小道具の上手な使い方は、
それを道具として使ったり、
小物として使ったりしながら、
別の何かの象徴として使うことだ。
警察手帳は、
身分証明書だけでなく、もちろんメモ用だけでなく、
権力の象徴や、正義の印としと使われる。
テロリストが警察手帳をビリビリにするのは、
権力への反抗の宣言であり、
警察組織の腐敗に絶望した刑事が警察手帳を捨てたりするのは、
正義の印としての警察を信じきれないことを意味する。
小道具を象徴とした最も豊富な例のひとつは、
「アパートの鍵、貸します」で、
それに関しては過去に書いた。
例えばヒーローのガジェットが、
なぜあれほどまでにワクワクするのか考えよう。
勿論、道具としての面白さが物理的にあるのだが、
それが使われる場面よりも、
出動の前に短いカットで次々に準備されるカットのほうがワクワクする。
それは、道具としての面白さよりも、
これから正義がなされようとしていること、
闘いがなされようとしていること、
その象徴だからであると思う。
道具をひとつひとつ準備をするカットで、
我々は道具を見ながら、
「これから訪れる激しい闘い」を読み取るからである。
ランボーが、
サバイバルナイフを革のナイフ刺しに入れ、
弓矢を準備し、
マシンガンや弾をチェックし、
バンダナをギュッと絞めるカットに我々が魂を奪われるのは、
それ自体のかっこよさと、
闘いの象徴表現だからである。
物語を作る上で、
このような人物や人間関係やテーマを象徴する小道具を、
キーになるものについて作ると、
ビジュアル的になるだろう。
ロケットペンダントをはじめとする誰かの形見、
闘う人にとっての武器(小次郎の風林火山や五右衛門の斬鉄剣)、
武器でなくとも小道具(映画監督のメガホンとか、
医者のメスとか、作家の万年筆とか。
デジタルガジェットは何故か象徴になりにくい。
愛用の道具の感じがしないからだろう)、
二人の愛の印の記念品(皿とか)、
組織に所属する証(バッジとか)、
組織そのものを表すもの(ネルフのロゴとか、旗とか。風魔では夜叉面と風旗があったね)、
陰謀の象徴(秘密兵器など)、
契約の証(指輪、十字架、ベヘリットなど)。
これらのデザインが重要だ。
それは、物語の単なる道具ではなく、
物語の重要なところの象徴だからだ。
マジに、お洒落に、謎めいて、
デザインするのは表のやり方。
わざと意外なものにする、凄いと思わせて変なものにする、
のが裏のやり方。
たとえば、
ドラえもんのタイムマシンが引き出しに繋がっている、
「アパートの鍵、貸します」で彼女との象徴がテニスラケットでパスタを茹でたこと、
「アニーホール」でのそれは生きたザリガニの逃走、
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」におけるデロリアン。
これらは、わざとへんてこなもので、
笑いを取ったほうがよい。
なぜか。コメディ的だからだ。
喜劇とは、人は素晴らしく人生はいきる価値がある、
と示すことだからだ。
あるいは逆に、悲劇の象徴をコメディ的なものでやることもある。
ピエロの仮面の殺人鬼などだ。
「時計仕掛けのオレンジ」では、雨にうたえばを歌いながらレイプする。
お笑い芸人のネタで歌いながらいじめをするなどは、
どこの中学でも起きているだろう。
これらは小道具ではない。これを何かの小道具に象徴すれば、
小道具表現になったことになる。
(ちょっと古い例だが、ギター侍のネタでいじめをしていれば、
そのギターを叩き壊すことや、誰かにそのギターを譲ることが、
象徴表現になる)
仮面は代表的な小道具のひとつである。
別人になる象徴としてだ。
仮面夫婦もの、仮面ライダー、ガラスの仮面など、
仮面を上手く使えば名作を生める可能性がある。
勿論、仮の人格と本当の人格、
というテーマをちゃんと書けた上での話だが。
さて、今のところ「てんぐ探偵」の天狗面は、
そこまで象徴表現にはなっていない。
単なる小道具でしかない。
これが象徴表現になるのは後半戦だと考えている。
また、天狗の力の象徴をひとつ思いついてしまい、
(理屈の筋がやっと通った)
それを元に第一集からリライトしたいのだが、
さてどうしようと悩んでいる。
小道具を上手く使え。
無言という最上級の台詞で、
多くを語ることが出来る。
道具かどうか微妙だが、実写風魔において、
風は小次郎の象徴だ。
だから姫子は最終回、風の吹く方向を見るのである。
それはベタだが、希望の象徴でもあるのだ。
2015年02月01日
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