最近の僕の口癖のようなもの。
無理したって、周囲の状況が無理なときは、
何をやっても駄目なものだ。
しかしいざ噛み合う時が来ると、
偶然すら味方する。
最近、てんぐ探偵を書こうと近所のカフェに行くとき、
書く気まんまんのときほど、偶然にも席が空く。
ああこれは運命が俺に書けと言ってるのだな、
と思い、件の呪文を唱えて席につくようにしている。
小さな笑い話であるが、これがもう少し大きな話だとしたら。
僕がこれを真剣に感じたのは、
風魔の小次郎の、制作発表のときだ。
それまで一年近く、全く駄目だった。
CMディレクターの傍ら、
ゼネラルエンターテイメントなる会社に出入りし、
女児向けドラマを企画したり、
ゴジラのあとに来る東宝映画を企画したり、
サイバラ映画を企画したり、
ガッチャマンを企画したり、
色んな脚本やプロットを書いては潰れていた。
風魔に関してだけ、何故だかトントン拍子だった。
何かが噛み合ったのだろう。
制作発表のときは、既に10話の滝のロケハンをして、5、6話の撮影を終えていたぐらいだったか。
乃木坂ソニーの新しい会場に向かい、
廊下を歩いているとき、
その廊下に、これまで一年ぐらい一緒に企画してた人が並んで、
全員エールを送ってくれたことを覚えている。
俺はこのまま死ぬのかと思った。これは走馬灯かと。
まるでリングにかけろの最終回ではないか。
どう考えてもこのまま死んでエンドロールだと、内心突っ込んでいた。
これまでの登場人物が、廊下で道を開ける。
後ろに続くのは、19人の学ラン忍者たち。
その先は制作発表のマスコミたち。
運命よ、道を開けよ、
という僕の呪文はこのときに生まれたような気がする。
リングにかけろ的に言えば、
「人生のたった一回」があの時だったかも知れず、
その時僕は一生誇るべき代表作をつくったから、
僕は本当の男だ。
人生にこういうことは、何回あるのか僕は知らない。
リンかけ的にたった一回かも知れないし、
モテ期みたいに三回かも知れない。
こういう噛み合った時って、
全然緊張とかしないんだよね。
やることをすっとやるとおしまい、みたいな。
ゾーンに入ったスポーツ選手ってこんな感じだろう、
といつも思っている。
(逆にいけちゃんのときはぎくしゃくしてて、
風魔よりは駄目だろうな、とずっと思ってた。
個人で変えられる範囲以上の、
人と人の巡り合わせみたいなもの)
運命が道を開ける経験は、あなたにあるだろうか。
調子いいときは大抵そうだとしたら、
あなたは人より恵まれた人生かも知れない。
物語には、それが必ずある。
第二ターニングポイントだ。
あとはやるだけ、のクライマックス直前である。
映画とは人生を描くことだ。
へんてこなスピリチュアルとかに溺れることなく、
冷静に運命のお膳立てについて、語れるようになりたいものだ。
ということで、今日は空いた席で24話を書いています。
2015年01月17日
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