2015年01月24日

推測:幻魔大戦と平井和正氏の関係

平井和正氏が亡くなられて、とてもショックである。

僕は中学で幻魔大戦に魂を奪われ、
未完であることに大変モヤモヤしている。
追悼記事を沢山書いた。
それはそのモヤモヤをすっきりさせたくてだ。

以下は、
僕がネットで知り得た氏の個人的関係と、
幻魔大戦という作品との関係を、推測をもとに再構成したものだ。
つまり僕なりの推理であることを先に断っておく。



氏は、宗教団体GLAに帰依した。
主宰の娘、当時高校生だった美女高橋佳子に、
多分恋をした。
主宰が亡くなり、佳子氏は二代目主宰となる。
当時の写真を検索すると、
黒髪で色白の、黒い大きな目が印象的な、
(当時の)芸能人クラスの美少女だ。
彼女に恋しない男はいないだろう。

平井氏は、彼女がわずか十日で自動書記で神の言葉を記録した、
と言われる著書「神創世記(三部作)」を、全て代筆した。

正確には彼女のそれまでの後援会や勉強会での
発言のテープを文字起こしし、
分かりやすく書き換え、順番を含めて再編集した。
ここにどれだけの改変があったかは平井氏のみぞ知るところだが、
そのままでは訳のわからない支離滅裂かもしれない女子高生の発言を、
社会的にまともに見れる形にする作家(ゴーストライター)の仕事をした。

これは彼の信心ゆえかも知れないし、恋心かも知れない。
僕は半々もしくは区別できていないと見る。

その後、その蜜月関係に嫉妬した他の信者たちに迫害され、
なおかつ佳子の心変わりがあり、
嫌になったとして平井氏は脱会している。

幻魔大戦が書かれたのはそのあとだ。

氏は、宗教団体の批判としてこの小説を書いたという。
団体内の軋轢や、いかに人は狂っていくかを書いたという。
それはGLAでの体験が、作家的に言えば「ネタになる」という確信があったのだと思う。


主人公、東丈は美少年だという。
黒髪で色白の黒い大きな目が印象的な。
これは若き頃の佳子氏とかなりだぶる。
角川アニメ版で、大友克洋のキャラデザに、
平井氏はかなり怒ったという。でこっぱちにされたと。
それは彼の中のイメージ、佳子氏の男版というのと離れすぎていた、
と考えると納得がいく。
佳子氏の髪型は黒髪ロングの前髪パッツンの、
お姫様的な髪型(姫子も同じ髪型)であり、
決してでこっぱちではない、神秘性があるからだ。
(高橋佳子 若い頃などで画像検索してね)

だから、東丈の語る救世主の話は、
高橋佳子の語ったことの、
幻魔的なオブラートを被せた、平井氏の言霊(自動書記)だ。


東丈は突然意味もなく失踪する。
ここが幻魔大戦の最大の謎であり、
その理由を巡って残された人々が騒然とし、
分裂していく過程が幻魔大戦の後半戦だ。
(東丈は帰還せず、未完となる。ここが僕を30年モヤモヤさせている)

それはキリストなきあとの我々人間のアナロジーに、
一見見えるが、
僕は氏が高橋佳子に、意味もなく振られたことと、
アナロジーをなしていると思う。
(振られたのは僕の推測。心変わりがあり、と客観的に書かれている)

振られることに、振られる側の納得のいく理由はない。
ただ神がお隠れになった、
という感情しか残らない。
それは、東丈なきあとの、GENKENメンバーや、我々読者の気持ちとシンクロする。


物語は、出来事(モチーフ)に、意味(テーマ)を見いだすことだ。

幻魔大戦は、出来事は、たしかに宗教団体の分裂劇である。
宗教団体の批判を描こうとした、
という氏の意図も反映されている。
しかしそれは表面上の話だ。
宗教団体の分裂劇は、出来事(モチーフ)であり、
それが何を意味するのか、つまりテーマがないのである。

東丈失踪の理由。
これが明かされない限り、この話になんの意味があったのか、
というテーマを表現したことにならないのだ。

それは氏の生涯、書くことが出来なかった。
なぜ振られたのか、生涯男が分からないのと同じように。


晩年に書かれ、明かされた理由「プレッシャーに負けたから」は、
後付けにすぎない。
何故なら、だから幻魔大戦は何だったのか、というテーマに関係がないからだ。
(関係があった、というのなら、幻魔大戦はテーマなき駄作だ)

平井氏は、高橋佳子に振られた、理由の分からないまま、
その恨みを書こうとした、
と考えると、
とても納得がいく。

東丈の失踪も、なぜ振られたのか分からないままだし、
その後実質主人公に変わった別人格の郁江は、
東丈ほどのカリスマ性のない、
恐らく代替品としての高橋佳子であり、
だからこそ高鳥という偽救世主に犯されるのである。

このセックスは当時の僕には大変ショックだったが、
男が振られた女を恨み、
頭の中で真の男でないヘボい男に犯される妄想を描くことはよくあることだ。

俺と付き合ってたほうがよかった筈だ、
という願望を充足させるためだ。
(心理学的には、「酸っぱいブドウ」と呼ばれる、認知的不協和の解消現象)

だから高鳥は、真の悪役にはなりきれず、
ヘボい男にしかなれなかったのだ。

高鳥が真のサタンであり、それが真の悪役たりえなかったのは、
そこに郁江を捧げるのは、
自分自身が大したことなかった、と認めることに等しいからだ。

郁江も高鳥も大したことなかったんだよ、
素晴らしかったのはお隠れになった東丈だけだ、
という、「負け惜しみ」が聞こえるのである。



幻魔大戦は、幾度もバージョンを変え、
書かれた。
しかし東丈は二度失踪し、その理由は明かされないままだった。
どうやっても、高橋佳子が自分の前からいなくなる、
そのまま一緒にいる未来が、彼には想像できなかったのだ、
と考えると、分かりやすい納得がいく。

狂おしい恋をしたことのある男なら、
そして物語を書く男なら、
誰もが納得のいく話ではないだろうか。


東丈は、理由なく、何度でも失踪する。そして帰ってこない。
なぜなら、それが現実にあったことで、
その理由は一生振られた側には謎だからだ。
にも関わらず、執着してしまうからだ。



晩年の幻魔大戦、deepシリーズは、
恐らく氏の老いによる人格統合過程だ、と僕は書いた。

現在の高橋佳子氏の画像を検索すると納得がいく。
彼女と再び会ったか、あるいは、画像を検索して、
現在を見てしまったか分からないが、
すうっと冷めたのだと思う。

だから幻魔大戦は完結できた。
東丈は帰還し、始まった当初からのセンタークエスチョン、
幻魔大王との決戦という役割を全うできた。

しかしそれが彼が本当に書きたかったことでないことは、
それがあまりにもアッサリ終わったことが示していると思う。




物語とは、カタルシスである。
分裂した自我が複数のコンフリクトを起こし、
それが統合されるからカタルシスが起こる。
成長が描かれるのもその為だ。
統合は成長だからだ。

幻魔大戦は、その形をついに取ることの出来なかった、
機能不全の物語であり、
現実の悲惨を、
理想の形に納めようとしてついに出来なかった、
平井氏の死闘の記録でもある。


これが歌ならば、
その気持ちを歌うだけで名曲になっただろう。
絵画や彫刻に刻んでも、いいものが出来ただろう。

ところが、彼が物語作家だったからこそ、
落ちをつけて総括するという、
そのやり方が上手く行かなかったのだ。

彼は高橋佳子に振られた謎を、
テーマという形で昇華しきれなかったのだ。
振られた悲しみという点で表現する芸術ではなく、
振られた悲しみから落ちをつけて線で表現する芸術、
つまり、
振られた悲しみは一体「なんの意味があったのか」、
というテーマに結実しなければならない、物語芸術であったがゆえに、
それは上手くテーマに結実しなかったのである。


そう考えると、
すべての筋に一本の線が通る。


彼の帰依ぶり、
その後の月一冊書き下ろしのハイペースで20冊という取り憑かれぶり、
そして何度もそのバージョンを書き直しては失敗すること。

キモオタが美女と仲良くなり、
振られたので創作をした、というよくある話の、
もっと壮大な複雑なパターンだと考えると、一本の筋が通る。


物語内の複雑な人間関係、何度も分裂する作者内人格。
それは全て、「なぜ振られたのか分からない」という心的外傷を、
彼の心が修復していく過程だったのではないか。
そして彼がそこに納得した、
つまり年を取ったその美少女の老けた姿を見て、
その夢が醒めたのではないだろうか。

恨み→憑依→謎の未解明→諦め
の過程だ。

そう考えると、一本の筋が通る。

天国で平井氏に会うことがあったら、
ぶっちゃけて聞いてみたいことである。
posted by おおおかとしひこ at 14:54| Comment(3) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
どれをどこの出版の本でお読みなのかわからないので“知ってて書いてるよ”ということかもしれませんが、“推測”についてはかなり的を外していると思いますので、いくつか突っ込ませていただきます。


>幻魔大戦という作品との関係を、推測をもとに再構成

“幻魔大戦と平井和正氏の関係”、また高橋佳子氏との関係は平井和正氏自身があちこちのあとがき・エッセイで書いており、90年代には総括・決別しています。以下にその一つを抜粋します。


 自分の人生は、すべて『幻魔大戦』を書くために集約されて存在する――そんな奇妙な信念が長い間私に取り憑いていました。
(中略)
 すべては、新宗教に九ヵ月間在籍した経験の、後遺症でした。自分の魂を震撼させた経験が愚劣な盲信・狂信でしかなかったことを、何とかして認めたくないがための、死に物狂いの足掻きだった。そういってしまうのは辛いが、自分自身が愚かしい惨めな狂信状態にあったことは認めざるを得ません。
(中略)
 自分が過去の一時期、れっきとした盲信・狂信の渦中にあったことを認めた上で、熱烈な生き神様崇拝に自分を赴かせた当のカリスマが卑小な正体を明らかにしてしまった今、それを償う方法はないものか……私は長い間不眠の夜を過ごして思い迷った挙げ句、いったん棚上げにすることにしたのでした。
(中略)
『幻魔大戦』を書くことは、私にとって棚上げしたものを吟味することでもあったし、自分自身の経験が、盲信・狂信のおぞましい所産ではなかったことを、証明する作業でもありました。
私が、かかわり合った新宗教の経験をすべて『幻魔大戦』という小説の中で煮詰めてみる。極私的な経験を普遍的な小説世界に置き換えてみる。
 私がやろうとしたのは、無残な幻滅の中に空中分解した理想主義を、今一度小説世界の中で再構築(原文ではシミュレートのルビ)し、その理想が現実の粗暴な洗礼に耐えうるかどうか、検分してみたかったのです。
 私が、新宗教のカリスマに対して軽蔑と不信を明確に表明して袂を分かった他の人々と違い、態度保留を選んだために、『幻魔大戦』の作中世界と現実を混同する錯覚を、読者たちの一部に与えてしまったことは、いかにも残念なことです。
 現実との混同を避けるように、と別の機会を捉えて呼びかけはしたものの、棚上げのこともあって、直接具体的に警告することには困難がありました。
『幻魔宇宙』のGENKEN及び主宰の東丈と、現実の新宗教のカリスマを重ね合わせて、新宗教の組織に参加してしまった読者たちは、かなり多数に上るようだし、その人々が現実と幻想のギャップに押しつぶされた惨めな経験を持ったことに、私は作家的責任を覚えずにはいられないのです。この場をお借りして、お詫び申し上げたいと思います。
(後略)

(平井和正『幻魔』を考える PART2 盲信・狂信の甘美な罠  初出:『平井和正全集 43 幻魔大戦 6』リム出版 1992.1)

収録先の詳細は以下参照
http://homepage3.nifty.com/hiraist/mokuroku/bib/bib5_hi.html#HI045

ただ現状ではこの版は電子版も配信停止しています。PART1が収録の1巻立ち読み版はまだファイルが残っているようでしたのでpdfへのリンクを記載しておきます。

http://www.ebunko.ne.jp/tachi/genma01t.pdf

あと私見ですが、ネット上に散見する高橋佳子氏の当時の行状が事実ならば、ストレートに反映されてるのは東丈や井沢郁江でなく『真幻魔大戦』の“CRAの大角美和子”の方に思えます。掛け値なしに描写して『幻魔大戦』の世界観ではどうなるか、思考実験した結果“幻魔に憑依された人間”にしかならなかった…というのは勘ぐりすぎでしょうか。


>だからこそ高鳥という偽救世主に犯されるのである。

あの霊体の郁江は偽物として書かれてます。
徳間ノベルス版の『ハルマゲドン 3 破壊王』の後書き『毒の惑星』で、以下のように述懐されてます。。

“だが、それにしても『破壊王』における大方の読者の誤解には意外なものがあった。”
“作者である私の失望は別にして、現実においても、人を信じることは真に困難なものだ、と言わざるを得ない。”

収録先の詳細は以下参照
http://homepage3.nifty.com/hiraist/mokuroku/bib/bib5_to.html#TO011

ちなみに徳間ノベルス版の『人類復興』末尾には書き足しがあり、木下の回想で現在の郁江が出てくるのですが、それは上記の誤解を受けてのことと思われます。


>東丈失踪の理由。
>これが明かされない限り、この話になんの意味があったのか、
>というテーマを表現したことにならないのだ。


これも私見ですが、居てはならなかったから、だと思います。
いかに小説世界の『幻魔宇宙』でも“シミュレート”という観点からすると、設定・確定事項としての“真の救世主”東丈が存在するのは、救世主を求める人々を“シミュレート”する障害にしかならず、どこにもいない存在になるしかなかった……ということを上記引用を書き写していてやっと思い至りました。
東丈が帰還できたのは、すでに『幻魔大戦』が“シミュレート”としての役割を終えていたということなのでしょう。
ただ私はdeepシリーズを読んでいないので的外れの分析かもしれません。


>晩年の幻魔大戦、deepシリーズは、
>恐らく氏の老いによる人格統合過程だ、と僕は書いた。


すでに別記事でコメントしましたが、その役目は『地球樹の女神』が担っています。


>幻魔大戦は、その形をついに取ることの出来なかった、
>機能不全の物語であり、
>現実の悲惨を、
>理想の形に納めようとしてついに出来なかった、
>平井氏の死闘の記録でもある。


過程の推測は別にして、この結論については上記の引用からしてもその通りかと思います。
Posted by でん at 2015年01月25日 16:47
「げんまたいせん」なるアニメを
観て、あまりの不出来に驚嘆し、原作者名で検索していたらこちらにたどり着きました。

しかしこの平井なんとかという作家はかなりひどい
くそみたいな作家だったんですね。
このブログに出会わなかったら、うっかり平井の小説をネットで購入して読んでしまったかもしれません。
危ない危ない、−W

教えていただきありがとうございました。

Posted by スコシスト at 2017年07月10日 20:30
スコシストさんコメントありがとうございます。

70年代末から80年代初頭にかけての、
幻魔ブームはほんとにすごかったんすよ。
リアルタイムじゃない人に言ってもしょうがないけど。
小説「幻魔大戦」は、
あんなエンドでなければ傑作になった可能性のあった作品です。
それほど凄まじいパワーでした。
文庫なら安いので、古本屋ででもゲットしてみてください。
あのパワーは何故うまく完結しなかったのか、
僕はまだ考えていたりします。
Posted by おおおかとしひこ at 2017年07月10日 20:49
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