2015年03月07日

視点の変更と感情移入2

先程の例は、感情移入のメカニズムをうまく表している。


あなたは観客である。
主人公ではない。
主人公は他人であり、三人称視点である。
主人公は作者でもない。
作者から見ても他人であり、三人称視点である。

観客の視点は、最初は自分側にいる。
いつの間にか観客である自分を忘れ、
主人公の中に視点が入ってしまって、
いつの間にかそれが観客である自分に戻ってくる。

それが感情移入だ。

それぞれをイン点、アウト点と呼ぶことにしよう。
イン点より前をイントロ、
アウト点よりあとをアウトロと呼ぼう。
厳密な点で存在しない。幅をもったゾーンだ。
インゾーン、アウトゾーンと言うことにする。

感情移入とは、観客の視点が、
いつの間にか第三者の、
外側(表情や動作や発言)しか見えていないにも関わらず、
内側(感情、思考、動機)のことに、
自分のそれを一致させることだ。

現実世界でも、他人の気持ちを推し量ったり、
他人の感情をわかることと同じである。
しかし感情移入は、それよりももっと強烈なのだ。
(三人称視点の、映画や演劇は、
現実世界で、外側から他人の気持ちに感情移入することに近い。
一方一人称小説では、内面の描写をすることで、
内側を見ていることに相当する)


感情移入のプロセスは、以下のようにとらえられる。

まず、他人である主人公の状況設定がある。
見知らぬ人の自己紹介のようなものだ。

「Mr. インクレディブル」では、
文字通りカメラ目線のインタビュー形式で、
自己紹介をするパターンだったが、
普通は、
とある状況に置かれた、
とある主人公、を三人称視点で描写する。

これがごく普通の人でもいいし、
とても変わった人でもいい。
観客の性格や嗜好と同じでもいいし、違っててもいい。
同じだと共感するが、同じでなくても構わない。

ここで共感することは、次の感情移入を助けることもあるが、
共感しないからと言って、感情移入にマイナスに働くことはない。
何故ならここはまだイントロだからだ。

観客の共感をここで貰うのは、イントロを見る苦痛を楽にさせるレベルの効果しかない。
なぜなら、感情移入する前のイントロは、
誰にとっても退屈だからだ。

オープニングにツカミが必要というのは、
刺激的なことで、イントロの苦痛を減らそうと言うテクニックに過ぎない。
第三者の設定は、基本的に興味がなければ退屈である。
共感やインパクトは、そのマイナスを補う形であるのだ。
つまりサービスに過ぎない。

最初ちょっと退屈でも、
イントロからインゾーンに来てしまえば、
それはどうでもよくなる。

感情移入に関しては、
退屈なイントロ+きちんとしたインゾーンのほうが、
魅力的なイントロ+出来てないインゾーンより上だ。

オープニングの失敗は、
ツカミをしようしようとして、
主人公のインゾーンへの引き渡しであるべきイントロの役割を、
果たしきれていないことにある。

だからオープニングは派手にしてつかめ、
なんて教えは、初心者にするべきではないと思っている。
確実に出来なければならないのは、
インゾーンが機能するための、イントロである。
(まあ、先に派手なオープニングからやって、
ごまかしごまかしやるのも、ハッタリとしてはいい手だ。
ハッタリに騙されるレベルの観客を相手にするならね。
何度も例に出すが、「鈍獣」のオープニングは最高だ。
しかし何故オープニングしか良くないかの答えがこれなのだ)


インゾーンに来た。
どういう状況に置かれている、
どういう他人かは、頭で理解できた。
まだ心で感情移入はしていない。
仏の外側は出来ている。ここに魂を入れるのである。

感情移入に失敗するのは、
これから魂を入れようとしている、外側の仏があやふやで、
安心して魂を入れられない不安があるからである。

この人はどういう人なのか、
に関する、ハッキリした情報があること。
それがインゾーンまでになされるべき、唯一のことである。
(ウルトラマンの例で言えば、
遠いウルトラの星から一人でやってきた男、
という一行のハッキリした情報)

勿論、人間は複雑だから、この時点で全部が分かっていなくてもいい。
その第三者がどういう人かについての、
第一印象が確定していればそれでいいということだ。


インゾーンでは、彼または彼女の、
内面に我々の魂は入っていく。
いつ、どうやって?
彼の気持ちに深く同調することで。

理解できない気持ちには、我々は感情移入出来ない。

無差別に人を殺す人には感情移入出来ない。
たまたまむしゃくしゃしている観客だけは理解出来る。
しかしこれは感情移入ではなく共感である。

無差別に人を殺す人に感情移入するには、
彼には幻覚が見えていて、
悪魔を倒すために、
あるいは彼女を守るために、人を無差別で殺しているのだ、
などの悲劇にすることだ。
それならわかる、と言うことをわからせればいいのだ。

インゾーンでやるべきことは、
彼または彼女の気持ちを、理解させることである。

出来れば、頭による理解でなく、
心で感じることがいい。
深い感情のほうが感情移入が深くなる。


自販機に硬貨がうまく入らずに落としてしまい、
それが転がってって追いかける羽目になるむかつき、
という感情よりも、
遠く故郷を離れて一人でいる孤独、
のほうが、
気持ちが深い。

そして多分だけど、ポジティブよりネガティブが、
深い感情移入がしやすい。
深いポジティブな感情よりも、
深いネガティブな感情のほうがポピュラーだからだ。

だから、インゾーンでは、
誰にも理解されないとか、
誤解されて失敗するとか、
本当の自分を発揮できてないとか、
ネガティブで深い感情を示すことが多い。

その時、顔がたいていアップになり、その人の深い感情がかいま見える。
(何かの動作で表現してもいい)
こうしてインゾーンは終わり、
この人の感情に沿いながら、
物語の進行を味わうことになるのである。

勿論、ネガティブでない深い感情でも感情移入は出来るだろう。
愛すべき人を守りたいとか、
国を守りたいとか、正義を実現したいとか。
しかし難しいのは、退屈なイントロでこれを説明しきることだ。

それがうまく行けばポジティブな深い感情で、
感情移入するインゾーンをつくれると思う。

ここが歯に挟まった物言いなのは、
そのいい例がぱっと思いつかないことだ。
実は感情移入のインゾーンとは、
その人の深いネガティブな気持ちに同調することなのではないか?
と、うっすら思っているからなのだが。
(人の深い部分は常にネガティブなのか?
という問いになってしまうし)

まあ、いずれにせよ、
深い気持ちを同調させれば、
あとはそれを楽しむだけだ。
途中詰まらないところもあるかも知れないが。


アウトゾーンに必要なのはなんだろう。
次回に続く。
posted by おおおかとしひこ at 10:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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