大成功の実写「風魔の小次郎」。
半成功の実写「いけちゃんとぼく」。
(一幕失敗、二幕三幕成功、宣伝惨敗)
そして、塁塁たる失敗作の死体の群れ。
もう数える気にもならない。
僕の大好きな作品が、どれだけダメにされたことか。
俺なら救えた、という悔しさだけが残る。
ガッチャマンだけは許さない。
デビルマンもキャシャーンも許さない。あと(以下略)
何故原作つきの実写化は上手くいかないのか?
前回までの議論を見てきた諸君には見当がつくだろう。
「テーマを挟んだ、物語とキャッチコピーの関係のようなもの」
に、なっていないからである。
前回までの議論は、このようなものだ。
テーマは物語の主張ではない。
物語が結果的に暗示しているものがテーマだ。
テーマは命題の形をしているが、
ひとつとは限らず、複数の集合体だ。
そしてそれは、書き終えないと本当には見えない。
しかも言葉にしづらい、無意識のようなものに近い。
キャッチコピーは、これを、物語とは関係ない世界で、
一文にしたためる。これは直接話法ではなく、間接話法で。
従って、キャッチコピーは一文、物語は長文という形こそ違え、
両者は同じテーマの別の表現という関係がある。
つまり結論は簡単だ。
映画と原作は、テーマを同じくした別物でなければならない。
別物とは、形式の話であり、
別物なのに、同じ話だと思えるようにしなければならないのだ。
1. テーマを同じくすること
2. 別物なのに同じ話に思えること
この二つが成立しなければ、
原作つきの実写化は、成功ではないのだ。
連載中の漫画を実写化するやつは、馬鹿だと思う。
まだテーマも確定していないものを、
何故確定しようとするのか。
そんなときは、大抵原作○巻までの内容を映画化、
などのように触れこまれる。
しかしなんだかずれている。
それはそうだ。
本当のテーマは、書き終えないと分からないからだ。
その本当のテーマっぽいことに、殆ど肉薄出来ないからだ。
一本だけ例外を知っている。
傑作「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」だ。
原作漫画連載中、アニメ放映中の文脈でのこの映画は、
原作の内包するテーマを読み取り、
テーマを原作者より先に確定しまった、恐るべき作品だ。
これに原作者は激怒したという。そりゃそうだわ。
しかしそれは、原作の無意識の世界に入り込む、
勘のような読解力のような、そのようなものがないと出来ないだろう。
アニメをずっと作ってきた押井ならではの、
原作とシンクロした感覚だったのかも知れない。
僕が風魔を成功させられた理由のひとつは、
原作とのシンクロだと思う。ていうか同世代ならみんな夢中でシンクロしてたよね?
さて、実写化の問題点のひとつは、
テーマを縮小しなければならないことにある。
二時間、44000字の脚本は、大抵原作より短い。
従って、削ることと残すことが仕事になる。
原作の複数の重なりあう集合体であるテーマの、
部分集合をつくり、
なおかつ一緒のものである、
というものをつくらなければならないのだ。
たとえば失敗作のGANTZ。
原作にある「命は呆気ない。どんなに泣いたり叫んだりしても。
それでも泣いたり叫んだりしながら、人は生きていく」
というテーマが抜け落ちていると思う。
これはかなり重要な核心の部分だと思うのだが、
それが全く抜け落ちていた。(後編は見てない)
テーマを一つだと考えれば、ここは落としてもいいところか、
だってR指定入って客が限定されるしね、
と誰かが落としてしまったのだろう。
見た目はGANTZだった。しかし中身がGANTZじゃなかったのだ。
(ビジュアルや川井健次の音楽はかなりいけてた)
誰もが思うように。
それは、ストーリー構造やプロットやログラインという以前の、
テーマの差異なのだ。
ストーリー構造やプロットやログラインや、
ビジュアルや音楽が全部違っても、
テーマが同一であると思われるなら、
それは同一作品である、
と、断言することにしよう。
実写化の失敗の原因は、
見た目のビジュアルの再現、
見た目のキャラの再現、
見た目の場面の再現、
見た目のストーリー構造の再現、
見た目のプロットやログラインの再現だ、
という誤解にあるのだ。
テーマの同一性により、
風魔7、8、9、10話などは、完全オリジナルなのに、
それは風魔の小次郎という物語と、
同一性を保っているのである。
「魂の一致」と僕は一言で言う内容は、
テーマ(の集合)の同一性のことなのである。
極論しよう。
キャッチコピーと物語が、テーマを挟んで同一であるように、
原作と実写化が、まるで別でも構わないはずだ。
テーマが一致しているときに限り。
勿論、えええ?と思われるから、
ある程度のガワの再現は必要だろう。
それが商売のヒキにもなるだろう。
じゃあ小栗ルパンは?キャラ写真見たとき、行けるかも、って思わなかった?
(内容は見ていないが、予告だけで呆れた)
逆にあまり似せていない「進撃の巨人」が、
別物なのに同じ話だ、という理想的作品か、
ビジュアルガタガタ脚本ガタガタというトンデモ作か、
ドキドキするではないか。99%後者だろうけど。
テーマは何か?
まず原作のそれを、正確に言葉に出来るか?
そして、それを同一性を保つ、部分集合に出来るか?
そしてそれを持った面白い物語を創作できるか?
出来れば、原作のビジュアルやエピソードは残せるか?
この順で考えなければ、原理的に失敗する。
うんこガッチャマンは、逆からやってるよね!
(ちなみに僕が昔に書いたプロットが、
ガッチャマンカテゴリの一番下にあるので、興味のあるかたはどうぞ。
テーマ「科学を悪用する奴らを許さん」は、
一致してると思います)
次回、テーマ編最終回、
では、何を書くべきなのか?について、
議論してみよう。
2015年02月27日
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