どれくらいの比率で、一本のお話が出来るのだろう。
僕は最近、
準備7:執筆1:リライト2
ぐらいのバランスで書いている感触がある。
単純に、執筆のことを脚本を書くこと、
と思っている人がいる。
CMの人から、「あんだけ字を書くのは苦労だねえ」
なんて言われたこともある。
まあ、見たままの想像をしたのだろう。
単純に、4万字を書いたり打つだけで、
単純労働としてもキツイと思う。
「執筆とは推敲なり」なんて言い方もある。
英語では、writing is rewriting.
という。
最初に書かれた原稿は、一割残ればいいほうかな。
とにかく直す。
書き込み、削り、全然変え、入れ替え、
重ね塗りの油絵にたとえたけど、もっとひどい。
フレームから弄ったりもするからね。
リライトはキツイ。
プロットがちゃんと出来てないほどキツイ。
理屈から場面から直していくキツイリライトは、
大抵プロットが上手く出来ていないことが多い。
とは言え、執筆自体の精々倍ぐらいのきつさじゃないかなあ、
と考える。
執筆前の、準備がもっとしんどい。
プロットをちゃんと詰めておくこと
(無理がない話か?嘘っぽくないか?面白いか?
先読みされないか?子供っぽ過ぎないか?大人っぽ過ぎないか?
夢がある話か?地に足はついているか?
テーマは腑に落ちるか?それは、語られる価値があるか?などなど)
リアリティーを詰めておくこと、
自分の中にリアルに登場人物や世界が存在すること、
などを揃えることを、
僕は準備だと思っている。
そもそも芯になるネタを思いつくことは、さらにその前段階だ。
これらのものが揃い、
最初から最後まで頭の中で一本の糸になったとき、
はじめて書き始めるのである。
リライト中に致命的欠陥が見つかったり、
全面的に構造を作り替えたりしなければならないのなら、
それは準備に戻るということを意味する。
プロットが変わらないリライトと、
プロットが変わってしまうリライトは、
質が違う。後者は準備のやり直しである。
(「いけちゃんとぼく」の脚本的な失敗は、
この両者を混同した、僕含め二人のプロデューサー、計三名の責任だ。
僕が一番重いんだろうけど)
執筆がキツイ?
ただ書き写すだけの単純労働としてもキツイ?
白紙にアドリブでエチュードしていく、
次々に思いつかなきゃいけないことがキツイ?
とんでもない。
執筆の9倍、やんなきゃいけないことがあるんだぜ。
そう思って、日々何かを書くべきだ。
2015年02月25日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック