これがどれくらいあると考えるか?だと思うのだ。
僕は、一番売れて、一番人々が見るものは、
一番面白いから、だと信じたい。
現実にはそうじゃない。
人は今売ってる棚から選ぶしかない。
そして棚の中身は、買ってみるまで分からない。
だから、当たりそうなのを選ぶしかない。
「当たりそう」なのは、
今のところ、メジャーっぽさしかない。
「外れたとしても我慢できそう」なのは、
好きな人がやってるとか、好きな要素が入ってるとかだ。
かつては、人々は選球眼を鍛えた。(センスと一般に言われた)
そんなこともうしなくなり、
山ほど流れてくる情報をつまみぐいするしかなくなった。
だから、当たり外れを真剣に考えなくなった。
どういうのが「当たりそう」かを。
「外れても我慢できそう」な人を集める方法は確立された。
萌えとか、イケメンとか、エロとか、人気芸能人とか、受けた要素を真似して、
いれときゃいいんだ。
こればっかになって、
売れてることと、面白いことの相関関係が0に近づきつつある。
僕はテレビ黄金時代、ジャンプ黄金時代に一番多感な年齢だったから、
一番面白いものが、一番売れるべきだと思っている。
今、そうではないだけだ。
このようなときに、脚本家が出来ることは?
一番面白いものを書くこと?
一番売れると思われるものを書くこと?
それぞれの人生で考えることだと思う。
ここでは、一番面白いものを書くことについて、書いていくつもりだ。
最近世の中のことを批評することばかり書いてるのは、
面白さの根本、テーマについて書こうとしているからである。
ということで、次回はテーマについて、ゆっくり書いていくつもり。
2015年02月26日
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