というのは、あるのだろうか。
僕はあると思う。
15分単位、というのが僕の仮説だ。
15、30、45、60、90、120分は、
それぞれ最も良く見る尺である。
(昔はカセットテープもビデオテープもこうだったね)
短いものはどうだろう。
10分、5分、3分、2分、1分半、1分などだ。
短編に関しては、三幕構成理論が破綻する。
だから、自由にやってよし。
これ以上の尺については、三幕構成がないと、見てられない。
三幕のバランスが悪いもの、
そもそも三幕構成になっていないものは、
「絶対に」面白くないと断言する。
仮にすごい話だとしても、見てるのがキツイ、
心地よく見れないと思う。
そして、ここからは僕の仮説だが、
人間の集中力は15分(これは事実)だから、
15分をブロックに考えると良い、という説だ。
これは経験的事実ととても合っていると思う。
(実際の脚本では15Pになっていなくても、
編集マンが繋いだ結果15分になっているという例もある)
だから13分とか、10分とか、6分とかは、
多分気持ち悪いかんじになると思う。
例外は7分半で、それは15分の半分だからではないかと僕は思う。
いずれにせよ、三幕構造は、15分以上の尺に関する理論のような気がする。
短編は、好きな構造で、好きなように書くと良い。
それが短編の醍醐味でもある。
(小説の短編だって、俳句だっておなじだ)
それが15分以上になったとき、脚本理論の出番だと思う。
もし短編に三幕を活かすなら、
序破急の1:1:1か2:2:1がいいのでは、と僕は予言するにとどめておく。
2015年01月20日
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