2015年02月04日

紆余曲折2:分岐

ある場所に集まっているものを、
二手に割るとよい。


一端集合したものを解散させてもいいし、
そもそも呉越同舟集団であれば二手に分けやすいし、
意見の相違から決裂することもある。
偶然によって二手に分けられてしまうイベントもあるだろう。

前の例で言えば、
シンイチの公園に張った結界を、
誰かが破って脱走する、という展開を考えることが出来る。
そいつを捕まえる隙に、
一方では分裂がどんどん進む、などだ。
このように、何らかの(起こりそうな、起こるべくして起こる)
アクシデントによって二手に分けることが可能だ。


注意すべきは、 二手に分かれる展開は面白いが、
それぞれがサブプロットになるわけで、
それがテーマに何らかの関係があるかどうかである。
単に二手になったほうが面白い、
というだけではそれは本当には面白くなく、
ただの思いつきである。

二手に分かれたことで、それがメインテーマと関連したサブテーマになることが、
サブプロットの存在意義だと思う。


この例で言えば、
メインテーマは「分裂したオレは全員オレだと気づくこと」だが、
脱走がそのヒントとなれば、
そのサブプロットには意味があったかも知れない。

今思いついたのだが、
現実逃避したいオレが行動力のあるオレと強力して
脱走することにして、
それ以前に「この辛い状況から脱出したい」と不満を言っていたことを前ふり、
あの時の発言は君か?という、
分裂したオレがオレの一部だと気づくこと、
というサブプロットを組んでも良かったかも知れない。

ということは、何らかのストレスでこの分裂騒ぎが起きていて、
それに耐えられない弱い心が起こしている、
という風にすすめ、
その時に24号の弱いオレへの分裂が起こり、
弱いオレは、役に立つという認識へ統合される、
という流れにすれば、
一工夫出来たかも知れない。


単に二手に分かれる展開だけでは、
面白いだろ?というだけになってしまう。
それが効果的な展開かどうかは、
ひとえにテーマのサブテーマになっていることが重要だ。
サブテーマを考えて、この展開を考えてもいいし、
二手に分かれる展開を思いつき、
あとづけで役割を足して行く今回の方法論の、
どちらの方法でも構わない。


ロードオブザリング二つの塔や、ダークナイトなどの、
カットバックする二手の状況は、
テーマのサブテーマになっていないから、
あんまり面白くないのだと思う。
クリストファー・ノーランの考え方は僕は嫌いで、
カットバックする二手の状況を、
テーマとサブテーマという役割を与えずに、
ただ混乱させる為に使っている。

単なる対比以上の意味を、
サブプロットには与えたいものである。


(風魔10話で、何故小次郎姫子と、蘭子竜魔の二手があるのだろう。
群像劇による対比以上の意味はあるのだろうか。
答えはラストの縁側にある。
お互い、「今は言えない」ことを内に秘めること。
これは大人への第一歩であることを示している。
どちらも成功ではなかった。思いきっただけだった。
それが「大人になること」といういわば青春群像劇の、
一階梯なのだ、という縁側のラストに結実する。
勿論蘭子竜魔のラインはなく、
小次郎と姫子が、別々に蘭子さんにそれを話す、
という二手の分かれ方もあったかも知れない。
しかしそれでは蘭子さんにここまで感情移入出来なかった筈だ。
大人になること。それはどの若者も通る道だ、
というようなことが、風魔のテーマでもある。
そしてそれは、「新しい形の忍びになること」という、
大テーマの、サブテーマにもなっている)
posted by おおおかとしひこ at 13:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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