2015年01月29日

親しくなるまでの速度

あなたは人と仲良くなるのが早いだろうか、
遅いだろうか。
早い人はリア充だろうから、多分ここには来ていない。
平均より遅い人が多いと思う。

しかし、映画の中では、平均的な、
人と親しくなる速度を考えなければならない。



表面的に親しくなること。
その後、引かれるかも知れない、ほんとうの自分を見せること。
(これを極端に描くと、妖怪退治対化け物の私、というテーマになる)

この二つをきちんと描けて、はじめて人と人の心の繋がりを描いたことになる。
(しかも三人称スタイルで)

表面上親しくなることは、比較的簡単に描くことができる。
問題は、二番目の「ほんとうの自分」を見せるタイミングだ。

ここがうまい人が、観客の心を鷲掴みにするのだ。


僕がカリオストロのヒロイン、クラリスに心を掴まれたのは、
ミッドポイント、銃で撃たれたルパンを身を呈して止めたところだ。
「泥棒を覚えます」という台詞もとてもいい。
一方、主役のルパンが本音を出すところは、
「今はこれが精一杯」と、過去の因縁を語るところだ。
個人的復讐心と、少女を巻き込んではいけないと思う所、
この二つがルパンの本心である。
泥棒の世界に彼女を引き入れてはいけないという思いもいい。

人の表面上の外面と、
ほんとうの内面には必ずギャップがある。

それを告白する、基本的なパターンをまず書けるようにしよう。
普通の文脈でなく、ふと何かを言いたいときをつくってだ。

うまくなると、台詞でなく行動で示す。
クラリスが身を呈す場面は、そのアニメーションの良さも含めて、
最高の芝居のひとつである。
あるいは行動の決意が次善だ。
「泥棒を覚えます」というとても可愛い台詞がそれに当たる。
「君はそんなことしちゃいけない」と、
誰もが思う名台詞である。


本心をそのまま語るのは野暮だ。
だからこのような表現の工夫があるのである。

衰退しているJポップは、
いつの間にか本心をそのまんま語る歌詞ばかりになってしまった。
僕はその表現としての低レベル化が、
最も衰退に関係していると思っている。



いつ、引かれるかも知れない本心を開示するか。
こんな醜い私を見てください、というくぱあから、
抑えた表現から、
行動で示すまで。

あなたが人と親しくなる速度を考えなければ、
他人が他人と親しくなる速度を推し量ることはできない。

そのスピードは、平均的な脚本家より、ちょっと早い。
何故なら、映画の中では大変な事件が起こっていて、
目まぐるしく時間が過ぎるからだ。



リライトのひとつの目的は、
第一幕の無駄を切ることにある。

それは、あなたが登場人物と親しくなるまでの、
助走期間をカットすることにある。
あなたが慣れるよりも早く、
観客に登場人物を慣れさせなければならない。
それは一緒にきゃいきゃいやることではなく、
事件に巻き込まれることで描き始めなければならないのだ。

その反応して行動する最中に、
観客は登場人物と親しくなってゆく。
(少なくとも表現上)
本心を開示するタイミングは、ストーリー次第である。
posted by おおおかとしひこ at 13:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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