あなたは人と仲良くなるのが早いだろうか、
遅いだろうか。
早い人はリア充だろうから、多分ここには来ていない。
平均より遅い人が多いと思う。
しかし、映画の中では、平均的な、
人と親しくなる速度を考えなければならない。
表面的に親しくなること。
その後、引かれるかも知れない、ほんとうの自分を見せること。
(これを極端に描くと、妖怪退治対化け物の私、というテーマになる)
この二つをきちんと描けて、はじめて人と人の心の繋がりを描いたことになる。
(しかも三人称スタイルで)
表面上親しくなることは、比較的簡単に描くことができる。
問題は、二番目の「ほんとうの自分」を見せるタイミングだ。
ここがうまい人が、観客の心を鷲掴みにするのだ。
僕がカリオストロのヒロイン、クラリスに心を掴まれたのは、
ミッドポイント、銃で撃たれたルパンを身を呈して止めたところだ。
「泥棒を覚えます」という台詞もとてもいい。
一方、主役のルパンが本音を出すところは、
「今はこれが精一杯」と、過去の因縁を語るところだ。
個人的復讐心と、少女を巻き込んではいけないと思う所、
この二つがルパンの本心である。
泥棒の世界に彼女を引き入れてはいけないという思いもいい。
人の表面上の外面と、
ほんとうの内面には必ずギャップがある。
それを告白する、基本的なパターンをまず書けるようにしよう。
普通の文脈でなく、ふと何かを言いたいときをつくってだ。
うまくなると、台詞でなく行動で示す。
クラリスが身を呈す場面は、そのアニメーションの良さも含めて、
最高の芝居のひとつである。
あるいは行動の決意が次善だ。
「泥棒を覚えます」というとても可愛い台詞がそれに当たる。
「君はそんなことしちゃいけない」と、
誰もが思う名台詞である。
本心をそのまま語るのは野暮だ。
だからこのような表現の工夫があるのである。
衰退しているJポップは、
いつの間にか本心をそのまんま語る歌詞ばかりになってしまった。
僕はその表現としての低レベル化が、
最も衰退に関係していると思っている。
いつ、引かれるかも知れない本心を開示するか。
こんな醜い私を見てください、というくぱあから、
抑えた表現から、
行動で示すまで。
あなたが人と親しくなる速度を考えなければ、
他人が他人と親しくなる速度を推し量ることはできない。
そのスピードは、平均的な脚本家より、ちょっと早い。
何故なら、映画の中では大変な事件が起こっていて、
目まぐるしく時間が過ぎるからだ。
リライトのひとつの目的は、
第一幕の無駄を切ることにある。
それは、あなたが登場人物と親しくなるまでの、
助走期間をカットすることにある。
あなたが慣れるよりも早く、
観客に登場人物を慣れさせなければならない。
それは一緒にきゃいきゃいやることではなく、
事件に巻き込まれることで描き始めなければならないのだ。
その反応して行動する最中に、
観客は登場人物と親しくなってゆく。
(少なくとも表現上)
本心を開示するタイミングは、ストーリー次第である。
2015年01月29日
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