2015年03月02日

テーマとはなにか10:アンケートは信用できない

アンケートは過去を分析することは出来るが、
未来を予測することが出来ない。

従って、次に何をつくるべきかを調査することは出来ない。


商品開発の背景になる市場動向を、
アンケートによる基礎調査で浮かび上がらせることは、
出来るかもしれないし出来ないかも知れない。

何故なら、「誰も見たことのなかった市場の切り方」
こそが、本当に必要な新しいことだからだ。

その切り方が先にあり、
その聞き方でアンケートを取れれば、数字に現れるし、
その聞き方でない、今までと同じ問いでアンケートを取れば、
その切り口が有効かどうか見えてこない。

「ニーズはアンケートに現れる」と盲信するのは馬鹿だ。
どのような聞き方と回答があるかによって、
アンケートの意味は変わる。

今までと同じ問いでアンケートを取って、
数字が動いているのなら、
それは大分過去のことの反映だ。



ダメな企業は、
CMを作るときにもアンケートを取るという。
100人集めて、企画をいくつか並べたり、
完成品をいくつか並べたりして、
アンケートを取るという。

馬鹿かと思った。
自分達で決める能力がないから、
大衆に投げるという考え方に。

大衆は受け手であり、発信者ではない。
あるものから選ぶことは出来るが、
次に何をつくってほしいかを、
言葉にすることは出来ない。

たとえば女の子にどんなデートがしたい?と聞くのは馬鹿だ。
こんな素敵なデートを思いついたんだけど、と、
今までにない選択肢から提案しなければならない。
(考えもしなかった!それは素敵!がベストだ)


次に何をつくってほしいかを言葉にするのは、
我々プロフェッショナルだ。

我々プロフェッショナルは、
日本の無意識を、いち早く言葉にする。
アンケートで質問する言葉や、答える言葉に出来ない、
まだ新しい切り口を。

アンケートなんて、我々の後追いだ。
我々は現状の先を見ているから、
アンケートなんて過去に過ぎないのだ。
何故なら、新しい言葉でアンケートをしないからだ。


馬鹿な例をふたつ。

某有名企業は、完成したCMを、
オンエアする前にアンケートを取る。
全カットに関してポイントを付けさせ、
不評なカットは取り除くか改訂を要求する。
これはモンタージュ(カットを組み合わせてものを語ること)への冒涜だ。
何が不評なのか分からないまま、制作者は好感度を上げる姑息な改訂をする。
そうやって内容は平べったくなっていく。

10行の文章がある。
その一行一行に(基準のわからない100人の好き嫌いの)スコアが出て、
悪いものを直せと言われるその不気味さを考えれば分かるだろう。
しかも直せと言ってる人は、
こうすればよいというサジェスチョンもなく、
直す内容に責任を持たない。


某アホ宣伝部は、
某映画のスニークプレビュー
(これから見る映画の情報を一切入れず、見させる試写)を行った。
これは、前情報なしの、誘導されていない素の感想を見るためのもので、
これから宣伝内容でどう誘導していこうかを考えるためのテストである。

どれぐらいの人数で意見を聞くといいだろう。
100や200は必要だと思う。
中心極限定理を前提とする無作為抽出は、
多くのサンプルを必要とする。
(直感的に言えば、サンプル数が少ないと偏りやすい、
ということ)

ところがこのアホ宣伝部は、たった20人にしか見せていない。
これ、やる意味ある?

しかもアンケートで、「泣けなかった/泣けた/号泣」
の三つの質問で誘導尋問し、
泣けなかったと書いた人が1人、残り二つを選んだ人が19人で、
「号泣率95%」とキャッチコピーを書いたという。
映画館で見た客のインタビューにそのうんこコピーをぶちこんだ、
どうでもいいCMを流して、
宣伝興行的に失敗したって。
どこから怒っていいのか、僕には見当もつかない。

しかも、試写室は20人。
誰かが泣きはじめれば集団心理が働くのは馬鹿でもわかる。
サクラを仕込めば号泣100%になるし、
たまたま誰もが遠慮して泣かなければ0%だ。
そんなギャンブルが、多くのサンプルを集めていないとは。

しかもこのアホ宣伝部は、
アンケートのフリーワードからキャッチコピーをつくろうとして失敗した。
「泣ける大人の映画」とかだ。何重にもアホだ。
肛門から入って口に至るようなことをしようとしているのだ。
それならまだましか。消化物を見てレストランの看板を決めるようなものか。

「号泣率95%」は、事実でしかない。(ねじ曲げられているが)
よほど凄い事実でない限り、事実を広告するのは馬鹿だ。
省エネNo.1や、全米No.1大ヒット
(が公開週1位というからくりを知ってる人にとっては)
は、殆ど広告的に意味のないコピーだ。
勢いをつけることは出来る。
問題は「何に」勢いをつけるかなのだ。
それこそがメインキャッチコピーになり、「号泣率95%」はサブコピーとなるはずだ、
(それに関しては先日書いてみた。結果だけを書くと、
「わたしね、きみが大人になる日を見にきたの。」)






テーマは、アンケートからは出てこない。
アンケートは過去の言葉でなされる。


我々は、テーマをまだないどこかから、
作り出すしかない。


それが我々観客の集合的無意識に、
シンクロしているかどうか、
それは新しく魅力的かどうかは、
嗅覚で感じるしかなく、
アンケートで取ることは出来ない。

出来上がったものを分析して、アンケートを取ることは出来る。
しかし、まだないものをアンケートを取ることは出来ない。


我々は、まだないものをつくる。
背広を着たアホな人たちは、アンケートを信用する。
それは自分に嗅覚がないと白状してるようなものだ。

こうやって、何を作るべきかわからなくなり、
人が集まれば集まるほど、船頭多くして船山に登る。
これが現在の映像製作の、多くで起こっていることだ。



嗅覚を持つ人しか内容にタッチできないことにする。
作る人を極端に減らす。

この二つでしか、対処出来ないような気がしている。
何故なら、テーマを書く前に決めることは出来ないからだ。
本当のテーマは、書き終えたあとにしか出てこないからだ。

後者に関しては一人で闘っているが、
前者のような集団をつくりたいものである。
posted by おおおかとしひこ at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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