2015年01月17日

一人称は、三人称の3倍楽だ

小説版てんぐ探偵の、次に発表予定の第五集は、
いつもと違う小説的試みをやってみようと思って、
それまでシナリオと同じ三人称スタイルであったパターンを破って、
一人称スタイルで書くことに挑戦してみた。
(22話妖怪二番、24話妖怪半分こ)

これ、めっちゃ楽。
一人称、超楽。
普段の三人称スタイルの、3倍楽。(当社比)


その人の主観的世界だから、
感情を極端に増幅できるのである。

たとえば、その人にとって物凄く悲しいことでも、
三人称形で書くと、たいして悲しくないことはある。


飼ってた犬が死ぬのは、一人称的にも三人称的にも悲しいが、
うまい棒のコンソメの売り切れがどれだけ悲しいかは、
たぶんに主観的なエピソードであり、客観的な悲しいエピソードではない。

それが飼い犬の死に匹敵することを、
三人称形で書くことはとても難しい。

恐らく単純なその場面だけではなく、
連なる一連の場面の最も重要な場面で、
うまい棒の売り切れが起こり、
どんでん返し的に悲しくしなければ、
三人称的な号泣を描くことは不可能だ。

ところが、
一人称ではその工夫なく、
ただその人の悲しみの波動を描けばよいのだ。
なんなら、犬が死んだときより悲しかった、
と主観的に書いてしまってもいいのだ。

三人称では、客観的説得力が必要だが、
一人称では、主観的な感情そのものを書くだけでよいのである。

これは、三人称スタイルでは、
主観的感情を描くことは、とても難しいということだ。
(そりゃそうだ。カメラは内面を写せない。
一人称とは心のなかを書くことだ)


あるいは、一人称はその人の知らないこと、認識していないことは書かなくていい。

三人称スタイルなら、
それに気づかないのは変だろ、と客観的に突っ込みが入ることも、
だって知らなかったんだもん、と、
バックレられるのである。
これ、超楽。


一人称スタイルに近い、
手持ちカメラのドキュメントスタイルが流行ったことがある。
ブラックホークダウンを鏑矢に、
ブレアウィッチプロジェクトにはじまり、
クローバーフィールド、REC、
最近ではロサンゼルス大決戦などもあった。
これらは、カメラ(主人公たち)が、
知り得ないことは知り得ないという、一人称のスタイルだ。
クローバーフィールドでは、
町を襲った怪獣は何者か主人公たちは知り得ないため、
観客も最後まで知り得ない。
それが、新しかったのである。

何故なら、映画は常に三人称で、
「全てが明らかになること」「白日のもとに晒すこと」が常識だからだ。

例えば少女漫画の恋愛ものなどでは、
彼女らの脳内では素晴らしいラブストーリーなのだが、
一歩引いてみたらバカ丸出しという話があったりする。
それらを三人称的な目線から、スイーツと言って馬鹿にする。
しかし一人称の中では、
それはどんな物語よりも激動で、感動なのである。
(これの極端なものは、女向けのエロマンガで見ることが可能だ。
主人公の女がとんでもない所でセックスするのがたまにある。
彼女の中では最高のスリルのはずだが、
客観的には絶対こればれるわ、というのが、たまにある)

原作「風魔の小次郎」の後半もそうなってしまった。
「背景がどこか分からない」主観漫画になってしまったのだ。
カオスの胎動あたりまでは、一応どこでやっているのかという客観性があったが、
武蔵に刺客が向けられてからは、
どこでやってるのか分からない、
一人称漫画になってしまった。
僕が原作への夢中が覚め始めたのがここで、
聖地というさらに分からないものになってからは、
半分惰性で読んでいた。
壊滅した筈の風魔の里がどうなっていたかは、
反乱編で描かれることはなく、
総帥以外どうなっていたかは、三人称的に不明すぎた。


漫画は、一人称が可能な、三人称のメディアだ。

しかし、映画は一人称を続けるには困難な、
(果たしてクローバーフィールドは傑作か?否だ)
完全なる三人称のメディアである。


一方、小説は、一人称がメインのような気がする。
小説家が脚本を学ぶと実力がつく、という都市伝説は、
一人称スタイルしか書かない人が、
三人称スタイルを学ぶから、というのが理由かも知れない。

小説の一人称スタイルは、だから、
内面の旅を描くのに最適だ。
これは三人称スタイルの映画では、永遠に描けない。
この差が、小説の映画化の失敗の、最大の原因ではないか。
(ノルウェイの森の映画化失敗の件については、 既に批評した)

とくに、てんぐ探偵24話は、一人称でホラー風に書いてみた。
ホラーと一人称の相性はよい。
今何が起こっているか分からないことが面白いジャンルだからだ。


脚本を学ぶことが難しいのは、
面白い脚本を書くのが難しいのは、
三人称形式ということが、実はその本質なのかも知れない。

これいったいどういうこと?
これ客観的に見て面白い?
これはあなたの思い込みだよね?
なんで○○に主人公は気づかないの?

これらのダメシナリオに向けられるツッコミのよくある問いは、
一人称スタイルなら、全部問題ない問いだ。
三人称スタイルゆえに、この齟齬が起こるのである。


物凄く大雑把な話なので、小説に詳しい人、
反論があればお聞かせ下さい。
posted by おおおかとしひこ at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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