいたか、記憶に残らない。
恐竜のキャラクターはとても魅力的だったけど。


どちらの作品も、
「追われる」という、原始的な面白さを核にしていることに注意しよう。

たった一言で言い表せる、
とても強い言葉が、強いプロットの核にいるのだ。

殺す、愛する、復讐する、裏切る、破壊する、生まれる、
などが、原始的で強い言葉だ。
他にもあるだろうけど、そんなに数はないだろう。


もしあなたのプロットが弱いとしたら、
これらに属さない話であると考えられる。
「誰かにありがとうと言われて嬉しかった」とかの、
強い言葉ではない話なのかも知れない。

強い原始的な言葉に、
「正義が悪を倒す」は入っていない。
正義や悪は、その言葉や概念を覚えないと分からない、
文化的なものだ。
文化は弱い。
原始的で強いということは、言葉を介さなくても通じるレベルのことである。

あなたは元猿である。
あなたは元原始人である。
人類に最初言葉はなかった。
それでも通じる、原始的な感情こそが、
強いプロットの中核にいることだ。

例えば言葉の通じない外国へ行った経験のある人は、
そこで起こった劇的な出来事を思いだそう。

原始人と原始人の間で通じる、言葉の要らない、
原始的な感情、事件、解決が、
一番強いのだ。


僕はずっと漫画「自殺島」「セスタス」を推しているが、
これらは原始的な感情を現代に描いている、
面白い試みであると評価している。


もし無人島にいったら。
言葉の通じない国(星、世界)へいったら。
そこで起こることは、原始的で強い可能性がある。
それを、身近な所で描けば、
現代でも通じる、強いプロットになるかも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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