2015年02月11日

キャラの描きわけは必要か?

そんなもんいらん、と極論してみよう。


キャラクターには、
素人が考える様々な「こうであろう」がある。

性格はなるべくばらけること。
偏りやかぶりを避ける。
キャラの描きわけのために、口癖をつくる。
同じく、誰が誰をどう呼ぶかの表をつくり、全部の名称を変える。
同じく、自分をなんて呼ぶかも決める。
そしてそれはぶれてはいけない。ぶれたら間違い。
髪型や服や好みを個性的にすることがキャラを立てること。
そうすると、あることに対する反応がバラエティーに富む。
これらは、「似たようなキャラばかり」になる現象を避ける方法だ。

僕は、これらは全部間違いだと思う。


そもそも、似たようなキャラばかりになるのは、
コンフリクトが描けてないからである。


コンフリクトとは、争いである。
殺し合いや戦争から、口喧嘩や冷戦状態から、
競い合いや先回りや出し抜きのことである。

それは、同じ人同士では生まれない。
目的の違い、
立場の違い、
やらなければならないことの違い、
社会的役割の違い、
個人的都合の違い、
何を大事にするかの違い、
などが原因で発生する。

そして物語とは、
それらの違いによって問題が発生し、
それらが解決するまでを描く。

つまり、何が違うかをきちんと書けてれば、
仮に性格が同じだって、
同じキャラばかり、という印象にはならないのだ。

極端な例を。

双子の確執。
目的や意図や思いが違えば、
それぞれの主張が異なる。
それは台詞や態度や行動に現れる。
「同じキャラばかり」だろうか。
きちんと両者の違いや争点が描かれれば、
同じキャラの戦いにはならない。
(例:ドラマ風魔の第五話。二人を決定的に分けたのは、
余裕があることと、余裕がないことだ)

むしろ、同じ性格や顔だからこそ、
目的や立場の違いが分かるように組んでいくものである。



「同じキャラばかり」という印象、批判は、
本当にそのことが退屈なのではなく、
「面白い差異の争いがない」ということが不満なのである。

例えばラノベ的な、同級生三人組や、
バンドメンバー五人組などの、
似たような年代の似たような人を集めるからダメなのだ。

男、女、オカマ、年寄り、奇形、外人、幼児、主婦、会社役員、漁師、
モルモン教徒、部落出身、財閥、左翼、フリーメイソン、片親、養子、
妊娠中絶経験者、死刑囚、ロボット、
などなど、立場や思想が全然違う人をメンツにすれば、
すぐにコンフリクトが起こるだろう。

そしてコンフリクトとは、
目的やつもりが、真逆の人で起こるように組むものである。


もしあなたがキャラの描きわけが出来なくて、
口癖や語尾に特徴をつけて書き分けようとしていたり、
性格を正反対にしたり、
そのキャラのルールを一字一句守ろうとしているならば、
その努力はまるで無駄だ。
間違いの努力をしている。
それはキャラクターを書く労力の1/100程度にしか効果がない。

口癖や語尾に特徴がなく、
性格が似たような感じで、
性格が場面場面でぶれていても、
コンフリクトがきちんと描けていて、
立場や目的の違いが明確にわかり、
それにしたがって言葉を発したり態度を一変させたり、
行動するほうが、
キャラの描きわけは出来るはずである。


ちなみに、ドラマ風魔の小次郎で、
一々そんなことをしてただろうか?
麗羅、霧風、陽炎、雷電、妖水ぐらいではないかな、
テクニック的なものを使ったのは。
(ビジュアル的なもの=顔、体型、技は、
物凄く差をつけるようにはしてるけど)
それでも尚、男19人女3人子供1人の、
キャラは十分立ち、描きわけは出来ているのである。
立場や目的が、それぞれ違い、台詞や行動にそれが反映する限り、
争い事、コンフリクトというドラマの中心は書けるのだ。


もしあなたがキャラの描きわけで悩んでいるのだとしたら、
そもそも争いがない世界を書いているのではないだろうか。
posted by おおおかとしひこ at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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