2015年02月01日

ビギナーズラックを意図的に起こす方法

創作に慣れることはとても大事だ。
色々やらなければならないことを、
マスターした上で、使いこなすことが大事だ。

しかし慣れは惰性に繋がる。
今回は、慣れてなかった頃の話を。



慣れてない頃の作品を引っ張り出してこよう。
粗削りで、今見れば恥ずかしくなるようなものだろう。
しかし、それは、本気でつくったものほど、
今の自分には作れない、不思議な魅力があるというものだ。

それは、ビギナーズラックが起こったからである。

ビギナーズラックはなぜ起こるか。
右も左も分からないから、
分からないなりに、無意識で一番勘所を押さえるのである。
たとえ技術が拙劣だったとしても、
勘所はそれなりに押さえられているから、
人の心を打つのだ。
無意識に勘所を押さえられたものが、
ビギナーズラックを起こしたものとして残るのである。

僕がはじめて撮った映画には、
その異様なパワーがあったと思う。
漫画はかいてたし、演劇の台本も書いてたから、
作劇の力はそれなりにあったが、
以後あの高揚感はなかなかない。
(多分、次にそれを得たのは風魔である)
多分、ビギナーズラックだ。

風魔もビギナーズラックかも知れない。
ドラマを撮るのははじめてだ。
自分が死ぬほど好きだったものを実写化するのもはじめてだった。
詳しく分からないからこそ、
分からないなりに一番の勘所を必死でおさえ、
それが成功したときに成功作品になるのだと思う。
(風魔で言えば、主人公小次郎への感情移入かな)



このようなビギナーズラックを起こす方法がある。

慣れてないことをすることである。

よく知らない世界のことを書いたり、
普段やらない技法を試したり、
はじめての人と仕事をすることだ。

それが分からなく、不安だからこそ、
人は生存本能的に、最も勘所を抑え、生き延びようとする。
それは意識ではどうしようもない、
言葉に出来ない感覚を使うかんじだ。


僕がてんぐ探偵という小説を、
普段本も読まないのにいきなり書き始めたのは、
今思えばそのような冒険だったように思う。

探り探りやってきて、ようやく何か掴めたかも知れない。
僕は小説家になりたい訳ではないからこそ、
小説というものを違う面から見れた気がする。
それが小説家どっぷりの人たちから見て、新鮮だとよいのだが。


慣れてないことをしよう。
苦労しよう。
そのことで、自分のいきる力のようなものが必死で目覚めて、
ビギナーズラックを起こすことがある。
例えば一人旅は、その連続みたいなものだ。

余裕があれば、必ず新しいことに挑戦する、
と決めてかかるのもよい。
失敗しても、プロット段階なら傷も浅い。
プロットは、だから冒険の場でもある。
posted by おおおかとしひこ at 18:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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