おれと言う人物が曖昧で、揺れていて、
未確定で、不安定で、何者であるとも言えない、
初期状態からはじまり、
事件の解決を経る上で、
おれという人物が何者か、確定すること。
これが物語ではないか。
事件と解決が外面のストーリーだとしたら、
アイデンティティーの話は内面のストーリーであると。
何故初心者は、途中で書けなくなってしまうのか。
幻魔大戦は、何故未完だったのか。
これは同じ理由であると考える。
「おれが何者であるか確定するのがこわい」
からである。
誰だってアイデンティティーは揺れている。
物書きをしようと思う者は特にだ。
他の人がよくわからないと無視しているところに、
敏感に気づくからこそ、自分が何者であるか、
荒っぽく規定できずに、悩むのである。
悩むからこそ、人の繊細な部分が理解でき、
そのようなことを書く物語に共鳴し、
いつか自分も書きたいと思うのだ。
もっと言うと、
自分は物語を書くことで、何者かになりたい、
と無意識下で考えている。
この無意識があるからこそ、
物語を書き始めると思う。
そして、何者かになってないからこそ、
何者かになるという過程や結果を描く能力がなく、
挫折するのではないだろうか。
自分を描くな、という戒めは、これをも意味する。
序盤面白いように筆が進んでも、
本題に入ったとたん、ピタリと筆が止まるのは、
これが理由ではないだろうか。
アイデンティティーがあやふやな主人公が、
何かのきっかけで、何者かになれそうな事件の解決に乗り出す、
までの序盤は、何者かになっていない人間にとっては、
わくわくする滑り出しだ。
しかし、何者かになる本番の過程を描けなくて、
執筆は途端に止まるのである。
どうすれば、何者かになる過程や結果を描けるのだろう。
「他人が、○○になる過程」を考えるとよい。
友達が社畜になる、でもいいし、
憧れの女の子がビッチになる、でもいいし、
知り合いが警官としての内面を獲得するまで、でもいい。
悪くなって行く過程、よいものを獲得する過程、
どちらも書けるとよい。
それは人の変化についての何かの観察がないと書けないし、
劇的なターニングポイントとなる具体的事件が必要だからだ。
人は簡単には変わらない。
変わるほどの、彼/彼女に何があったのかを探ることは、
人間とはなにかを探ることと同じである。
あなたの十年以上前の、成功体験をもとにしてもいい。
十年というのは適当に決めたが、それぐらいなら他人扱い出来る、
というのに過ぎない。
何故、彼/彼女は、それまでのあやふやで揺れている、
曖昧でいい加減だったアイデンティティーから、
どんな事件を経て、どんな決断を経て、どんな心理的揺れを経て、
どんな痛みを経て、どんな喜びを経て、
確固とした、ぶれない、一生変わることのない、
何者かになったのか。
おそらく、そのこととテーマはとても関係している。
何かの確固としたものを、
言葉(テーゼ)で示せば、多分テーマになるだろうからだ。
自作の成功例。相変わらず実写風魔から。
他人の主人公、小次郎を使えたのが成功要因だと思う。
最初から魅力溢れていて、空回りする、
僕の性格とは違う人間だからこそ、
わりと無茶な暴れ方ができた。
他人の主人公だから、勝手に何者かになるのは怖くない。
自分が「新しい形の忍びになる」ことを考えると、
その道筋は全く分からないし、そう固定されるのが辛くて怖い。
そんな資格も能力もモチベーションもないと思う。
ところが、アイデンティティーのふわふわしてる他人が、
何者かになる過程や事件、を考えることは、分析的に出来る。
素の考え方と、伝統的考え方の対立。
伝統的考え方による、納得いかない事件。
しかしそれを覆す自分なりのやり方はない。
ところが、伝統的やり方では突破できないが、
自分のやり方で突破出来るかも知れない事件がある。
これを完遂する。
それを得るのは、努力と痛みの代償を伴う。
その新しいやり方で、彼なりの解決をなす。
結果、伝統的でもない、彼なりのやり方を重ねた、
新しい形の考え方が生まれる。
具体的に言えば、
竜魔との対立、
項羽と琳彪の死、
霧風との対立と本心を知ること、
人々と忍のあり方について劉鵬に学ぶこと、
風林火山という新しい武器、
竜魔が倒れたことで、自分が最前線に立つ責任、
修行と、姫子と本音を通わせること、麗羅の死、
風林火山で宿敵壬生と武蔵を倒し、
ミッション(夜叉壊滅、姫子救出)を完遂すること、
竜魔に認められること、
を、それぞれ指している。
多分、具体的役を取り替えれば、
多くの、「部族を背負って立つ物語」の類型に入るのではないだろうか。
「少年(17歳)のアイデンティティー」がテーマである、
と僕は大きな方向性を定めた。
少年のアイデンティティーは、集団への帰属である、
というようなどこかの本の一文を頼りに、
ふわふわしてる他人が、何者かになる過程を、
具体的物語に仕立てあげたのだ。
これは、他人だから出来たことだ。
恥ずかしながら、大岡家を背負って、親戚一同を、
新しい形のやり方でまとめあげていく自信は僕にはない。
そんなもの怖い。
他人だから、その過程を観察し、
ひどい目に合わせ、右往左往させられたのである。
それは一種の箱庭なのだ。
どんな物語でも、
テーマの確定とは、
主人公の価値が確定し、
その者が何者かが確定することだ。
それが怖くて、あなたは物語を途中で放り出すのではないだろうか?
主人公は他人だ。
他人のアイデンティティーを、確定するのだ。
最初はふわふわしている。
悩んでいる。
足りない部分の自覚もある。渇きもある。
それが、事件に際して原動力となり、
行動の間接的動機になる。
事件の解決という外的ストーリーが、
内的なモヤモヤを解決し、
何者か、すなわち、この事件をこうやって解決した人、
になって確定するのである。
「こうやって」の部分が、精神的成長を促す部分であり、
それがテーマになってゆくだろう。
テーマを何に選ぶべきか分からなくなったら、
主人公は、○○になる、という何者か、アイデンティティーから考え、
そうなったのは何故だろうか、
という逆算をすると、
出てくるかも知れない。
(まだ幻魔の話を続けるが、完結出来なかった理由は、
結論をつけるのが怖かったからだと思う。
結論をなにかひとつに決めたら、このモヤモヤが確定してしまうからだと思う。
モヤモヤこそが、平井氏の書く原動力そのものだったからだ。
従って、そのモヤモヤを解決せずには、本当には完結しなかったのだ。
ここに、物語を書くという、根本的な矛盾が見え隠れする。
既に解決したものはわざわざ書く気がしないし、
解決してないモヤモヤはビビッドに書けるが完結しないという矛盾)
2015年02月09日
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物語スタート時の主人公の内的問題を決めるときにどういう決め方をすればいいのでしょうか?
最初に主人公はアイデンティティーがふわふわしている状態から始まる…それを考えたときに、どういう風にふわふわさせるか、で悩んでしまいます。
主人公の弱点を上手く設定出来ないと言いかえられるかもしれません。
物凄い重要な問題に設定しないと面白くならなさそう…
こんなんで悩んでる人は果たしているんだろうか?
などと考えてしまいます。
もしかしたら主人公を自分にしており、自分自身に弱点を設定するのを避けているのかもしれませんが…
宜しければお答え頂けますと幸いです。
「初期状態を不定(ふわふわなだけ)にせず、
最終状態の逆算にする」というパターンを使ってはどうでしょう。
「他人のことなど信じない男が、人の優しさを知る」なんてパターンです。
明確な「弱点」(この場合弱点ではないけれど、結論の逆)からはじめれば、
骨格が作りやすいでしょう。
慣れてきたら、明確ではないところから始めるのもいいです。
(その場合は言葉になってないだけで、実はある、という風にしていくと、より自然になってゆきます)
火のない所に煙は立たぬというか、
マイナスがないとプラスに転じる変化は作りにくいです。
それがどう変わるか(影響されるだけでなく、自ら変化する)が人間ドラマの醍醐味。
あくまで主人公は他人。
「ニートが急に働いてトラック運転手になった」という話だとすると、何にも考えてないニートだと扱いづらい。
何故そうなったのか、に使える道具が弱点や動機。
例えばミニカーの中でもトラックが好きだった(動機との関連)とか、
何かを運ぶのに失敗したことがある(弱点との関連)とか、
の理由を仕込んでおきます。
で、親が入院する(きっかけ)ために、ニート生活は終わりを告げ、この男のドラマがはじまるのです。
きっと何かを何時までに運ばなきゃいけないクライマックスになるでしょう。
あとはグッと来るエピソードを追加していけばいい。
この例でも、主人公はやはりふわふわしている「ように」見せることができるでしょう。
(弱点を冒頭に見せてネタバレするなら、中盤に回想で持ってくる手もある)
最後の逆算から作る…なるほど。
今自分が書いてるお話のラストが「帰れる場所があるっていいね」なので、その逆算は「帰る家なんて必要ねェ」でしょうか。
ご教授頂き、本当にありがとうございます。
またプロットから練り直して参ります、
「帰る場所があったのに既に失った」
「帰る場所はあるがそこは良くない」
「自分一人帰っているが、他人は帰らなくてもいいと思っている」
などを考えることが出来ます。
それぞれとラストの組が、テーマを意味します。
それぞれの冒頭とラストの組で、テーマが異なることに注意してください。
「安心を得る場所をつくること」
「安心を得る場所に変えること」
「自分と他人は同じだと気づくこと」
などのように変わってきます。(三番目は悪役が善玉に変わるのに良く使われる)
ラストだけがテーマや主張を意味すると単純に考えるのは浅はかですよ。
そして元に戻ると、主人公はそれに自覚的か自覚的でないかでも枝分かれがあります。
ふわふわしてる主人公は、自覚的ではない。
とすると、何かに出会って、それに強烈に自覚する場面が、冒頭か中盤にあるんでしょうな。
ラストだけでテーマや主張を意味することしか考えておりませんでしたorz
冒頭+ラストの組み合わせで意味も変わってくるということも目からウロコです。・・・そういえばそうですよね。
非常に参考になりました。
丁寧なアドバイス、本当にありがとうございます。