2015年01月24日

複数のストーリーラインの基礎

サブプロットを上手く使えない人は、
ワンシチュエーションもので練習するとよい。

ひとつの場面で、最低3人、出来れば5人程度がいるものを。


例えば喫茶店やレストランや立食パーティーでの会話劇、
閉じ込められたエレベーターや潜水艦、
家族会議や会社の会議や国会の会議、
などなどである。

CUBEやポセイドンアドベンチャーのような、
特殊なところに閉じ込められた人々の話しも参考になる。


ひとつの呉越同舟的な集団を考える。

素性はバラバラである。
ここにどうやって来たか、バックストーリーもバラバラである。
性格もバラバラである。
職業や年齢もバラバラである。
そして、目的もバラバラである。
当然、コンフリクト(もめ事、喧嘩、バトル)を起こす。
それがひとつの意見になるまでがひとつの話だ。
それぞれが妥協したり、全く別の意見に飛びつくこともあるだろう。

それらをワンシチュエーションで書くことが出来れば、
おそらくどんなパターンのサブプロットも書けるようになる。


一場面の中で、
発言者と対立者がある。
まずそれぞれのコンフリクトを描く。
このとき、三番目以降の人が何を考えているかを、
シミュレート出来るかどうかが、
この技術の肝だ。

この三番目の人が議論に加わるとき、
何を発言し、議論の内容は二者でしていたときと、
どのように変化していくかを、
きちんと描き分けること。

このとき、さらにこれを見ている第四者、第五者についても、
同じくだ。
3、4、5番が議論を始めて、
1、2番が黙る、ということもある。
そのとき1、2番は何を考えているかを考えなければ、
次発言するとき、不自然になる。
(そして例えば1、3、5番が次に議論することもある)


多分心理学者に言わせれば、
これは多重人格への過程によくにていると言うかも知れない。
それと違うのは、
我々は、多重人格の発言を適当に見守るのではなく、
「面白おかしい話に制御すること」が目的だ。

それには、必ず「話題」が必要で、
落ちのための「結論」が必要だ。


古典「11人の怒れる男」がその教科書になる。
話題は、ギルティorナットギルティの二者択一、
結論は誰もが思っていた前提、ギルティを覆しての、ナットギルティだ。
その大逆転劇を描いたお話である。
(それがモチーフになる。
テーマは、予断せずに慎重に議論せよ、その議論に責任を持て、
或いは慎重な理性的議論だけが感情の間違いを指摘できるという、
民主主義への讃歌だ)

古典「ポセイドンアドベンチャー」では、
話題は脱出経路であり、
結論はシャフトからの脱出である。

この単純な脱出劇に対して、どのような対立項があるかを書き出すことは、
複数の登場人物をいかに対立させるかという教科書になる。
(それがモチーフであり、テーマは信仰だ。受動的でなく、
行動せよ、という積極的信仰である)


とりあえずテーマはおいといたとしても、
話題と結論という頭とケツを固定し、
その間の、複数の人格のもめ事を描いてみよう。
それが面白おかしいように書いてみよう。

どんな奴がいるのか、どんな異なる事情を持っているのか、
それらが違うほどそれはやりやすいはず。


なんか問題があるのでそれについて話し合う、
主婦同士の井戸端会議、会社員(デスクのお姉さんと正社員)、
学級会、などは現実でも見ることができる。
まずそれをあるある的に描写する訓練をしたり、
突飛な話題を与えてどうなるかを書いてみよう。
大抵結論に至ることはないだろう。
落ちが一発でつくのなら、あなたは達人である。

達人でない人は、
話題と結論をその人々に投げかけ、
誰と誰がどのようなことで対立するか、 それがどのように収束するか、
そしてヤマはどんなことか、
などを計算した上で、面白おかしく書いていくものだ。

必要に応じて、三幕構成や大まかなプロットや、
人間関係図などを書くことも大いにあるだろう。
性格や事情や目的の一覧表も書く筈だ。

それを最初は三人で、慣れてきたら5人で、
やるとよい。

5人には根拠があって、
それは僕は指の数と関係していると考えている。
一度に人が把握できる数は、身体に生じる数に依存する気がしている。
(1、2、4、5、10、20とその組み合わせという仮説。
だから6進法、12進法、60進法は、直感と反する、
文化的進法であるという仮説。これを検証するのは、
生まれつき指が6本の人が6進法で数えるなどの事例を探すとよいと思うが、
ここではこれ以上踏み込まない)
つまりこの仮説に従えば、
5本の指それぞれが一つの人格に相当し、
それぞれの指を思い通りに動かせるか、
ということと関係していると考えている。



複数の人格を、バラバラに動かせるか。
まずはワンシチュエーションで。
これはワンシーンを魅力的に書く能力とも関係する。
これを複数のシーンへ発展させれば、
これはサブプロットそのままである。
(これにはコツがあって、偶数にしないこと。
奇数だと多数決で傾きやすく、話が進みやすく、
逆転を描くことも容易だ。「11人の怒れる男」の上手いところは、
要所要所で多数決を取るところである)
posted by おおおかとしひこ at 13:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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