2015年01月30日

「押すなよ!」は「押せ」ってこと

ダチョウ倶楽部のこのネタは、
時間軸でものを語ることの本質を示している。

つまり、
語られた要素はのちに実現する、
ということだ。


リライトの基準で、
「ストーリーに必要なことだけを書く」という原則があるが、
それを見極めるのはなかなか難しい。

そんなとき、このダチョウ倶楽部の原則を思い出すとよい。

あとで押さないのなら、「押すなよ!」は、
カットできるのだ。


勿論、カットして情緒がなくなったり、
なんだかいい感じだったニュアンスがなくなることは残念だ。

が、もしカットしなければならない状況ならば、
涙を飲んで全てを一端刈り込んでみることをオススメする。

すべての、あとで使わない表現を、
風呂に入った猫のように、ふわふわの毛のない状態にしてみるのだ。

それで余計な情緒のない全体像を確認したら、
ふわふわの毛をまた戻していってもよい。
その時に、
どこがあとで使う「押すなよ!」に当たるところで、
どこがあとで使わない部分か分かるだろう。


あとで使わない部分は、
実は「あとで使うかも」というミスリードを起こすことがある。
作者はあとで使うつもりはなく、
今その場の情緒を大事に書いた、
あるいは無意識で書いた部分かも知れないが、
それが「なんらかの伏線」、つまり、あとで「押す」があるのだろうと期待してしまう。

それがないとガッカリする。
期待してたのにと。

意図したものなら構わないが、
大抵の場合それは無意識で気づかないほうが多いと思う。



本当に、余計なところはないだろうか。
台詞の一語一語、ト書きの一語一語単位で、
それはあったりする。

あとで使わないから、という理由でそれを切ることは合理的である。


あなたのシナリオで、どこが「押すなよ!」とダチョウ倶楽部みたいに言っているだろう。
それに対応する、「押す」場面はどこだろう。
それは伏線とその解消の関係になっていることに、気づくとよい。

ただ「押すなよ!」と言って、
その後一度もそれに触れないのなら、
それはカットしてもよい部分である。
posted by おおおかとしひこ at 01:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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