経験則的なこと。
執筆時に、大きな構造の劇的文脈を意識してはならない。
意識するのは、目の前の細かい劇的文脈だけがよい。
例えば、
二幕を書こうとするとき、
よし、これから「展開」を書くぞ、
と思ったとしても、
具体的には何を書いていいか、それは教えてくれないからだ。
(それよりも、前の例で言えば、ネムカケを通訳に連れて、
かくれみので会社に忍び込む、という目の前のことのほうが、
書いていくときに役に立つ)
三幕構造の劇的文脈、
セットアップ、展開、解決は、
大きく見ればこのへんはこの役割をする、
という大雑把な見方でしかないから、
今書くべき焦点とは、粒度が全く違うはずである。
今書くべきは、細かな、直前のターニングポイントで起きた焦点を追うこと
(前の例で出せば、ネムカケが浄瑠璃が見たいとゴネていること)
であり、「展開」を書いている訳ではない。
勿論、大きな意味での展開のひとつだが、
よし、展開を書くぞと言って、
ネムカケの「見たい! 見たい! 見たい! 見たい!」
という台詞をその場で思いつく筈がない。
劇的文脈のチェックが機能するのは、
あとづけ、すなわちリライトの時である。
このエピソードがここにあることが正しいのか、
切ってもよいか、統合できることはあるか、
などを考慮するときに、
劇的文脈の階層と比較するためにあるのだ。
書いているときは、
今目の前に出来たターニングポイントと焦点で手一杯だ。
次のターニングポイントにたどり着けば一休み出来る、
の繰り返しである。
一分おきとか、五分おきとか言う、
僕の「小さなターニングポイント」という考え方は、
これを意識した言い方だ。
で、小さなターニングポイントを繰り返し書いているうちに、
上の階層のターニングポイントにたどり着く。
このとき、最下層の劇的文脈から一瞬離れて、
少し遠くを眺めることが出来るのである。
冒頭から書きはじめて、
最初のターニングポイントで目的や焦点を持てば、
以下いくつものターニングポイントや焦点を追いかけながら、
遠くを眺める一休みは、
約30分に来る、第一ターニングポイント
(一幕の幕切れのターニングポイント)だ。
それまでも、15分あたりで一休みするかも知れない。
このとき、ようやく、
これまで書いてきた30分を振り返り、
二幕の約60分全体を眺めることが出来る。
再びこれが出来るのは、ミッドポイントか第二ターニングポイントだ。
書いている途中では、様々な階層の劇的文脈は意識できない。
むしろ、リライト時にこの分析は威力を発揮する。
あるブロックを、ディテールを生かしながら、
別の劇的文脈でのエピソードに書き直す、などもあり得るだろう。
これを繰り返さないと、
書きながら複数の層の劇的文脈を意識しながら書くという、
プロの技は出来ないと思う。
初心者は、せいぜい二層か三層の劇的文脈だろう。
プロは、もっと多彩な層の劇的文脈を重ね合わせながら、
今目の前にあることを書いているものだ。
(例えば風魔だとすると、各話の中での一幕二幕三幕だけでなく、
シリーズ全体での各話の役割を意識しながら、とか、
DVDになったときの各巻の構成とかね。
1巻が1、2話のみの廉価版という決定があったからこそ、
風魔一族と夜叉一族は、2話までにほぼ揃うのだ)
2015年01月19日
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