2015年01月16日

憧れるのか、なりきるのか

感情移入の話。

なりきるのが正しい。
憧れさせるのは、間違い。


少なくとも主人公一人、
出来れば様々な登場人物にも感情移入させるのが、
正しい感情移入の方法だ。
それは、「その人になりきること」が出来るかどうか、
に関係している。

問題が分かっていること、
その人の事情や立場や、感情や動機が分かっていること、
がその条件だ。
出来ればその人固有の特徴があると、
真似しやすくなりきりやすい。
(キャラ立ちは、真似しやすくするためだ。
沢山真似しやすいパターンのキャラがいることが、
キャラの立った世界と言うことだ)


なりきることは、演技の基本である。
演技の上手下手は置いといて、
演技をするためにまず必要なことは、
事情や動機、背景、固有の感情などだ。
それを押さえずに演技をすることは出来ない。
押さえてやらないのは適当演技である。

感情移入が正しく行われると、
観客はその人になりきる。
すなわち、その人を演じることと等しくなる。

燃えよドラゴンを見たあとみんなヌンチャクを振り回したくなるのは、
感情移入が正しく行われた証拠だ。
(最近あんまりないけど、やくざ映画が華やかだった頃は、
みんな肩で風切って歩いたものだ。これも主役になりきったのだ)



最近、間違った感情移入が多い。

その芸能人のファンが見るから、
という理由で配役される人たちだ。
この人たちは、俳優(我々がなりきる役を演じる人)ではなく、
憧れの芸能人である。

憧れはするが、だからこそ、その人になりきることはない。

例えばイケメンジャニーズに憧れる人は沢山いる。
しかし頭の中でジャニーズになりきることはない。
憧れは他人に起こり、感情移入は他人と自分の境目がなくなることで起こる。
憧れとは、自分と違う他人だからこそ起こる。

憧れとは、そばで(遠くから)見ていたいという思いであり、
なりきりとは、その人になっていることである。
視点の場所が違うのだ。


長瀬智也は例外で、憧れとは違う、
我々がなりきりたい人物を演じることが上手である。


テレビの視聴率重視主義は、
憧れの芸能人を見る人が見たほうが、
なりきる楽しみをする人より多い(または手っ取り早い)、
という安易な結論を出した。
また、
なりきるかどうかより、
人気芸能人が出るかどうか、と言うことで作品のヒットを考える、
製作委員会という素人の考えを生んだ。

それが間違っていたことは、数字が証明しつつあるし、
映画やドラマが好きな人は、最初から分かっていたことだ。
(バカは、昔ほど人気芸能人がいなくなった、
スター不在だ、なんてことをまだ嘆くだろう)



なりきることが、感情移入だ。
憧れの気持ちでそのキャラクターを見るのは、感情移入ではない。

あなたは、各登場人物を、どこから見ているか。
役の中からか。憧れる目線か。
それと観客の目線は一致しているだろうか。
詳しく考えるべきである。


さて、これには、男女差がかなりあると思う。
次回へつづく。
posted by おおおかとしひこ at 12:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック