ターニングポイントの話のつづき。
あるターニングポイントから、次のターニングポイントまでは、
同じ焦点を追いかける話である。
それを、劇的文脈という。
逆に文脈は、ターニングポイントによって定義され、
次のターニングポイントまで続くのである。
例を小説版「てんぐ探偵」20話、妖怪横文字から。
ネムカケが「人形浄瑠璃が見たい」とわがままをこねるところは、
ターニングポイントだ。
ここから実際に見る(人形浄瑠璃を見る、という焦点の解決)
までのターニングポイントまでが、
一連の劇的文脈である。
実際このパートは、
ネムカケが他の人たちに見たいと言わせる彼のプレゼンと、
京都について見るまでのふたつに別れている。
(間に、今後使われるだろう伏線、
鞍馬天狗についてのコメントをインサートしている)
シンイチが天狗に関係あると聞いて是非見たいといい、
紀子も惹かれているうえで、多数決的に京都へ出発する段取りだ。
そして、劇的文脈には階層性がある。
そもそもこれは、江島に「日本文化の素晴らしさを知ってもらおう」
という目的のサブ目的(浅草、鎌倉の次はやっぱ京都かな、の流れ)であり、
さらにそれは、妖怪横文字に取り憑かれたという文脈の、
治療(になるかも)の一環の文脈であり、
さらにそれは、紀子と江島が婚約者であるという大きな文脈の中の話だ。
これらは、ストーリー上で、
逆順に解決してゆく構成だ。
浄瑠璃は見れた、
治療としてはいまいちだったが、父に告白をすることになった、
妖怪横文字は外れた、
プロポーズが成功した、
だ。
先に触れられた問題ほどあとに解決する、
時間対称型のマトリョーシカ的な構造になっている話である。
(必ずしもこのような美しい構造をしている必要はない)
劇的文脈には階層構造がある。
一番大きな構造は、
問題の解決というセンタークエスチョンだ。
次の大きな構造は、
一幕(セットアップ)、
二幕(展開)、
三幕(クライマックス、解決)
だろう。
この例で言えば、
センタークエスチョンは妖怪横文字を江島から外すこと。
一幕は冒頭から紀子の話を聞くまで、
二幕は実際の江島の観察、日本旅行から、彼の父の入院というひねり、
三幕は父への告白とエピローグ。
これらは、それぞれ、
問題の提示から解決に乗り出すまで、
解決を目指した試行錯誤、
(本音を言わざるを得ない)クライマックスと解決、
という劇的文脈の上に乗っていることが分かると思う。
第一ターニングポイントは、写真に妖怪が写っていて、
シンイチが心配しないで、と安心させて妖怪退治へのりだすところ、
第二ターニングポイントは、父の入院の知らせである。
(1/20追記。色々分析して、ここが妥当と思いました。ちょっと唐突ですね)
今問題にしている、
ネムカケのわがままから、
京都で実際に見るまでの劇的文脈では、
浄瑠璃を説得する/日本文化の素晴らしさを知る/妖怪横文字を退治する/結婚予定
の、四層の文脈が重なり合っているのである。
(最上層の結婚は、あまり意識には上っていない)
さて、
ターニングポイントとターニングポイントの間の劇的文脈は、
このように整理することができる。
ひとつ上の階層は、 この文脈では変わらず、
しばらく後のターニングポイントで劇的文脈が変化するかも知れない。
僕がターニングポイントの数え方について、
あまり理論立てていないのは、
この層を定義することが難しいからだ。
何層あるのが適当か(多分2.5の法則があると思う)、
ひとつのターニングポイントで、
いくつの層の文脈を同時に変えることが出来るのか、
などについて、詳しく調べているわけではないからだ。
実際、これらは直観で書いていると思う。
プロットの時からそうだし、
実際の執筆では、
問題と解決の層/三幕構造の層/小ブロックの層
のみっつの層の劇的文脈を頭に入れながら、
さらにその下の、具体的場面の焦点とターニングポイントを書いてる気がする。
例えばプロット段階では、
蕎麦を食べるというのはあったが、
実際の執筆では、
ワサビでむせて笑う、なんての現場的に足している。
そこで緊張をほぐしてほっとしたときに、
次どこへ行こうか、話しやすくなるからだ。
また、これは全体の焦点がひとつの時だが、
(紀子の切迫性と江島の乗り気のなさなど、
それぞれの温度差はある)
チームが二手に別れたときや、
複数の陣営の話だと、
それぞれの目的や劇的文脈が異なる、
というパターンになる。
(長い話ではこちらのほうが一般的だろう)
劇的文脈や目的が異なるものを、
ストーリーラインという。
ストーリーラインは、 映画だと3から5本程度が標準だ。
例に上げた妖怪横文字の話は、
ほぼ一本道なので、ストーリーラインは一本、
といってもいいだろう。シンプルな話なのだ。
あの話の中で、紀子と江島が仲違いするなどの分岐点があれば、
ストーリーラインは複数になると思う。
ストーリーラインのうち、
メインの問題と解決の一本をメインストーリー、
その他をサブストーリーという。
(今回で言えば、鞍馬天狗についてのコメントの場面が、
より大きなシリーズの文脈の、サブストーリーではある)
一般に映画は、
メインストーリーライン一本、
サブストーリーライン2〜4本程度を持つ、
劇的文脈の集合体だと思うと、
整理しやすいのではないだろうか。
2015年01月18日
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