2015年02月25日

リアルを求めること

どうして我々は、リアリティーを求めるのだろう。
作り物臭いものを嫌うのだろう。



実写だからか?
じゃアニメやファンタジーにはリアリティーは必要ないのか?
否だ。
どの物語にも、リアリティーは必要だ。
何故なら、極端に言うと、
リアリティーこそが物語だからだ。

これは架空のフィクションである、
と断ったとしても、リアルだとしか思えないこと、
を、物語の定義のひとつに入れても良いと思う。


若者が何故陳腐な物語しか書けないかというと、
世間のリアリティーをまだ味わってなく、
温室の中でリアリティーを捉えているからだ。

若者が何故アニメやファンタジーを好むのかというと、
世間のリアリティーをまだ心底味わってないからだ。

世間のリアリティーは、アニメにもファンタジーにも必要だ。
若者はそれを知らないから、
あろうがなかろうが、アニメやファンタジーを好むだろう。
そのうち、世間のリアリティーがあるアニメやファンタジーだけが、
恐らくヒットすることになる。
世間のリアリティーを知る人が世の中にはいるからである。


「バーチャファイター(1)」が登場したとき、
僕はとても驚いた。
あんなちゃちなポリゴン絵に、
たったひとつだけリアルがあったからだ。

オープニングデモの中の、
サラのフロントスープレックスだ。

モーションキャプチャを用いて動かしたそのアニメーションは、
カクカクのポリゴン絵が、
一瞬だけ生命を持ったように動いていた。
(一方アキラの八極やカゲの動きはアニメっぽい、
嘘の動きだった)
これがリアリティーだ。

嘘が一瞬だけリアルに思われる、これは代表的な例である。

アニメーションの元義は、魂を入れることである。
嘘なのに、本当のことに思えるようにすることだ。


アニメだろうがファンタジーだろうが、
世間のリアリティーがそこになければならない。
何故なら、世間のリアリティーに我々が生きているからである。

よくある、「大剣をヒョロガリホストが振り回せる訳ねえだろ」
というツッコミは正しい。
世間のリアリティーに反してることは、
嘘っぽいのである。

「PS4での新作FFでは、シチューがうまそう」という写真を見て、
僕は失笑した。リアルのシチューの写真のようだったからだ。
それよりも、ハイジの食べていたシチューのほうが、
よほど旨そうだったと思う。
そこに、写実以外のリアリティーがあったからである。


最近、というか、ずっと前から、
その芸能人のリアルな言葉をドキュメント的に引き出して、
なんてCMのコンテを書く馬鹿があとを立たない。
それはシチューの写真を持ってくる行為と同じである。
そのリアリティーのある言葉を書くのが脚本家だろうが。


あなたは、リアリティーを構築するのが仕事だ。
「嘘臭い作り物」なんて、それがまるで出来ていない証拠なのだ。

見た目がリアルじゃなくても、最悪構わない。
バーチャファイターや、ハイジのシチューや、実写風魔はそれを示して見せた。


あなたがそれに感じるリアリティーは、
写真から感じるリアリティーではなく、
リアリティーのある種の抽出だ。
リアルをそのまま取ってきたのではなく、
抽出して計算して整理して埋め込んだのである。

それをすることが、あなたの仕事だ。
posted by おおおかとしひこ at 14:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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