脚本を書くことが下手な人は、
弱い動詞と強い動詞の区別がついていないことが多い。
主人公やその他の人物が、
どれだけ動揺しようが、
どれだけ悩もうが、
どんな凄いことを考えようが、
それは内面にあることであり、
カメラは写すことは出来ない。
逆に、
どれだけ凄いアクションをしようが、
どれだけ凄いボクシング試合をしようが、
どれだけ地球壊滅クラスのバトルをしようが、
その人物の中では、
コーヒーを飲むことと変わりないかも知れない。
外からは、内面を伺い知ることは出来ない。
両方が一致しなければ、
映画的、三人称視点的物語ではない。
激しいアクションで激しい表情なら、
きっとそれにふさわしい激しい感情や動機なのだろう、
と好意的に解釈されるかも知れない。
だから、強い動詞は、まだなんとかなるかもしれない。
問題は、弱い動詞である。
脚本の下手な人は、
その人の内面を、外面の何かで表現出来ないのだ。
例えば、その人が悩んでいる。
激しく悩んでいる、としよう。
それを、頭を抱える姿や表情で表現しようとするのが、
下手のやることである。
それではその内面は、外から見ても分からない。
分かるのは、
悩んだ結果、普段は連絡しない人に連絡を取り悩みを打ち明ける、とか、
悩んだ結果、遺書を書いて首をくくる、とか、
悩んだ結果、敵に情報を流す、とか、
弱い動詞が、強い動詞になったときだ。
弱い動詞には、
見る、思う、悩む、感動する、独り言を言う、お喋りをする、
などがあると思う。
それは、関心が自分にある時の動詞だ。
強い動詞は、
関心が自分にではなく、他人や外にあるときの動詞だ。
むしろ、関心が自分にある時の動詞を、弱い動詞、
関心が他人や外にある時の動詞を、強い動詞と定義してもよい。
(自動詞と他動詞という混同しやすい言葉があるので、
弱い強いで表記する)
悩んだり、煩悶したり、哲学をしたり、解決法を考えたり、
ああすればこうなるだろうかと想像したり、
好きだと言う思いを外に漏らさないようにしたり、
小便が漏れそうな感覚は、
全て自分の中のことである。
これらを一人称で書くことは出来るが、
三人称視点で書くことは出来ない。
あなたは道行く人の中身を見ることが出来ない。
出来るのは、その人と関わる上で、
色々なことを知っていくときだけだ。
その人の関心が他人や外に向いたときにしたこと、
から、その人の内面を想像するしかないのである。
強い動詞は、外から見たときに、
その人の意思や感情が、良くわかるもののことだ。
戦う、急いで走る、肩を叩く、離婚状をつきつける、
話し合いのテーブルにつく、席を立つ、
崖から落ちそうになったが這い上がる、
振られて泣く、男女が手を繋ぐ、
電話をかける、手紙を書く、壊す、などなど。
これらを見たとき、その人の内面が見える。
これらを何回も繰り返して、
その人の内面を、我々は次第に共有するのだ。
サイレント映画が成立したのは何故か。
台詞を発しなくても、
その人の内面が手に取るように分かるような、
強い動詞で表現されていたからである。
そしてチャップリンは、その卓越した表現力の男だった。
強い動詞で表現仕切れない、
微妙な部分で、サイレント映画では、
わずかな台詞が字幕として使われた。
つまり、元々台詞は、強い動詞の補助機能だ。
普通の動作から、大袈裟な芝居まで含めた、
パントマイムが芝居の原点なのだ。
何故なら、台本が強い動詞で書いてあるからだ。
(チャップリンは、一人で悩む、という弱い動詞ですら、
観客に笑わせるような、強い動詞の芝居に変える天才だった)
弱い動詞は、本編中にあまり意味をなさない。
もちろん、「あることを見る」ことは、
見ずに急に何かをするリアリティーのない芝居になるよりは、
あったほうがいいだろう。
しかしそれは、強い動詞の助走に過ぎないことを、
覚えておくといいだろう。
つまり、弱い動詞でしか脚本を書かないやつは、
助走ばかりして飛ばない、走り高跳びみたいなものだ。
さっさと、跳べ。
また、逆に、強い動詞ばかり連打して、
その内面がちっとも興味深くない映画もある。
最近だとるろうに剣心(三部作全て)である。
アクション集としての出来は、近年日本一だが、
内面の物語は、下から数えたほうがはやい、
大作カス映画の代表だ。
何故戦うのか。何故命を懸けるのか。
そこがなんにもなかった。
ハリウッドゴジラもそうだった。
大東宝は、最近勘違いが甚だしいのではないか?
まあ、強い動詞だけのアクション映画と、
内面をきちんと描いたいい映画を、
区別している、ともっと上のレベルで考えているのかも知れないが。
何のために、何かをする。
この一覧表において、
弱い動詞を見つけよう。
内面の何かを、あなたが表現しようとしているところだ。
それを、強い動詞で表現しなおせないかを、検討しよう。
逆に、強い動詞ばかりの時も警戒しよう。
るろうにみたいなカスになっているだけかも知れない。
内面の何が、強い動詞に現れているかをチェックしてみよう。
ただの派手な何かで、あなたのテンションが上がっているだけかも知れない。
桃太郎CMみたいにね。
内外一致。剣の奥義である。
昔の人は、いいこと言った。
2015年03月08日
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