2015年01月17日

運命よ、道を開けよ

最近の僕の口癖のようなもの。

無理したって、周囲の状況が無理なときは、
何をやっても駄目なものだ。

しかしいざ噛み合う時が来ると、
偶然すら味方する。

最近、てんぐ探偵を書こうと近所のカフェに行くとき、
書く気まんまんのときほど、偶然にも席が空く。
ああこれは運命が俺に書けと言ってるのだな、
と思い、件の呪文を唱えて席につくようにしている。

小さな笑い話であるが、これがもう少し大きな話だとしたら。


僕がこれを真剣に感じたのは、
風魔の小次郎の、制作発表のときだ。

それまで一年近く、全く駄目だった。
CMディレクターの傍ら、
ゼネラルエンターテイメントなる会社に出入りし、
女児向けドラマを企画したり、
ゴジラのあとに来る東宝映画を企画したり、
サイバラ映画を企画したり、
ガッチャマンを企画したり、
色んな脚本やプロットを書いては潰れていた。

風魔に関してだけ、何故だかトントン拍子だった。
何かが噛み合ったのだろう。

制作発表のときは、既に10話の滝のロケハンをして、5、6話の撮影を終えていたぐらいだったか。
乃木坂ソニーの新しい会場に向かい、
廊下を歩いているとき、
その廊下に、これまで一年ぐらい一緒に企画してた人が並んで、
全員エールを送ってくれたことを覚えている。
俺はこのまま死ぬのかと思った。これは走馬灯かと。
まるでリングにかけろの最終回ではないか。
どう考えてもこのまま死んでエンドロールだと、内心突っ込んでいた。

これまでの登場人物が、廊下で道を開ける。
後ろに続くのは、19人の学ラン忍者たち。
その先は制作発表のマスコミたち。
運命よ、道を開けよ、
という僕の呪文はこのときに生まれたような気がする。

リングにかけろ的に言えば、
「人生のたった一回」があの時だったかも知れず、
その時僕は一生誇るべき代表作をつくったから、
僕は本当の男だ。

人生にこういうことは、何回あるのか僕は知らない。
リンかけ的にたった一回かも知れないし、
モテ期みたいに三回かも知れない。


こういう噛み合った時って、
全然緊張とかしないんだよね。
やることをすっとやるとおしまい、みたいな。
ゾーンに入ったスポーツ選手ってこんな感じだろう、
といつも思っている。
(逆にいけちゃんのときはぎくしゃくしてて、
風魔よりは駄目だろうな、とずっと思ってた。
個人で変えられる範囲以上の、
人と人の巡り合わせみたいなもの)


運命が道を開ける経験は、あなたにあるだろうか。
調子いいときは大抵そうだとしたら、
あなたは人より恵まれた人生かも知れない。


物語には、それが必ずある。
第二ターニングポイントだ。

あとはやるだけ、のクライマックス直前である。


映画とは人生を描くことだ。

へんてこなスピリチュアルとかに溺れることなく、
冷静に運命のお膳立てについて、語れるようになりたいものだ。


ということで、今日は空いた席で24話を書いています。
posted by おおおかとしひこ at 17:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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