映画にいくつターニングポイントがあればいいか、
について僕は明確な解答がわからない。
デカイのはひとけた個、
中くらいのはふたけた個、
細かいのはみけた個、ぐらいが妥当なところだと思う。
シナリオによるし、数え方にもよると思う。
しかし、その中で特別なものがあるのも確かだ。
最も特別なものは、
最初のターニングポイントと、最後のターニングポイントだ。
それまで日常だったものが、
ターニングポイント(大抵外からの事件)によって、
違うものに変わる瞬間だ。
このターニングポイントを契機として、
日常は非日常側へ徐々にはいってゆく。
様々なターニングポイントを経て、
最後のターニングポイントとは、
「解決した」である。
これがあることで、元の日常へ戻れるのだ。
これ以上事件が起こることはない、
もう帰っていいですよ、おしまい、のターニングポイントがこれである。
(13日の金曜日などは、このミスリードのラストが待っているよね)
物語とは、
この二つのターニングポイントの間に挟まれた、
日常世界を逸脱した、ひとときの出来事である。
映画が始まってしばらくは、
日常を描くのが普通である。
それは、特別なことの始まりの前の、
特別でないことを描くためだ。
最初のターニングポイントはこれを覆すから、
覆すその前を描くのである。
ついでに、基本設定や、既にバックストーリーがあって、
ただ何もない日常ではなく、
どこかへ向かいつつあることを示したりもする。
ハリウッドでは、大体これは5分から8分と言われている。
(原稿用紙で5から8枚、つまり2000字から3200字程度)
勿論ただダラダラするのではなく、
のちのち使う主な伏線を仕込む場所であることは、
既に知っているだろう。
「説明のしかた」の議論の原則に従えば、
ここで映画で扱う世界の「全体」を見せておく。
これ以降は部分に入るからである。
逆に、映画では、最初に前提となる全体を見せるのは、
120分として4%から7%程度しか余裕がない。
(15秒に換算すれば、18フレームから31フレーム程度)
ブレイク・シュナイダーによれば、
開始5分で、テーマに関する台詞を誰かがさらりと言うらしい。
つまりこれは、映画全体のセットアップを無意識にしているということだ。
最初のターニングポイントが訪れると、
焦点が変わる。
大なり小なりの目的が生じるのだ。
あとは、映画とは、
その生じた目的をターニングポイントで上手く変えていきながら、
最後のターニングポイントまで一本の糸に結びつけることに他ならない。
最後のターニングポイントで、
それまでの目的はすべて消失する。
もう何かをする必要もなくなった、ということだ。
あとは幸せに暮らしました、めでたしめでたし、である。
つまり、映画とは、
日常に挟まれたターニングポイントの一連の連鎖だ。
日常から非日常側へどんどんスリップしてゆき、
元に戻れなくなり、
最後には日常へ帰還することである。
(そのときに何かが変化していれば、
それがその冒険の価値であった、ということが定番だ)
それらは、全て、目的とターニングポイントの連鎖を持っているのだ。
物語には骨格がある、
と感じる人は多い。
直感的に思う構造は、人物関係図であったり、
地理的な関係図だったりする。
しかしそれは時系列を持たない静止画的構造だから、
時間軸に関する構造がある、
という脚本論に、最初はびっくりする。
起承転結や序論本論結論などが、国語で習う範囲だが、
ハリウッドではこれらの考え方はすすんでいて、
構成だ、とか、三幕構造だ、とか、
ログラインだ、とか、プロットだ、
とか、コンフリクトだ、などなどだ。
こう言われると、なるほどその通りだ、と思い、
それを構築したり分析したりしようとするものだ。
しかし骨格とは、動かないから骨格なのだ。
(事実、三幕構造は、所定のものを所定の時間にすること、である)
骨格をいくら勉強しても、それは静的なものであり、
恐竜の骨格を研究するみたいな感じで、
動的な一番ダイナミックな部分は学べないと僕は思う。
(勿論、これは基礎としてはやるべきだ)
その動的な部分を仮に筋肉とか血液とか呼ぶとすれば、
それに当たるのが、
この目的とターニングポイントの連鎖である、
と僕は考えている。
寡聞にして僕はこれに関する理論があるかどうかは分からないが、
これらは具体的な執筆と関係してくる部分だから、
理論化しにくいのかも知れない。
個別研究のようになってしまうかもだ。
目的には大目的(センタークエスチョン)、
小目的、野望(作中では叶えられないこと)、
などの様々な階層があるという話もしたと思う。
それらが、ターニングポイントによって、
どう変化していくか、
誰の(誰の陣営の)ものが変化していくか、
などの動的記録こそが物語ではないかと思っている。
(そしてそれに思う人物の感情こそが、
我々の関心である)
それは図に書けない、動きそのものだ。
年表みたいに書くことは出来るけど。
デカイターニングポイントは、他にいくつかある。
第一ターニングポイント、第二ターニングポイント、
ミッドポイント(ない場合も)だ。
それより小さな中くらいのターニングポイントは、
どこに配置してもいいと思う。
これらに関する僕独自の理論はあるのだが、
これは今のところ門外不出にしている。
僕がとても成功したら、その理論の正しさが証明されるだろう、
と希望的に考えているけど。(そしたら本でも出しますわ)
それをとても圧縮したのが、異物論(仮)だ。
コンパクトにして使いやすいと思う。
名作を研究しよう。
時間軸の構造の骨格を研究することがひとつ。
血肉にあたる、目的とターニングポイントの連鎖を研究することがひとつ。
2015年01月18日
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