2015年02月08日

料理の段取りは、ストーリーの構造に似ている

度々料理をたとえばなしに上げるが、
つくる過程すら、
ストーリーの構造に似ていると思った。



材料を用意。
最初に全部出すが、それぞれの場面で改めて登場させる。
(オープニングクレジット。
あるいは、必要な材料だけをストーリーに集めることに通ずる。
使わないのは入ってないし、足りないのはない、
全て適量だけ用意する。
それは、ストーリーの中身によって異なるし、
達人は最適量の見積もりが出来るが、
初心者はあやふや)

それぞれを仕込む。
あとで使うことを考えて、最適な順で。
(一幕や初登場をどう組むか。勿論、ここで伏線だ)

調理。
(展開。山あり谷あり。複数の皿をつくるなら、
それぞれはサブプロットの展開に対応。
メインディッシュとサブディッシュの関係は、
栄養や味の補完だが、メインプロットとサブプロットの関係は、
テーマの補完である)

最初に仕込みをしておいたのは、ここで活きる。
(伏線の解消)

完成。食う。うまい。
(食べるのがクライマックスに当たる、とした。
一番楽しくて一番の盛り上がり。
全てが渾然一体となり、一気に来る。
つくる手間に対して、食べるのは一瞬。
そして、料理のテーマを確定させるのは、
食べ終えたときだ)

片付け。
(エンドロール。反省会。感想や批評)


クライマックス、すなわち、
食べることを想定して、
全ては組み立てられる。
それの逆算で調理は行われ、
その逆算で材料の仕入れがある。

時に面白い材料に出会い、
クライマックスが見えたら、
それに相応しい調理の段取りや付け合わせを考え、
一から組んでいく。

下手な人は、材料が余ってしまったり、
足りなくなったりする。
調理の時間ばかりかかる。
一方達人は、最適を見極め、最低限の加工で、
最も材料を生かす。
下手な人の煮込みは、煮込みしかないことになった、
計画性がない煮込み。ドロドロとしてしまう。
うまい人の煮込みは、最初から煮込みをつくろうとしてるので、
煮込みの中で味が立つようにコントロールされている。

うまい人の料理は、意外な調理があるし、
伝統的な調理法もうまい。
下手な人の料理は、調理が誰かの真似で、
自分のものになってなくて、
しかも自分のアレンジをいれてくる。
結果まずい。

うまい人は仕込みから違う。
下手な人は仕込みから適当。

下手な人はアドリブが効かない。失敗は致命傷。
うまい人は途中失敗しても、失敗しなかったようなアドリブで切り抜ける。

うまい人の料理は、あれがここに効いていたのか!がある。
下手な人の料理は、どこがどこに効いているのか、よくわからない。

うまい人の料理は、エッジが効いている。
ひとつの方向をきちんと向き、コンセプトがはっきりしている。
下手な人の料理は、エッジがぼやけている。
何をどう食べてほしいのか、よくわからない。

うまい人の料理は、そのまま食べても旨いし、
好みで塩コショウを振ったり、自分なりにアレンジしても旨い。
下手な人の料理は、そのままじゃしんどいから、
色々と調味料をぶっこまないとしんどい。

材料やレシピが同じでも、
腕の差が出る。
それはクライマックスの仕上がりだけでなく、
途中のもたつきや、序盤の仕込みでも差が出る。
(滅多にないけど、同じ材料から同じ話を、
違う脚本家が書くことを想像するとよい。
料理番組ではたまにあるよね)


指揮官は一人。
複数がやると、必ずとっちらかる。
複数の管理を指揮官が出来きったときは、
素晴らしい出来になる。

そもそも舌が肥えてないと、うまい料理はつくれない。
各瞬間の判断、OKの基準だからだ。
料理が下手な人は、そもそも旨いものを食ってないことがある。



ね?なんか似てるでしょ。
名監督はグルメでしかも料理がうまい、という都市伝説は、
この類似の比喩のような気もしてくるではないか。

「自炊をすると、脚本がうまくなる」
という仮説を、立ててみるとするか。


ちなみに自炊をすると、
余った材料を使いまわさなきゃならないので、
僕は自炊は嫌いである。
あれ?これって、材料のごり押し?
posted by おおおかとしひこ at 13:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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