先程の例は、感情移入のメカニズムをうまく表している。
あなたは観客である。
主人公ではない。
主人公は他人であり、三人称視点である。
主人公は作者でもない。
作者から見ても他人であり、三人称視点である。
観客の視点は、最初は自分側にいる。
いつの間にか観客である自分を忘れ、
主人公の中に視点が入ってしまって、
いつの間にかそれが観客である自分に戻ってくる。
それが感情移入だ。
それぞれをイン点、アウト点と呼ぶことにしよう。
イン点より前をイントロ、
アウト点よりあとをアウトロと呼ぼう。
厳密な点で存在しない。幅をもったゾーンだ。
インゾーン、アウトゾーンと言うことにする。
感情移入とは、観客の視点が、
いつの間にか第三者の、
外側(表情や動作や発言)しか見えていないにも関わらず、
内側(感情、思考、動機)のことに、
自分のそれを一致させることだ。
現実世界でも、他人の気持ちを推し量ったり、
他人の感情をわかることと同じである。
しかし感情移入は、それよりももっと強烈なのだ。
(三人称視点の、映画や演劇は、
現実世界で、外側から他人の気持ちに感情移入することに近い。
一方一人称小説では、内面の描写をすることで、
内側を見ていることに相当する)
感情移入のプロセスは、以下のようにとらえられる。
まず、他人である主人公の状況設定がある。
見知らぬ人の自己紹介のようなものだ。
「Mr. インクレディブル」では、
文字通りカメラ目線のインタビュー形式で、
自己紹介をするパターンだったが、
普通は、
とある状況に置かれた、
とある主人公、を三人称視点で描写する。
これがごく普通の人でもいいし、
とても変わった人でもいい。
観客の性格や嗜好と同じでもいいし、違っててもいい。
同じだと共感するが、同じでなくても構わない。
ここで共感することは、次の感情移入を助けることもあるが、
共感しないからと言って、感情移入にマイナスに働くことはない。
何故ならここはまだイントロだからだ。
観客の共感をここで貰うのは、イントロを見る苦痛を楽にさせるレベルの効果しかない。
なぜなら、感情移入する前のイントロは、
誰にとっても退屈だからだ。
オープニングにツカミが必要というのは、
刺激的なことで、イントロの苦痛を減らそうと言うテクニックに過ぎない。
第三者の設定は、基本的に興味がなければ退屈である。
共感やインパクトは、そのマイナスを補う形であるのだ。
つまりサービスに過ぎない。
最初ちょっと退屈でも、
イントロからインゾーンに来てしまえば、
それはどうでもよくなる。
感情移入に関しては、
退屈なイントロ+きちんとしたインゾーンのほうが、
魅力的なイントロ+出来てないインゾーンより上だ。
オープニングの失敗は、
ツカミをしようしようとして、
主人公のインゾーンへの引き渡しであるべきイントロの役割を、
果たしきれていないことにある。
だからオープニングは派手にしてつかめ、
なんて教えは、初心者にするべきではないと思っている。
確実に出来なければならないのは、
インゾーンが機能するための、イントロである。
(まあ、先に派手なオープニングからやって、
ごまかしごまかしやるのも、ハッタリとしてはいい手だ。
ハッタリに騙されるレベルの観客を相手にするならね。
何度も例に出すが、「鈍獣」のオープニングは最高だ。
しかし何故オープニングしか良くないかの答えがこれなのだ)
インゾーンに来た。
どういう状況に置かれている、
どういう他人かは、頭で理解できた。
まだ心で感情移入はしていない。
仏の外側は出来ている。ここに魂を入れるのである。
感情移入に失敗するのは、
これから魂を入れようとしている、外側の仏があやふやで、
安心して魂を入れられない不安があるからである。
この人はどういう人なのか、
に関する、ハッキリした情報があること。
それがインゾーンまでになされるべき、唯一のことである。
(ウルトラマンの例で言えば、
遠いウルトラの星から一人でやってきた男、
という一行のハッキリした情報)
勿論、人間は複雑だから、この時点で全部が分かっていなくてもいい。
その第三者がどういう人かについての、
第一印象が確定していればそれでいいということだ。
インゾーンでは、彼または彼女の、
内面に我々の魂は入っていく。
いつ、どうやって?
彼の気持ちに深く同調することで。
理解できない気持ちには、我々は感情移入出来ない。
無差別に人を殺す人には感情移入出来ない。
たまたまむしゃくしゃしている観客だけは理解出来る。
しかしこれは感情移入ではなく共感である。
無差別に人を殺す人に感情移入するには、
彼には幻覚が見えていて、
悪魔を倒すために、
あるいは彼女を守るために、人を無差別で殺しているのだ、
などの悲劇にすることだ。
それならわかる、と言うことをわからせればいいのだ。
インゾーンでやるべきことは、
彼または彼女の気持ちを、理解させることである。
出来れば、頭による理解でなく、
心で感じることがいい。
深い感情のほうが感情移入が深くなる。
自販機に硬貨がうまく入らずに落としてしまい、
それが転がってって追いかける羽目になるむかつき、
という感情よりも、
遠く故郷を離れて一人でいる孤独、
のほうが、
気持ちが深い。
そして多分だけど、ポジティブよりネガティブが、
深い感情移入がしやすい。
深いポジティブな感情よりも、
深いネガティブな感情のほうがポピュラーだからだ。
だから、インゾーンでは、
誰にも理解されないとか、
誤解されて失敗するとか、
本当の自分を発揮できてないとか、
ネガティブで深い感情を示すことが多い。
その時、顔がたいていアップになり、その人の深い感情がかいま見える。
(何かの動作で表現してもいい)
こうしてインゾーンは終わり、
この人の感情に沿いながら、
物語の進行を味わうことになるのである。
勿論、ネガティブでない深い感情でも感情移入は出来るだろう。
愛すべき人を守りたいとか、
国を守りたいとか、正義を実現したいとか。
しかし難しいのは、退屈なイントロでこれを説明しきることだ。
それがうまく行けばポジティブな深い感情で、
感情移入するインゾーンをつくれると思う。
ここが歯に挟まった物言いなのは、
そのいい例がぱっと思いつかないことだ。
実は感情移入のインゾーンとは、
その人の深いネガティブな気持ちに同調することなのではないか?
と、うっすら思っているからなのだが。
(人の深い部分は常にネガティブなのか?
という問いになってしまうし)
まあ、いずれにせよ、
深い気持ちを同調させれば、
あとはそれを楽しむだけだ。
途中詰まらないところもあるかも知れないが。
アウトゾーンに必要なのはなんだろう。
次回に続く。
2015年03月07日
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