2015年01月17日

構成とストーリーの違い

同じストーリーでも、
構成を変えると違った物語に見える。

構成とは、ストーリーを見せる順番のことだ。


ストーリーは、新聞記者がまとめるような、
時系列順に事件や行動や因果関係が書かれたものだ。

勿論、これ自体が面白ければ、
構成に工夫はいらず、時系列順に書くとよい。

それを、もう少し劇的に見せる工夫が構成だ。
三幕構成理論、起承転結、序破急、ハコガキなどの、
大まかな構成についての理論は、
正直に時系列で書くのではない、
ドラマチックに書くことの基礎理論である。

本当のストーリーの、言わば最初の脚色なのだ。
事件の報告を、ドラマチックストーリーのように、
語る順番と分量、強調する部分と書かなくていいところを、
決めることなのだ。

これすなわち構成である。

勿論、大まかな構成だけでなく、
より細かい構成もある。

メインプロットとサブプロットの関係、
時系列に捻りを入れたり、視点を変えたり、
どんでん返しや伏線の解消も構成だ。
もっと細かく言えば、
モンタージュ(あることのあとにあることが来ると、その組み合わせの別の意味になること。
あるショット→それを見てる人と繋ぐと、その人が見てるもの、の意味になる。
また、最初はなんの意味もなかったものが、ストーリーを経て見ると、
とても大切に見える、などは大きなモンタージュの効果だ)
も構成である。



現実には、複数の人が同じ場所にいて、
それぞれのストーリーが勝手に進行している。

例えば運動会を考えよう。


A君とB君では全く別のストーリーだろう。
C君とそれぞれ絡むこともあれば、
それぞれと関係ないD君もいる。

その中から、誰を主人公にして、
ストーリーを語るかをまず決める。

その上で、事実を時系列に正直に並べるのではなく、
面白くストーリーが見れるように、
構成をつくっていくのである。

C君経由のB君との絡みが面白ければ、それを採用し、
面白くなければ構成に入れる必要はない。
事実としてはあっても、構成上「省略」するのである。
また、絡みがなかったD君を登場させ、
A君と対比的になるのならストーリーに登場させてもよい。

これらの構成を決める判断基準はふたつある。

面白いか、ということと、テーマを示すことに寄与しているか、だ。

そもそも主人公を選ぶ時点で、
その人のストーリーが面白いか、という判断がひとつある。
そしてそれを選んだ時点で、
「それを語る意味」を考えなければならない。
それがテーマだ。

語る意味のない話は、存在する価値がない。
人類を動かす大きなテーマから、
人の心をほっこりさせる小さなテーマまで、
ストーリーを語ることは、そのテーマを表現することだ。
(作文、論文、宣言文、説明文、記事などは、
テーマを直接文で書いてよい。しかし、物語は書いてはいけない。
書かずして、物語だけで示すのが、物語というジャンルだ。
だからテーマをうっかり主人公が最後に言うのは、最低である)

歴史ものを書くことは、
運動会が歴史的な何かに変わっただけだ。

主人公のストーリーが面白いか、
それが何のテーマがあるかを考えることだ。
それさえ決めれば、あとは、
それが最もドラマチックになるように、
テーマ(その人の生涯の意味)を間接的に示すように、
構成をつくっていくのである。


構成はまた、最初と最後を決めることでもある。

運動会ならどこではじめるか。
朝の入場か。前日の眠れない夜か。一週間前からか。
あるいは優勝を決めるリレーのスタートにして、回想形式か。
あるいは何もなくなった次の日のグラウンドからの、回想形式か。
あるいは、ずっと大人になってからの回想形式か。
(傑作、スタンドバイミーはこの構成だ)

どこで終わるのか。
優勝した瞬間か。片付けか。その後好きな子と二人で帰るところか。
家で夜家族に報告するところか。
大人になってからか。あるいは学校が廃校になるところか。

事実だけでは、開会式ではじまり閉会式で終わるだけである。
最初と最後を決めることは、
何のテーマを示すのかによって変わるだろう。


歴史物、大河も同じだ。
その人の生涯に、歴史的な意味を見いだし、
それを語るために、最も適切なはじまりと終わりを見つけるのである。
誕生からか。父親の政治的失敗からか。
元服からか。初陣からか。
終わりは画期的政策か。天下統一か。死後なにかを残したところか。

それは、テーマによって決まるはずだ。
それが下手だと、ぐずぐずになるのだ。


構成とは、
テーマを間接的にどう示すかを、
ストーリー(事実)を、取捨選択しつつ、
語る順番を決めることである。
勿論、面白くなければならないから、
それを構成で考えるのである。


運動会や歴史的事実や、新聞記事的事件のような、
ノンフィクションですらこうだ。

フィクションとは、そのストーリー(事実関係と時系列)すらも、
創作することである。
創作した人物、その周囲。人物関係。創作した世界。
創作した事件、その解決、経緯。
創作した盛り上がり、変化球。
そして創作したテーマ。

プロットとは、それら全てを、
構成しながら考えることである。


プロットといっても、たかがA4一枚程度だ。
文字数にすれば400字、1000字、1500字ぐらいのものだ。
それにすでにそのようなものが、
ほとんど書かれていることが、
良くできたプロット、ということなのだ。


ストーリーと構成は、物語の両輪である。
それは、テーマを乗せた両輪である。
posted by おおおかとしひこ at 15:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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