2015年03月01日

テーマとはなにか9:テーマに関連するもの

テーマの話がまだあった。

物語の中で、こういう所とテーマが強く関係する部分がある、
という話。



○善と悪がいて、悪が滅び善が勝つパターン。

これは最も原始的なパターンの、
物語形式とテーマの結びつきではないかと思う。

悪の主張することが否定されて、
善の主張することがテーマになる。

分かりやすいのは、
悪はとても残虐で、皆殺しにする悪辣非道、
善は人を助け、仲間の利益になることをする。
これら二つの集団または個人が戦い、
悪が滅ぼされれば、善の主張することがテーマである、
というパターンだ。

古典的なこのことを、勧善懲悪と言ったりする。


悪と善は、必ずしも道徳的善悪でなくてもよい。
どちらとも言えないことでもよい。

金が一番vs金より大事なものがある、
みんな自分勝手または個人主義(夜叉)vs絆のある家族的集団(風魔)、
独裁的全体主義vsまとまらない民主主義、
やりちんvs一穴主義者、
美しい完全犯罪vs不完全だが法で裁く、
などなど。

分かりやすい善悪ほど物語はシンプルになるし、
複雑なほど、どちらに結論をつけても苦い大人の物語になるだろう。

どちらが正しいわけでもない。
ただ、勝った方の価値観が、
素晴らしい(まさっている)と物語は暗示することになる。


全ての物語は善悪の対決とは限らない。
(ハリウッド映画はこれが最も強いと推奨し、
日本やヨーロッパは善悪対決を好むとは限らない)
他にもテーマに関連するものがある。


○主人公の内面的変化

大抵、主人公には内面的に足りないものがある。
それを冒険の途中で克服しなければいけない羽目になる。
普段なら逃げ出してしまうかも知れないが、
問題の解決という文脈では、どうしてもそれをやらなければいけなくかる。

弱点の克服は、なんらかのカタルシスを生む。

我々が弱い者の成長を見て喜ぶのは、
我々もそうありたいからかもしれない。
主人公の弱点や欠点は、
我々にポピュラーなものほど、共感がしやすいだろう。

大事なことから逃げたい心、
勇気や意気地の無さ、
自信がないことなどがよくある。

また、共感しにくくても、
傲慢な男が優しさを学ぶとか、
やりまんが純愛に目覚めるとか、
感情移入さえうまくいけば、共感は必ずしも必要ではない。
変化後が明らかに悪に目覚めるのは、
あまり宜しくない。
悪に目覚めて気持ちよくていいのだろうか、
と我々の理性(良心回路だね)が働いてしまうからだ。
(だから悪に目覚めるバッドエンドのスターウォーズ3は、
とても難しい脚本だったはずだ。
案の定、面白くなかった。善と悪の深い考察が足りないと思った)


変化は、大抵物語の最後に起こる。
全ての尺を使いきって変化を描くものだ。
(途中で変化が完了するのは、ただの事件にすぎず、
テーマを暗示するクラスの変化ではない)
だから、大抵クライマックスからラストシーンで明確化する。

変化する前の主人公を悪、
変化後の主人公を善と解釈すると、
主人公は内なる敵に勝ったのだ、という言い方もある。


主人公の内面の変化、成長を描く物語は、
最もカタルシスがある。
逆に、この内面的カタルシスがないような、
単なる善悪バトルは、子供の見るものだと思う。



○主人公の最後の決断や行動

内面の変化は、三人称形で表すことはできない。
(顔色が青から赤に変わるわけではない)
考え方や哲学の変化は、
主人公を写すのではなく、
主人公の行動から読み取れるようにすることが、
三人称形文学の特徴である。

最良の台詞は無言だ。
その変化を台詞で誰かに説明するのは野暮だ。

ここを無言でやるために、
ブックエンドテクニックを使うことがある。
(冒頭や最初の方に出来ないことを示しておいて、
ラスト付近で出来るようになったことを示して、
内面の変化を暗示するようなこと)



「正しいヒーローもの」は、
このみっつの全てを、クライマックスのラスト一撃で表現する。
だから、最も強く、人気があると僕は思う。
(風魔はどうだったかなあ。風林火山の最後の一撃に、
そこまで込められたかなあ。ラストのキスかなあ)


○主要ターニングポイントでの主人公の行動

変化は徐々に起こる。
段階的に主人公の行動が、テーマに関連するものを暗示することは、
よくある。

○ナレーション

行動だけでは表現の難しい概念がテーマの時は、
ナレーションがいい。
ナレーターなる第三者の解説だと引いた目線に、
主人公のナレーションだと、主人公自身のことばだから、
より強い言葉になるだろう。
「アニーホール」のラストは、冒頭で語られたことをもう一度語り、
考えても考えても答えのでない問いを語り、
その自意識の迷路の深さをテーマにする。
風魔のどラスト、「そして、人の心に暖かい風を吹かせる」は、
いい言葉で締められたなあと思っている。


○小道具やイコン

絵に関するもので言うと、小道具や、
作られた絵がテーマを暗示することもある。
というか、小説ではないのだから、
映画はなるべく絵で何かを象徴すると強い。



以上はメインプロットの担い手、主人公に関しての話だが、
メインテーマを支えるサブプロットの担い手、
サブキャラクターの、
否定して倒すもの、
内面的変化、
サブプロットを解決する行動、
サブプロットの主要ターニングポイントでの行動、
サブキャラクターのナレーション、
サブプロットの小道具やイコン、
などもサブプロット経由で、
テーマに関連するものになりうる。

実は、風魔でひとつだけテクニックを使っていて、
予告ではサブキャラクターの独白をさせているのだ。
壬生、陽炎をはじめ、竜魔や霧風が何を言っていたかは、
テーマに関連していることなのである。





さて、長々とテーマについて語ってきたが、とりあえずおしまい。
また何か発見したら、テーマについて書くかも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 11:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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