自分は特別だ、と思うことは、
自我の芽生えでもある。
他人と自分の差を考え始めるとき、
他人と違い自分は特別だ、と考えて、
自と他の線引きをしはじめ、
集合的無意識から自我は分離されて行く。
その特別感が漫画的なものが、中二病か。
幼児的全能感とは異なり、
何か特別な能力があると信じる。
暴走族的ななにか、暗黒魔術的な何か、
二重人格的な何か、武術的な何か、
異世界的な何かなどなど。
これは下手にこじらせると痛いが、
上手く育てると才能に変わると思う。
「漫画的な何か」を強く信じることは、
創作者の芯にいるからだ。
逆にプロのクリエイターとは、
中二病が治らずに、プロ中二病になった人のことだ。
40越えたおじさんが「天狗の力が炎になって」なんて、
真剣にやっているのだ。
ちょっと前まで、「先に眠る、我が友よ」なんて壬生の台詞を真顔で書いて、
しかも皆の号泣やありがとう壬生の喝采を受けていたのである。
これがプロ中二病である。
プロだから、生半可な妄想ではない。
どこかで見たような世界をパクらずに、
オリジナルをつくってくる。
漫画的な世界から、現実を舞台にしたドラマ的世界まで、
中二病の妄想の範囲は広い。
プロだから、過去の妄想の歴史にも詳しく、
系譜も頭に入っているから、
パクりなんてやる訳がない。
むしろ、その系譜を発展させ、
その系譜の下に正しく連なる本気がある。
プロだから、自覚を持っている。
引かれる範囲を知っていて、現実の大人とは、
子供の成長やプロスポーツの話などで盛り上がる処世術はある。
そのタガをどこで外すか、心得ている。
その妄想が他人からみてどのレベルかの、自覚もある。
欠点も分かっていて、延びしろも分かっている。
到達点はこの程度だろう、と現実的な威力も知っている。
妄想世界と現実世界の違いを肌で知っているし、
よく考察している。
プロだから、中二病の気持ちが分かる。
現実がつまらなくて、窓の外ばかり見てる人の気持ちを良く知っている。
かつてその窓の外に飛び出せないかと妄想していて、
そして本当にプロとして飛び出している。
プロ中二病は、中二病の代表である自覚がある。
プロだから、妄想の範囲も広い。
暗黒魔術的だけでなく、異世界的だけでなく、
現実ベースの写実的世界にまで、
妄想の範囲を広げている。
青い空の白い雲に乗っかりたい、から、
黒炎を纏いし裏人格のサタンみたいなもの、から、
バイトの子がもし俺を好きだったら、
ある秘密部署に異動になったら、
殺人犯にでっち上げられたら、
まで幅広い。
年齢を重ねて、年齢なりの経験を経て、
なお妄想の範囲を広げている。
アマチュア中二病は、
漫画の世界と現実の区別がつかず、
現実のプレッシャーを漫画のリアリティーで乗り越えようとすることだ。
それはいつか現実の前に破れ去り、
黒歴史として記憶の底に封印されてしまうだろう。
プロ中二病は、それでもなお妄想を止めなかった人が、
継続して中二病なのだ。
現実のプレッシャーに耐えられず、
多重人格(解離性同一障害)になるように、
現実のプレッシャーを妄想で癒すのである。
リア充は、おそらく中二病が治ってしまう。
現実のプレッシャーがなくなるからだ。
プロ中二病は、治らなかった人だ。
相変わらず窓の外ばかり眺めているのだ。
そのなかで、技術を獲得した者がプロになり、
プロの人生までいかなくていいや、と思った人は同人誌をつくり、
そこまでの情熱はないなあ、と思う人は、
どこかで妄想を書いたり語ったりすることで、
自分の中の中二を納得させる。
あなたのゴールはどこだろう。
どうせやるなら、プロ中二病に至って欲しい。
この病は治らない。
治らないが、
高校、大学、社会人、結婚、出産、
あたりの人生のイベントで、どんどん脱落していく。
自分で妄想をつくるというよりは、
他人の妄想を楽しむ程度に落ち着いてゆく。
それが現実的着地点だとリアルな生活の中で納得し、
いずれ妄想の泉は、年を取ることで枯れる。
妄想は、命そのものだ。
現実への対処法という、我々の生命力の一部だ。
中二病を笑うことは出来る。
しかし僕は決して中二病を馬鹿にはしない。
それは人間の生命力だ。
ほとばしる妄想を、ひとつの世界へ構築せよ。
その世界が存在する意味、すなわちテーマをつくり、
その世界をモチーフにすることで、
あなた以外の中二病がそこに入ってくるようにせよ。
そのテーマが確定してその世界が閉じるとき、
そこにいた中二病たちを、現実の世界へ帰れるように手土産を持たせよ。
我々は、かつてそうやって妄想世界から受けた恩がある。
それを、他の中二病にも分け与えよ。
辛い現実のプレッシャーの世界で、
その世界を生きられるだけの妄想を与えよ。
僕はかつて木刀に風林火山と彫って振り回した。
木刀を振っても世界は変わらなかった。
しかしその時の僕の目の前には、
炎が立つ聖地が見えていたし、
紫煌剣の邪火麗や雷光剣のネロが立ちふさがっていた。
僕は風の術の使い手で、聖剣の正当継承者だった。
飛鳥武蔵の黄金剣との決着も、
僕の目の前で起こっていた。
二十年後、自分が実写化するなんて知らないまま。
僕はそこから直結する世界に、まだいる。
妄想の泉は、まだ湧いているようだ。
我に続け。
中二病は治らない。
ならば、より強くなって、プロ中二病になれ。
創作の原点を、いつも見失うな。
泉の湧く原点の名は、中二病である。
2015年02月08日
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