2015年02月27日

テーマとはなにか6:原作つき映画は何故失敗するのか

大成功の実写「風魔の小次郎」。
半成功の実写「いけちゃんとぼく」。
(一幕失敗、二幕三幕成功、宣伝惨敗)

そして、塁塁たる失敗作の死体の群れ。
もう数える気にもならない。
僕の大好きな作品が、どれだけダメにされたことか。
俺なら救えた、という悔しさだけが残る。
ガッチャマンだけは許さない。
デビルマンもキャシャーンも許さない。あと(以下略)


何故原作つきの実写化は上手くいかないのか?
前回までの議論を見てきた諸君には見当がつくだろう。
「テーマを挟んだ、物語とキャッチコピーの関係のようなもの」
に、なっていないからである。


前回までの議論は、このようなものだ。

テーマは物語の主張ではない。
物語が結果的に暗示しているものがテーマだ。
テーマは命題の形をしているが、
ひとつとは限らず、複数の集合体だ。
そしてそれは、書き終えないと本当には見えない。
しかも言葉にしづらい、無意識のようなものに近い。
キャッチコピーは、これを、物語とは関係ない世界で、
一文にしたためる。これは直接話法ではなく、間接話法で。
従って、キャッチコピーは一文、物語は長文という形こそ違え、
両者は同じテーマの別の表現という関係がある。


つまり結論は簡単だ。
映画と原作は、テーマを同じくした別物でなければならない。
別物とは、形式の話であり、
別物なのに、同じ話だと思えるようにしなければならないのだ。

1. テーマを同じくすること
2. 別物なのに同じ話に思えること

この二つが成立しなければ、
原作つきの実写化は、成功ではないのだ。



連載中の漫画を実写化するやつは、馬鹿だと思う。
まだテーマも確定していないものを、
何故確定しようとするのか。
そんなときは、大抵原作○巻までの内容を映画化、
などのように触れこまれる。
しかしなんだかずれている。
それはそうだ。
本当のテーマは、書き終えないと分からないからだ。
その本当のテーマっぽいことに、殆ど肉薄出来ないからだ。

一本だけ例外を知っている。
傑作「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」だ。
原作漫画連載中、アニメ放映中の文脈でのこの映画は、
原作の内包するテーマを読み取り、
テーマを原作者より先に確定しまった、恐るべき作品だ。
これに原作者は激怒したという。そりゃそうだわ。
しかしそれは、原作の無意識の世界に入り込む、
勘のような読解力のような、そのようなものがないと出来ないだろう。
アニメをずっと作ってきた押井ならではの、
原作とシンクロした感覚だったのかも知れない。

僕が風魔を成功させられた理由のひとつは、
原作とのシンクロだと思う。ていうか同世代ならみんな夢中でシンクロしてたよね?



さて、実写化の問題点のひとつは、
テーマを縮小しなければならないことにある。
二時間、44000字の脚本は、大抵原作より短い。

従って、削ることと残すことが仕事になる。
原作の複数の重なりあう集合体であるテーマの、
部分集合をつくり、
なおかつ一緒のものである、
というものをつくらなければならないのだ。


たとえば失敗作のGANTZ。
原作にある「命は呆気ない。どんなに泣いたり叫んだりしても。
それでも泣いたり叫んだりしながら、人は生きていく」
というテーマが抜け落ちていると思う。

これはかなり重要な核心の部分だと思うのだが、
それが全く抜け落ちていた。(後編は見てない)
テーマを一つだと考えれば、ここは落としてもいいところか、
だってR指定入って客が限定されるしね、
と誰かが落としてしまったのだろう。

見た目はGANTZだった。しかし中身がGANTZじゃなかったのだ。
(ビジュアルや川井健次の音楽はかなりいけてた)
誰もが思うように。

それは、ストーリー構造やプロットやログラインという以前の、
テーマの差異なのだ。

ストーリー構造やプロットやログラインや、
ビジュアルや音楽が全部違っても、
テーマが同一であると思われるなら、
それは同一作品である、
と、断言することにしよう。

実写化の失敗の原因は、
見た目のビジュアルの再現、
見た目のキャラの再現、
見た目の場面の再現、
見た目のストーリー構造の再現、
見た目のプロットやログラインの再現だ、
という誤解にあるのだ。

テーマの同一性により、
風魔7、8、9、10話などは、完全オリジナルなのに、
それは風魔の小次郎という物語と、
同一性を保っているのである。

「魂の一致」と僕は一言で言う内容は、
テーマ(の集合)の同一性のことなのである。


極論しよう。
キャッチコピーと物語が、テーマを挟んで同一であるように、
原作と実写化が、まるで別でも構わないはずだ。
テーマが一致しているときに限り。

勿論、えええ?と思われるから、
ある程度のガワの再現は必要だろう。
それが商売のヒキにもなるだろう。
じゃあ小栗ルパンは?キャラ写真見たとき、行けるかも、って思わなかった?
(内容は見ていないが、予告だけで呆れた)

逆にあまり似せていない「進撃の巨人」が、
別物なのに同じ話だ、という理想的作品か、
ビジュアルガタガタ脚本ガタガタというトンデモ作か、
ドキドキするではないか。99%後者だろうけど。



テーマは何か?
まず原作のそれを、正確に言葉に出来るか?
そして、それを同一性を保つ、部分集合に出来るか?
そしてそれを持った面白い物語を創作できるか?
出来れば、原作のビジュアルやエピソードは残せるか?

この順で考えなければ、原理的に失敗する。
うんこガッチャマンは、逆からやってるよね!
(ちなみに僕が昔に書いたプロットが、
ガッチャマンカテゴリの一番下にあるので、興味のあるかたはどうぞ。
テーマ「科学を悪用する奴らを許さん」は、
一致してると思います)



次回、テーマ編最終回、
では、何を書くべきなのか?について、
議論してみよう。
posted by おおおかとしひこ at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック