その人は、
何かのために、何かをする。
それがストーリーである、と言ってよい。
訳が分からなくなったら、
このシンプルな形に纏めてみよう。
まず、何をするのか?
色々するんだろうけど、まずは一言でいい。
風魔の小次郎なら、「夜叉と戦う」に集約される。
これを、たった一言にすることで、
全体が見えてくるのである。
それが「戦う」だとしたら、
「分析する」「一端は戦いを避けようとする」
「準備する」「先手を打つ」「逆襲されたので逆襲する」
「物理バトルでなく知略を使う」
「最後は物理バトルになる」
などに、細かく分かれるかも知れない。
風魔では、
「止められているのだが勝手に単独で戦う」
「敵の潜入に勘づく」「勝手に墓を作る」
「変装して劉鵬を監視する」「木刀で灯籠を割る訓練をする」
などがあった。
あなたのストーリーも、そのように部分に分かれることだろう。
訳が分からなくなったら、それらを一端整理してみよう。
全て、何をする、という動詞で書けるものをピックアップしよう。
心配する、期待する、見る、話すなどは、
動詞かも知れないが、映画においては弱い動詞である。
何故なら、立ち姿(座り姿)をフィックスでとらえるしかないからだ。
走る、ボールを蹴る、肩をつかむ、張り倒す、
説得する、決裂する、脱退する、盗む、
殺す、結婚する、恋人になる、怪我をする、
戦う、歌い踊る、
などの、強い動詞が理想である。
「真実を知る」は弱い動詞だが、
知ったから「脱走する」は強い動詞だ。
この場合の弱い強いの基準は、
その人の内面の揺れではなく、
その人の外面の動きの大きさである。
何故なら、三人称視点では、内面は写らないからだ。
たとえ俺は実の子ではなかった、
という本人にとって大きな衝撃だったとしても、
それは、「何かのために、何かをする」の中には関係がない。
「ショックを受けて、自殺を試みる」のほうが、
真実を知ることより、強い動詞だ。
逆に言うと、映画とは強い動詞で、
その人の内面の強い何かを現す表現ジャンルなのである。
さて、その動詞には、「何のため」が必ずついてまわる。
弱い動詞にはない。受動的だからだ。
心配するのは感情の働きだが、
何のために、はない。(その人のために心配する、のも変だ)
心配したので、飛行機をキャンセルする、
などの強い(立ち姿フィックス以外の動作)動詞には、
心配のため、というものが存在する。
さあ、これをリスト化してみよう。
それがあなたの人物の、
流れである。
そして、主人公だけでなく、
他の人物のそれも作ってみよう。
主人公に比べてスカスカだとしたら、
あなたのストーリーは、練りが足りない。
誰かと誰かのぶつかり合いを無意識に避けている。
もっとぶつかり合うようにすると、
面白くなる。
それは、それぞれの立場や目的を明確にすることで整理できる。
(時に、喧嘩するような要素をわざと入れておく。
納豆派と納豆否定派みたいな小ネタから、
イスラム主義対キリスト主義な大ネタまで)
それらのぶつかり合いは、何回ある?
ハリウッドの理想は、毎シーンだと言うぜ?
(僕は大袈裟だと思うけどね)
何かのために、は、
自分のため?他人のため?とある集団のため?
これも、一言で集約してみよう。
完全に利己的な人は、大抵敵で、
完全に他人のための人は、大抵死ぬ。
ストーリーってのはそういう風に出来ている気がする。
そうじゃないパターンも、勿論可だ。
これらも、大きくは○○の為だが、
個別の動詞においては、場面場面で変わって来るだろう。
△△を届ける為に電車に乗ったが、敵に見つかったため、
殺されないために電車の窓から飛び降りる、
プレゼントに彼女の好きなものを買おうとしたが、
彼女に鉢合わせしそうになって、慌てて隠れる、
などだ。
それぞれの動詞につけて、一覧出来るとよい。
それらを、横に人物、縦に時間軸で、
一覧表を作ってみることをおすすめする。
これは、ハリウッドでステップアウトラインと言われるものに近い。
これは自己流で開発したものだ。
これらを眺めることは、ストーリー全体を俯瞰することである。
展開を頭のなかで思い描く構想時、
リライトするときに役に立つ。
何のために、を変えたり、
何をする、を変えたり、
誰かと誰かのする順番を入れ替えたり、することができる。
おすすめは、
大きめの紙(B4やA3。おさまるならA4でよい)を使って、
手書きでやることだ。
まずA4あたりで下書きしてみて、レイアウトの当たりをつけてから、
鉛筆で一覧を書こう。
鉛筆で書くのは、消しゴムで消せるためだ。
デジタルに頼ってはだめだ。
原始的なアナログでやるのは、
ストーリーを直接「さわる」ためである。
手でストーリーをさわる経験を沢山積むと、
そろばんと同じように、頭のなかにこの手書きの紙が浮かぶようになる。
頭の中の算盤をはじくように、頭のなかでリライト出来るようになる。
(どれくらいでマスター出来るかは、
多分算盤と同じぐらいかかる。地味だけど、やるべし)
何度も消したり、書いたりしてるうちに、
どこを消すべきか、何を書くべきかについて、
勘のようなものが鍛えられる。
何故かデジタルよりアナログのほうが、習得が早くしかも忘れない。
(身体的に覚えさせることは、自転車の能力のように、
自動化するようになる。頭の中の可塑性よりも身体はないため、
結果的に忘れない「感覚」になる。
ストーリーづくりは、純粋に頭の中の行為ではなく、
身体的能力の利用もするものだ)
全ての人物は、
何かのために、何かをする。
それがストーリーだ。
弱い動詞と強い動詞について、次回はさらに突っ込んでみる。
2015年03月08日
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