前記事の続き。
宝くじのCMの例で、
コンセプトとしては面白そうだった、
「他人を無理やりラッキーにする集団」が
何故捨てられたのだろうか。
これは、伸びないアイデアだからだ。
伸びるアイデアとは僕の造語だが、
次の工程で、さらに面白くなりそうなもののことを言う。
実際にこの集団を考えたとき、
たとえば、
滑って転びそうな人を、集団で支える。
あぶない!
あ、ありがとうございます。
ラッキーでしたね。ラッキーでしたね。
はあ。
「これでお前は、運を使い果たした」
集団、ガッツポーズ。
というコントを考えることが出来る。
コントとしてはあるけど、
宝くじの運を呼び込む努力としては、果てしなさ過ぎる気がする。
シリーズとして何本もつくるのならあるかも知れないが、
そのシチュエーションを、
振り切ったコントにするよりも日常的にしたほうが、
この集団の異常さが出るから、
極端な雪山コントに振れなくなる。
とするとだ。絵が地味になるのだ。
長年このようなアイデアを出していると、
伸びなさそうなアイデアが分かるようになる。
「今この場では面白そうだけど、
具体はどうすんのよ?」「それはこれから考えるんだよ」
が伸びないアイデア。
「ほほう。だとしたら、こういうこともあるし、こういうこともあるよね?」
と即答できるのが、伸びるアイデア。
昨今の、ダメな現場では、
伸びないアイデアを立場上上の人が出して、
下の者に無茶ぶりをすることがよくある。
これを発展させてくれ、面白くなりそうだ、などと言って。
それは決して面白くならない。
そのアイデアの伸び代は、そこまでなのである。
伸びるアイデアなら、アイデアを聞いたときに、
いくつものバリエーションが思いつくものだからだ。
アイデアは、決して多人数で考えるものではない。
自分一人で完結するものだ。
(例えば複数の人のアイデアの複合体の実例は、
渋谷ダンジョンの悲惨さを見ればわかる)
アイデアの続きを他人にやらせる段階で、
それは伸びないアイデアだ。
とくにCMの企画をするときは、
沢山のアイデアをだし、
伸びそうなアイデアを掘っていくことが多い。
沢山のアイデアを出せる引き出しの多さと、
伸びるアイデアを出せることが、
才能(とそれを維持する努力)の証拠である。
映画でも同じくで、
工程がCMより複雑なぶん、
沢山のアイデアから選ぶ、という場面は少ない気がする。
アイデアの目利き、というのがあるのだとしたら、
まず伸びるか伸びないかを見極めることから始まっていると思う。
勿論、最終的に世の中にどのように受け入れられるか、
ということまで見えるかどうかも大事だが。
ほんとに目利きは減った。
アイデアを出すことより、
都合が優先されている気がする。
アイデアはゲリラだ。
物量を制することができる。
ISISをクソコラがアイデアで撃退したかどうかは微妙な線だが、
アメリカが出来なかったことをアイデアが凌駕したことだけは事実だ。
物量と金をかけたものに凄いアイデアがあるのが、
真の理想だけど。
2015年01月27日
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