2015年01月20日

映画とドラマの違い2:人物相関図

長く続くもの、ドラマには、
必ず人物相関図がついてまわる。

これは、ホームがベースになっているから、
と考えると理解できる。


少なくとも主人公とその周りには、
ホームという関係で結ばれた何かがある。
(ホームというのは抽象的な意味で、
家族や一族、クラス、庶務課や刑事課など会社の部署、
共同生活のメンバー、チーム、国家、能力者、
偶然そこに居合わせた人、運命に選ばれた人などなど)

だから、ホームに紐づいた、人物相関図を書くことが出来る。
ホームに敵対する別のホームがあれば、
そこの人物相関図を書くことも可能だ。
(一族に敵対したり味方になる一族、
クラスに敵対したり味方になるクラス、
刑事課に敵対する幹部会、味方になる情報部、などなど)

僕はつくづく、映画に人物相関図の考えを持ち込むのは否定している。
何故なら映画とは動きだからだ。
当初の人物関係の変化という動きこそが大事だからだ。

逆に、ドラマでは人物相関図が大事だ。
ホームの肯定こそがドラマであり、
ホームの疎外から帰還までが映画だからだ。
つまり、人物相関図はホームのものである。

逆に、シリーズ化しやすい映画は、
人物相関図が書きやすい。
つまり、ホームが存在し、固定的である。
(刑事○○とか、チーム○○とか)


何故北斗の拳が、途中から兄弟喧嘩になるのだろう、と、
僕は連載当時から疑問だった。

マッドマックスやブルース・リー映画を
元ネタにして始まったはずの旅の物語が、
急にホームドラマになったことが、
よく理解できなかったのだ。
ところが、
長く続く連続ものはドラマである、
と考えると、
兄弟喧嘩というホームドラマになったのだと考えられる。

勿論、連載当初はそうではなかった。
映画的な枠組みだ。
拐われたユリアを取り戻す、という映画的な話だ。
ホームであるユリアを失い、
ホームであるユリアに帰還する物語であった。
ところがユリアは死んだ、となり、
ケンシロウにとってのホームは喪失されたのである。

その続きから連載が長くなったため、
北斗の拳は、映画でなくドラマになったのだ。
つまり、南斗という、北斗(ホーム)に対抗する、
チーム同士の戦い、というようにだ。
ここで北斗というホームが生まれる。
自動的に、それは北斗四兄弟という、
ホームドラマへと発展していくのだ。

修羅の国以降については、
当初はホームを捨てて外国へ行くという映画的な枠組みに戻ったものの、
何が目的なのかを見失い(リンが拐われたんだっけ?)、
ホームドラマの焼き直しの詰まらない話になってしまった。
(三羅将の二番、ヒョウが血を分けた兄、とかもうみんな忘れてるよね)
南斗にあたる北斗琉拳や元斗皇拳とか、ラオウにあたるカイオウの存在で、
ホームドラマの焼き直しを続けるに堕してしまったのだ。

この例で言えば、ホームドラマ的部分、
つまり南斗や北斗四兄弟や琉拳や元斗については、
人物相関図を書ける。
しかし、シン編や、デビルリバースやウイグル族長などの、
映画的な部分は人物相関図は書けない(書いてもあまり面白くない)。
ホーム前提の枠組みと、ホームを奪還する枠組みの違いなのだ。

修羅の国編以後はさらにガタガタだ。
再びさすらいの映画型に戻ったが、
更に帰還すべきホームや目的が分からなくなり、
挙げ句の果てにホームドラマの続き、
ラオウの息子リュウを育てる話になってしまった。
つまり、三回目の同じ構造だ。
こんなん覚えてる人殆どいないだろう。

何故北斗の拳は、あれほどまでに面白く、
そして面白くなくなったか、
今では断言できる。

ホームドラマの面白さが、
ラオウの死で終わったからだ。

もしホームドラマの続きをするならば、
ケンシロウの実の父を越える話か、
ユリアと生まれた子を育てる父となり、リンとバットに主人公を引き渡すべきだったのだ。
もし映画型に戻すならば、
ケンシロウの次なるホームを具体的に示し、
(恐らくそれは生まれ故郷になる)
そこへの旅(何故自分は養子に出されたのかを解く)
を描くべきだったのだ。



僕は人物相関図が嫌いだ。
その理由は、ホームドラマでなく、
映画スタイルの物語をやっているからだ、
ということに、今回の分析で気づいた。


もうひとつ。

ドラマの定番で、股旅ものがある。
ホームを探す映画型の主人公(追われているパターンもある)が、
どこかに立ち寄り、そこをホームとする人々とかかわり合い、
次の地へさすらう、というパターンだ。
各回のゲストについては彼らが主役のホームドラマ、
主人公については映画スタイルの話になる、
優れた型である。

小説版「てんぐ探偵」は、そのスタイルをやりたいのだが、
上手く行っているかどうかの判断はお任せする。
(今のところ第二集までをリライトしたくて仕方ないのだが、
先に進むことを優先したい)



人物相関図が書けるか?
それがドラマの殆どを表すか?
表すとしたら、それはホームがベースのドラマ型であり、
それだけで全く表せた気がしないなら、
それはホームを奪還する映画型の話だ。
posted by おおおかとしひこ at 15:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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