2015年02月08日

簡単な短編の書き方

物凄くキャラの立った人物をつくる。
ラストに殺す。または行方不明にする。
あるいは、「二度と彼には会えなかった」とする。

それだけで、鮮烈なイメージを残す作品になる。


つまり、落ちを作らないやり方だ。


このテクニックは、たとえば歌に使える。

「波乗りジョニー」って伝説のサーファーの歌だとしよう。
女にモテて、いつもレイバンのサングラスで、
親父の形見の帽子を持っていて、
テキーラが大好きで、
あいつに乗れない波はない、とキャラを立てる。
あのビッグウェンズデーの波にあいつは挑んだ、
そのあと彼の死体はまだ上がってない、
でも、あのときみんな目撃したんだ、
あの波に乗れたジョニーをね

なんての書けば、それが歌になってしまう。
サザンに波乗りジョニーって歌があったような気がするが、
それと関係なく今適当に書いてみただけだ。
あとはもっとキャラを立てたり、
彼の恋人を出したり、伝説の波のキャラを立てたり、
サーフボードにまつわるエピソードを追加していくとよい。

これはストーリーだろうか。

否である。
問題の解決、という僕の定義にはまっていない。

鮮烈な記憶と共に、我々の前を駆け抜けた、
一人の男の描像(スケッチ)でしかない。


これは短編ならではである。

短編では、実は解決しなくても、
それが何だか面白ければ、成立するのだ。
ワクワクだったり、今の現実を忘れられそうなものだったりすれば、
それは短編の条件を満たすのである。

怪談が短編であるのには、理由がある。
怪談に落ちはない。
正確に言えば、問題の解決はない。
解決せず、一体何だったのか、が怪談の定義といってもよい。

だから怪談は、短篇で、ストーリーの構造をなしてはならないのだ。

(怪談で落ちのあるタイプはある。
しかしそれは本当の落ち、つまり問題の解決ではない。
大抵主人公が殺されてそれは誰も知らない、になる)

逆に言うと、怪談の目的は、
日常を異化し、今あるこの日常と別の原理があるかも知れないと、
思わせることにある。
だから落ちがついてはならない。
そうかもね、という終わり方にしなければならないのだ。


ホラー映画と怪談の関係は、
だから、長編と短編の差になってくる。
互いにモチーフが同じだとしても、
ストーリーの構造やテーマが異なるのである。
ともに落ちがつく場合、
短篇では、ラストに死ぬのは主人公だが、
長編では、死ぬのは怪物だ。
これが王道で、他はその変形になる。
(長編でも主人公死に落ちで被害は拡大する、
というエンドはたくさんある)

長編では、問題は解決しなければならない。
解決というのは、この怪奇現象がおさまることで、
もとの日常を回復することである。
それは、怪物退治を意味する。

勿論、ホラーだから、という理由で、
未解決エンドや短編的なエンドになるものも多い。
それは、短編の終わり方を模しているのである。
きちんと怪物を退治して終わる問題解決型が、
王道の長編映画である。
たとえば、未解決エンドの「リング」と、
解決エンドの「ゴジラ」では、
後者のほうが王道だ。

リングあたりからのJホラーブームでは、
短編の方法論を長編に組み込み、
未解決エンドや死に落ちで、解決しない怖さを描いたものが多い。



名曲「泳げたいやきくん」、
名画「少年時代」、「スタンドバイミー」
などなど、ラストに死または行方不明落ちは、
なんだか詩的に響く。
これは、ある種のパターンであることは、
知っておいたほうがよい。

あとは、どれだけキャラを立てられるか、
出た→死んだの間の、
展開部をいかに面白くするか、
にかかっている。

長編映画では、その鮮烈なキャラを見ている主人公の成長物語として、
問題解決の物語とする型が多いが、
短篇では、短編ゆえの、
未解決エンドや鮮烈なラストシーンで、おもしろくしたほうがよいと思う。


長編映画にも、短編的な終わり方をするものがある。
ヨーロッパ映画に多い。
傑作「髪結いの亭主」のラスト付近は、大学時代に見てから、
ずっと頭から離れない。
「ニューシネマパラダイス」の挿話、
姫を待ってた男が突然消えた理由についても、
ずっと頭から離れない。

キャラを立てて殺す。または行方不明に。

これは、短篇で使える劇薬のような型だ。



あれ?そういえば風魔は、それを延々とやってた?

原作夜叉編は、次々にキャラを使い捨てする、
例を見ない構造の物語である。
それは、短編の方法論を積み重ねた物語だといって良い。
まあ、そもそも車田5対5方式や、トーナメント方式が、
そのやり方なのだが。

それだけじゃ単なる劇薬だ、
と僕は無意識に思い、主軸、
すなわち問題と解決(主人公の成長)をつくったのである。

ちなみに原作夜叉編は、
その劇薬に飽きてきた時点で、
更なる劇薬を投入する。聖剣である。
車田漫画は、短編の連続だ。
短編に短編を重ねて、次々に設定を塗り替えていくのだ。

ひょっとすると、連載漫画の本質はこちらかも知れない。

今、コミックスベースの漫画が多くて、
雑誌で読んでも面白くない漫画が多いのは、
長編ベースで、短編ベースじゃないからかも知れない。


勿論、三幕構造がきちんとある短編もある。
どちらがよいとは言えない。
面白い方の勝ちだ。
posted by おおおかとしひこ at 12:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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