主題歌のことを考えていたら、
視点変更と感情移入について、短くて面白い例を思い出した。
「帰ってきたウルトラマン」の主題歌だ。作詞:東京一。
君にも見える ウルトラの星
遠くはなれて 地球にひとり
怪獣退治に 使命をかけて
燃える街に あとわずか
とどろく叫びを 耳にして 帰ってきたぞ
帰ってきたぞ ウルトラマン
最初あなたの視点は地球人だ。
しかしサビにさしかかるころ、あなたはウルトラマンの視点に変わっている。
そしてサビでは、あなたはウルトラマンを外から見ながらも、
ウルトラマンの視点でもある。
これは巧妙な視点移動による、感情移入の誘導である。
さて、このテクニックを見て行こう。
日本語の特徴のひとつは、主語を省略することにある。
この詩は、
主語を省略することで視点移動をなしえている。
第一行「君にも見える ウルトラの星」では、
最初、視点は星を見上げる地球人だ。
いつの間にウルトラマン視点になっていたのだろう。
第三行と第四行、「怪獣退治に 使命をかけて/燃える街に あとわずか」
は明らかにウルトラマン視点である。
あなたはここでウルトラマンに同一化しており、
ウルトラマンに既に(知らぬ間に)感情移入している。
ウルトラマン目線になることで、自然とウルトラマンに共感するようになっている。
その視点誘導は、第二行にある。
遠くはなれて 地球にひとり
ウルトラの星を見上げたことで、あなたの視点はあなたの身体を離れ、
宇宙に放り出されている。
ウルトラの星からやってきたウルトラマンは、
見えていないがここに登場している。
カメラで言えば、
あなた→ウルトラの星→その宇宙をパンして、地球
だ。
このパンの間に、いつの間にかあなたの視点はウルトラマンの中にいる。
あとは、ウルトラマンの中から地球の様子を見ることになる。
(怪獣退治に 使命をかけて/燃える街に あとわずか)
とくに「燃える街に あとわずか」の部分が僕は子どもの頃から好きで、
メロディーも美しい。(今心の中で再生したら、ハープが鳴ったような気もする)
「バックドラフト」のラストシーンと同じ意味の、
空撮ショットがいつも目の前に広がる。
それは明らかに、ウルトラマンの視点である。
それがもう一度逆転するのがサビである。
五行目「とどろく叫びを 耳にして 帰ってきたぞ」
まではウルトラマン視点だ。
帰ってきたのはウルトラマンから見た台詞だ。
一方、直後、
六行目「帰ってきたぞ ウルトラマン」
は、地球人がウルトラマンを見上げている視点である。
これは、ウルトラマン放映終了後、セブンに路線変更し、
また初代路線に戻す番組の趣旨を高らかに宣言している。
ほぼ同じビジュアルのウルトラマンが、再び我々の目の前に帰ってきた、
そのウルトラマンを歓迎する、地球人の視線である。
そして、我々は既にウルトラマン目線でウルトラマンの内面を知っているため、
どちらの目線にも立てるのだ。
地球人の前に降り立ち胸を張るウルトラマンと、
それを見上げて喜ぶ地球人と、両方の視線を理解することが出来るのである。
たった六行で、
巧妙な視線誘導をすることで、
地球人とウルトラマン、どちらにも感情移入するように、
この詩は出来ているのである。
テクニックを見て行こう。
この詩は六行組で、メロディーから、Aメロ、Bメロ、サビの、
二行ずつの三幕構成を持っていることが分かる。
視点誘導はどこにあるか。
Aメロ後半部とサビの途中だ。
つまり、これらを第一ターニングポイント、第二ターニングポイントとすれば、
三幕構成になっているのである。
一幕:地球人視点
二幕:ウルトラマン視点
三幕:両方の視点
という構成だ。
(テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼの話を思い出そう)
さて、強制的に視点を変えられるのは、我々は不快である。
だから第一ターニングポイントでは、
その不快を快に変える仕組みを使っている。
もう一度引用する。
遠くはなれて 地球にひとり
宇宙での孤独感だ。
これを味わうことで、我々はウルトラマンの内面を知るのである。
これはほとんどの人に理解出来る感情だ。
これが、感情移入の端緒になるのだ。
我々の感情のターニングポイントと、視点のターニングポイントが一致している。
むしろ、同時にすることで、我々の心がぐいっと我々から離れて、
ウルトラマンと同一化するのである。
たとえ孤独であっても、使命のために燃える街にかけつける。
このウルトラマンの心を共有することで、
我々はウルトラマンに感情移入してしまうのだ。
がんばれ、と。
ただ強大な力を持つスーパーパワーの男に、我々は決して感情移入出来ない。
我々が感情移入出来るのは「人間」である。
ウルトラマンは強大なスーパーパワーを持つのだが、
遠く離れた地球に孤独でいることで、一人の人間になるのである。
だから感情移入出来る。
巧みだ。
感情移入したまま終わらないのが、この詩の巧みな所だ。
もう一度、視点は僕ら地球人の所に戻ってきてこのストーリーは終わる。
しかし一度ウルトラマンの視点を共有した我々は、
地球人、ウルトラマン、どちらの視点にも立てるようになっているのだ。
そしてそのメインメッセージは「帰ってきたぞ」だ。
最初の「帰ってきたぞ」はウルトラマンの台詞、
二度目の「帰ってきたぞ」は地球人、テレビを見てる我々の台詞だ。
それを同じくすることで、このオープニングは、
番組への期待を最大に高めるのである。
このように、テーマを正しく歌うものが、ただしい主題歌であると僕は思う。
たった六行だ。
観客の視点と状況設定
感情移入による客体への視点移動
客体の内面
客体の内面
客体の内面から観客の我々への視点移動
観客の視点(しかし我々は両方の視点を持てるようになる)
と、分析すればこのようになるだろう。
実に巧みである。
ちゃんと観客の側から話をはじめ、主人公側へ感情移入させ、
カタルシスをもってどちらの視点も活かす。
こういうのがほんとうの詩だ。
タイアップのバンドが、ここまで分かって、
こんな詩を主題にそって書ける?
ほとんどは、無理だよね。
実際、この作詞者は、
もしかしたら、エース部署からジャリ番へ流刑にされた、
サラリーマンの悲哀と闘う意志をこめたのかも知れない。
だがそんなことは関係ない。
それをも含めた、
三幕構造で心をつかむことが達成されていれば、
それは歌になるのである。
2015年03月06日
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なぜ僕が1番の歌詞を聞いて、涙したのか分かりました。貴重な解説をどうもありがとう
今調べたら、作詞「東京一」氏は円谷一氏のPNだったようですね。
さらに円谷一氏の経歴を見てびっくりしました。
僕はこの人に育ててもらったと言っても過言ではないようです。
そっちの意味で僕は涙が出てきました。
サラリーマンの悲哀ではなく、二世への期待の大きさとか失望とか、
そういう意味での孤独感があったのかも知れませんね。
詩というものは、そのような魂の共鳴と、
技術の双方が不可欠だと思います。
円谷一氏は脚本にも厳しい人だったらしいので、
僕が解説した構造を詩に盛り込んでいたことは確実です。
歌謡曲からストーリーが失われて久しく、僕は寂しい限りです。
次のカラオケで、また歌わなくては。