どうして我々は、リアリティーを求めるのだろう。
作り物臭いものを嫌うのだろう。
実写だからか?
じゃアニメやファンタジーにはリアリティーは必要ないのか?
否だ。
どの物語にも、リアリティーは必要だ。
何故なら、極端に言うと、
リアリティーこそが物語だからだ。
これは架空のフィクションである、
と断ったとしても、リアルだとしか思えないこと、
を、物語の定義のひとつに入れても良いと思う。
若者が何故陳腐な物語しか書けないかというと、
世間のリアリティーをまだ味わってなく、
温室の中でリアリティーを捉えているからだ。
若者が何故アニメやファンタジーを好むのかというと、
世間のリアリティーをまだ心底味わってないからだ。
世間のリアリティーは、アニメにもファンタジーにも必要だ。
若者はそれを知らないから、
あろうがなかろうが、アニメやファンタジーを好むだろう。
そのうち、世間のリアリティーがあるアニメやファンタジーだけが、
恐らくヒットすることになる。
世間のリアリティーを知る人が世の中にはいるからである。
「バーチャファイター(1)」が登場したとき、
僕はとても驚いた。
あんなちゃちなポリゴン絵に、
たったひとつだけリアルがあったからだ。
オープニングデモの中の、
サラのフロントスープレックスだ。
モーションキャプチャを用いて動かしたそのアニメーションは、
カクカクのポリゴン絵が、
一瞬だけ生命を持ったように動いていた。
(一方アキラの八極やカゲの動きはアニメっぽい、
嘘の動きだった)
これがリアリティーだ。
嘘が一瞬だけリアルに思われる、これは代表的な例である。
アニメーションの元義は、魂を入れることである。
嘘なのに、本当のことに思えるようにすることだ。
アニメだろうがファンタジーだろうが、
世間のリアリティーがそこになければならない。
何故なら、世間のリアリティーに我々が生きているからである。
よくある、「大剣をヒョロガリホストが振り回せる訳ねえだろ」
というツッコミは正しい。
世間のリアリティーに反してることは、
嘘っぽいのである。
「PS4での新作FFでは、シチューがうまそう」という写真を見て、
僕は失笑した。リアルのシチューの写真のようだったからだ。
それよりも、ハイジの食べていたシチューのほうが、
よほど旨そうだったと思う。
そこに、写実以外のリアリティーがあったからである。
最近、というか、ずっと前から、
その芸能人のリアルな言葉をドキュメント的に引き出して、
なんてCMのコンテを書く馬鹿があとを立たない。
それはシチューの写真を持ってくる行為と同じである。
そのリアリティーのある言葉を書くのが脚本家だろうが。
あなたは、リアリティーを構築するのが仕事だ。
「嘘臭い作り物」なんて、それがまるで出来ていない証拠なのだ。
見た目がリアルじゃなくても、最悪構わない。
バーチャファイターや、ハイジのシチューや、実写風魔はそれを示して見せた。
あなたがそれに感じるリアリティーは、
写真から感じるリアリティーではなく、
リアリティーのある種の抽出だ。
リアルをそのまま取ってきたのではなく、
抽出して計算して整理して埋め込んだのである。
それをすることが、あなたの仕事だ。
2015年02月25日
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