最近オカルト話的なものが続いたので。
僕は理系なので、基本的には科学者だ。
(初期ドラえもんの科学万能主義で育った)
かといってオカルト全面否定主義ではない。
科学でどこまで分かるかを知りたいのだ。
だって科学とは、それを知れば身に付き、コントロール出来るからだ。
言霊とか神が降りたとかを、
なるべくユングやフロイトの心理学で表せないかと思っている。
僕の専門は人工知能なので、脳の機能に興味がある。
ついでに人と人の駆け引きが好きなので、
疑似科学やペテンにも興味がある。
こいつらをぎゃふんと言わせる正義の科学者でありたい。
ついでに人の心にも興味があるから、
マッドサイエンティストに興味もある。
信仰は家の浄土真宗だが、殆どの日本人と同様の無宗教。
ただ少林寺をやっていたので、その中心となる教え
「正義なき力は暴力、力なき正義は無力」をわりと信じている。
(風魔10話の「強い善人」というのは、それを僕の言葉で言ったもの)
例えば。
ブラウン管のつけっぱなしの音を僕は聞こえる。
これはオカルトでもなんでもなく、
ブラウン管が出す高周波が内耳に反応するのだ。
(液晶にはこの高周波がないのでこの現象はない)
同様に、高圧線の下などでは電流の存在が分かる。
高圧線が交流だからだ。
だから高圧線に近い家に幽霊が出るなどは、信用しない。
高圧線ノイズを無意識下に受けた脳の変調と僕は見る。
昔三日徹夜とかよくあったから、
その時に目のはしに人の顔が見えることがよくあった。
それは幽霊ではなく、目の錯覚だ。
目のはしの周辺視野では、人の顔が歪んで悪魔的に見えることがある。
(検証動画がある。
「女性の顔がグロテスクなエイリアンに見えてくる錯視動画」
で検索)
徹夜で理性が朦朧とすると、それを幽霊と安直に判断する。
高圧線下で、そのような現象が起きていると僕は考える。
多くの幽霊現象は、統合失調症と似た現象であることが、
最近ようやくネットなどで暴かれつつあると思う。
数時間飛んだ、異世界へ行った、なども解離の一環だと思う。
もし幽霊が見える人がいるのなら、
(僕は身近にいないので)検証してみてほしい。
幽霊がそこにいるとする。
地面に接地しているとき限定だが、
あなたはゆっくり、円形に90度回り込んでほしい。
その足元が、地面にきちんと接地出来ていれば、
それは何らかの物理現象である。つまり、測定出来る。
これは、CGの合成でも極めて難しいカメラワークだ。
地面の接地が難しい。
カメラつまり自分の動きが、等速度かつ完全な円じゃないから、
幾何学的な計算では出ないのだ。
CG合成で手を抜くやり方があって、
そういう難しい接地の時は、浮かせる。
つまり、浮いてるという設定にする。
ホバリングするヘリ、ジャンプさせて接地のコマ数を減らす、
浮いてる幽霊という設定だ。
(実写「デスノート」のリュークを見よ。カメラが動くため、
浮いて手を抜いている)
浮いてて、接地を誤魔化しているなら、
それはあなたの脳内の現象(つまり高圧線の影響や、目のはしで見るようなもの)
である可能性がある。
可能ならば、上や下にも回り込み、
パースの変化にもついてこれるか試してみて欲しい。
幽霊(妖怪)は脳内現象だ、
という、ガッカリする推論なのだが、
それでもないものがほんものの幽霊だ、
と、見間違い現象を除外していくのである。
これが、世界を理解するということだ。
複数のものがまぜこぜの「幽霊」という現象を、
見間違い、錯覚、何らかの脳内現象(統合失調症含む)、
ペテン、疑似科学、
そして死んだ人の魂の出現、
に分けてゆき、
最後の可能性を研究すべきだと思っている。
このブログに書いたかどうか忘れたが、
大阪の「二時のワイドショー」の夏休みスペシャルで、
大阪芸大の写真家の先生が、
「心霊写真の殆どは失敗写真だ」ということを証明するコーナーがとても好きだった。
視聴者から送られてきた心霊写真を、
その同じところまでいき、本人をモデルに同じアングルで、
まったくおなじ「心霊写真」を再現で撮る、というコーナーだ。
フィルムの巻き取りミスや、二重露光がどうやって起こるか、
オートフラッシュ、
レンズのゴミや傷と逆光フレア(オーブ)、
スローシャッターと明るさの関係、
テレビが1/30で絵が出てるから、1/60以下のシャッタースピードでは
テレビを撮ったら変な画面になる、
反射物への写りこみ(窓、ガラス、鏡、銀色のもの)、
露光時間が長いときに消えやすいもの、
レンズ(望遠や広角)によって見た目と異なること、
などなど、心霊写真を作例にして写真を勉強する、
とても面白いシリーズだった。
(つまり、トリック撮影というものが、世の中にあることを教えてくれた。
これを動くものでやる、すなわち特撮が大好きになるのも、
物語性だけで見ていた子供が、作る側に回った瞬間だ)
僕がベースにしているのはこの考え方だ。
訳のわからないものは、
訳がわかるようになる。
科学で。
僕が脚本論を書いているのは、
素人に、あるいはプロにでも、
訳がわからない脚本の世界を、
ある程度訳がわかるようにしたいからである。
そうすれば、使えるようになるからだ。
(勿論、分かっても出来ないこともあるけど)
訳がわかるのはここまでで、
ここからは訳がわかっていない、
科学とは、そのようなフロントラインのことだと思う。
2015年01月26日
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