2015年01月22日

リライトの基準

前の記事では、
ハリウッド的な三幕構成理論に基づいたリライトだ。

恐らく序破急理論によるリライトも出来るだろうし、
日本映画のハコガキの理論でのリライトも可能だろう。
様々に独自理論を持って、それによるリライトをすることも可能だ。


三幕構成を厳密に適用して、
教科書的作品になってしまうだろうか。
作家次第だと思う。

面白くない作家が三幕構成にすることで、
話がテンポ良くなり分かりやすくなることもあるし、
独自の間や毒が抜けて詰まらなくなってしまう作家もいるだろう。

三幕構成は、デッサンに例えることもできる。
デッサンという基礎が出来て、
なおかつしっかりした凄い絵をかくひともいるし、
デッサンを崩して特異な絵をかくひともいるように、
デッサンと実戦はまた違うものである。

とはいえ、
デッサンが意図的に狂ってるのか、
下手くそで狂っているのかは、
デッサンの出来る人にはまるわかりだ。


前の記事のリライトは、
リライトの執筆が前のバージョンのノリでいければ、
良くなりそうだと思う。
が、執筆のノリが悪ければ、
以前のバージョンより劣る気がする。
脚本を書くことはアドリブで芝居をすることに似ている
(この場合小説だけど、脚本的な小説だと思う)
ので、テイク2が1を上回る保証はない。
だが幸いデジタルなので、
何回かトライするのはやぶさかではない。
(デジタルなので、逆に無限直しの迷路に入る可能性はある
加筆訂正を延々と続けるのか新作を書くべきかで迷うことは、
現代の病だ)


実際にリライトするのはあとにして、
相変わらず新作を書くことに集中したいと思います。
そのうちまとめてリライトするかもですが、
それは行き詰まったときの時間の使い方かなと。



脚本理論を理解し、身につけるのは、
書くときよりもリライトするときのような気がする。

まずは教科書的基準で。
それがいつでも出来るようになったら自分の基準で。
同時に編み出しながら、リライト→新作執筆のループを続けるとよい。
何十や100を越えたころに、何も見なくても出来る、
身につくレベルのものである。
(ピアノとか体操とかの、体が覚えるレベル。
この為に僕は手書きを推奨している)
posted by おおおかとしひこ at 10:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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