あなたの精神年齢はいくつぐらいだろう。
それは自覚した方がいい。
何歳ぐらいの人物を楽に書けるか、想像してみるとよい。
厳密に○才はこういう特徴がある、
というわけではないが、大体、というものがある。
中学生と高校生は違うし、
大学生と社会人は違うし、
三十代と四十代は違う。
学園ものなら一年二年三年で、精神年齢は全然違うものである。
登場人物の年齢設定と、精神年齢をまずは一致させよう。
子供、学生、社会人、人の親、壮年、老人などの、
精神年齢を書き分けられるようになろう。
同じ年齢の人物しか出てこない話は、
同級生ものだけである。
社会というものは、様々な年齢の人で構成されているものだ。
大体書けるようになってきたら、
実年齢と精神年齢が異なる人物を書けるようになろう。
高校生だが老けてるやつ、
オッサンだけど心は中二、
おばさんだけど乙女、
部長なのに小学生並み、
などなどだ。
人間は、魂の精神年齢が決まってるという説もある。
精神年齢と実年齢は、必ずしも一致しないし、
精神年齢が成長していくこともある。
退行もある。
或いは、表向きは実年齢の仮面を被っているが、
ふとしたときに精神年齢があらわになるときもある。
(裁判官や医者など、指導的立場にあらねばならない人ほど、
プライベートでは赤ちゃんプレイをするものだ)
そのようなリアリティー溢れる人間像をつくるためには、
あなた自身が精神年齢何歳かは、
大きな影響を及ぼす。
若いうちは、オッサンの気持ちは分からないから、
大人を描くことは困難だ。
年齢を重ねれば、かつて通ってきた年齢を思い出せば、
なんとなく精神年齢○才はこれぐらい、という当たりはつけられると思う。
僕は子供の頃精神年齢が高すぎて、
多分生意気な子供だったと思う。
風魔の絵里奈、いけちゃんのヨシオ、てんぐ探偵のシンイチは、
子供の頃の僕自身が色濃く反映してると思う。
だから僕は子供子供した子供を描くのはあまり好きではない。
逆に、精神年齢の低い人は、
子供が生き生きと子供しているのを描くのが得意なのではないだろうか。
(大人を書くのは苦手だろう)
ドラえもんみたいなのは、僕は書けそうもない。
得意な年齢を複数持つのもよくあることだ。
それは、自分の人生で何か特別なことがあった年なのだと思う。
自分の年、中二、高三、大二、社会人数年目、
あたりが僕の得意なところかなあ。
精神年齢はいくつか。
自分。登場人物。
それらをバラエティー豊かに書き分けること。
実年齢と精神年齢のギャップを書き分けること。
時と場合に応じて精神年齢が変わること。
それらを意識することは、人間を描くことだ。
個人の内部だけでなく、
個人対個人の関係性として描ければ、一人前だ。
(例えばカップルの喧嘩の会話とかね)
2015年01月17日
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