最近開発した方法。
書いてる途中にどうにも書けなくなることは、
とてもよくある。
自分の頭や肉体の限界が来てるときは、
休むといい。今日はおしまい。
そうでなく書けなくなっているとき、
それを防ぐ方法。
書いてて、突然冷める。
なんでこいつら、こんなに必死になっているんだろう?
こいつら、何がしたいんだろう?
それは、感情移入が遊離しかかっている証拠だ。
作者一人だけでなく、未来にこれを見る観客もだ。
これは黄色信号である。
これを感知したら、
そいつら(登場人物)に聞いてみよう。
「なんでお前そんな必死なの?」と。
「決まってるだろ!○○が△△で、□□だからだよ!」
と、説明してくれるならば、
軽傷だ。
「そうだったそうだった。ごめんごめん忘れてた。
それ、言ってよね」と、
あなたは作中に戻れるだろう。
単にあなたが忘れてることだってある。
でも忘れるぐらいだからあまり印象がなかったのだな、
とあなたは思い、○が△で□な以前の所に戻って、
覚えやすいように書き直したり、
今現在のその登場人物をそのように必死に書き直すだろう。
そうすれば流れ始める。
重症は、
「なんでだっけ」とか、「そもそも必死じゃないけど」
の場合だ。
これは、詰まらない話の特徴である。
逆に言うと、
物語は、必死な奴が少なくとも一人いなければならないのだ。
必死な奴が一人いれば、少なくとも話は動く。
理想は、その必死な奴と同じぐらい観客も作者も、
必死になることだ。(感情移入)
必死な奴が二人いれば、コンフリクトが発生する。
普通はこうでなければならない。
感情移入出来る側を主人公、
出来ないどころか腹立つ側を敵という。
だから物語は面白いのだ。
もっと複雑な大人の映画は、
必死な奴が三人以上いて、
どれにも感情移入出来たり、応援出来たりするものだ。
感情移入は次善として、
あなたは少なくとも、登場人物を必死にさせる必要がある。
どうしてその人は必死なの?
これにその理由を作り出すことが、
極端に言うと、物語をつくることなのだ。
主人公が崖にぶら下がっていれば、
どうしてそんな必死なの?は明らかだ。
「落ちたら死ぬからだよ!」と主人公は答えてくれるだろう。
ということは、「落ちたら死ぬ!」と、
観客に思わせるように書けばいい。
その必死さが伝わるだろう。
主人公が本を読んでいるシーンからは、
それがどうしてそんなに必死なのかは、見た目からは明らかではない。
明らかでないと、必死とは思えず、
なんでだっけということになる。
どんなに必死の芝居をしてもダメだ。
必死な感情は見て分かるけど、
どうしてそんなに必死かは分からないからだ。
例えば、
「恋人が癌の手術をしなければいけなくて、
その病気や手術に関する本を読んでいる」と分かれば、
主人公の必死さが伝わり、
物語に緊迫感がみなぎりはじめるだろう。
(それは主人公の演技とあまり関係ないことは、
モンタージュ効果を知っていればわかるはず)
あるいは、
「世界で唯一この冤罪を無罪にした判例を探す、
絶体絶命の弁護士」であれば、
その必死さが伝わるだろう。
さらに絶体絶命が、なんでそんなに必死なの?がわかるとよい。
仕事がなくて一週間食べてないから、
これを無罪にしないと、戦争がはじまってしまうから、
などの理由を作り出すことができる。
これらの理由が分かれば、
たとえ本を読んでいる(絵的には退屈な)シーンでも、
そのシーンで退屈したり、
書けなくなってしまうことはないだろう。
(勿論そのあとに何が起こるか決めていないと、続きは書けない)
要するに、お話とは、
その人たちがどれぐらい必死かで決まるのだ。
あなたは、彼らがなるべく必死になるように、
状況や理由を追い込む係なのだ。
勿論、その必死さに感情移入があるのが理想だ。
しかしそれは次善と考えるとよい。
「必死さがないのに感情移入している状態」は、
いずれ飽きて、退屈して、感情移入は消失するからである。
(例えば詰まらない話でも、好きな俳優が出ていれば見られるものだ。
これを感情移入と誤解してはいけない。
これは共感や好きと言う感情だ。
感情移入は、嫌いな人にも起こる)
つまり、ストーリーを持続させる力の正体は、
必死さなのだ。
クラスの文化祭を想像しよう。
出し物を演劇にしようと必死な先生と、
生徒全員しらけている様があるとする。
ここで、先生が必死じゃないなら、物語は生まれない。
そして、先生が一人相撲をしても、物語は生まれない。
白けたまま、適当にこなして文化祭は終了だ。
ところが、先生が持ってきた台本に心底感動し、
これを演じたいということに必死な生徒が一人いれば、
物語が生まれる。
他の生徒を巻き込んでいったりする。
いずれ反対意見が出る。
白けた生徒ではなく、例えば今年の文化祭は中止と言う職員会の決定だ。
(さあコンフリクトの発生だ)
職員会は資金難で必死にしてしまえば、
必死対必死の戦いになる。
ここまで必死がちゃんとあれば、物語は走り出す。
さて、そもそも先生はなんでそんなに必死だったんだっけ。
そこに、我々が涙したり大爆笑したりできる何かがあったら、
もう完璧(感情移入の完成)だ。
あとは文化祭演劇の成功に向かって、話は走るだろう。
細かい逆境を工夫していくといい。
これは、文化祭や職員会の設定を変えれば、
ほとんど名作「スクール・オブ・ロック」と同じアイデアである。
色んな登場人物に、
なんでそんなに必死なの?と聞いてみよう。
必死な奴に、ストーリーのバトンを渡そう。
誰も必死じゃないんなら、
あなたはそもそも物語を書いていない。
必死と危険は近い。危険で分からなくなったら、
必死に読み替えると、何か分かるかも知れない。
2015年03月04日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック